東大寺二月堂の最大の見どころを楽しむための滞在時間を….キャー💘

スポンサードリンク

東大寺は大仏殿だけではなく、この二月堂にも、見どころ満載です。

以下では、二月堂の見どころの他、拝観時間(夜は入れるのか?)など、見落としがちな見どころを混じえたスポットをご紹介しています。

奈良 東大寺・二月堂の見どころ

懸造(かけづくり)

奈良 東大寺・二月堂はの建物の形は山の斜面にせり出す(突き出る)ように建っています。

床はもちろん水平でなければいけませんから、それを支える柱は場所によって長さが調整されています。

この建築方法は「懸造(かけづくり)」や「崖造り」「舞台造り」と呼称し、京都清水寺の舞台にも見られます。

舞台

「舞台」南側(向かいみて両側)の石畳から延びる石階段と、北側にある回廊から踏み入ることができます。

派手でも大きくもありませんが、昼間の自然光が差し込むのどかな雰囲気には心が落ち着きます。

この回廊は「舞台」とも呼ばれ、東大寺とその向こうの町並みや生駒山が見渡せる見晴らしスポットです。

この二月堂から、広大で雄大な奈良公園や東大寺の大仏殿を見渡すと爽快な気分になり、少し違う自分になれるような気配に包まれます。

特に、二月堂から見る夕焼けは絶景です。

舞台からの眺望

二月堂の舞台からは生駒山やその向かいには奈良市街が広がっており、さらにその手前には広大な東大寺の境内が見えます。天気の良い日などは望遠鏡を持参することで平城宮跡の大極殿までもが見えます。

そんなことから、この舞台まで上がってこの景色を見れば思わず「ヴぉぉぉぉっ!・・。」などと、少々ドスの効いた奇声に近い小汚い声を腹の底から発してしまい、自分の醜さや愚かさに気づかされるほどの景色を堪能できます。ウフ

二月堂の夜と夜景

二月堂は24時間境内に立ち入ることができることから、舞台にも上がることができます。夜の二月堂は数十ある吊り灯籠に灯りが灯されて幻想的な光景になります。

おそらく、JR/近鉄奈良駅の付近で奈良市街の夜景を見渡せる場所は皆無に等しく、この二月堂の舞台が奈良における夜景のスポットにもなっています。

夜はキャぁ〜〜プぅ〜ぅ〜(訳:=カップル)が、ウザウザわんさかと押し寄せるスポットでもあります。世の七不思議:オバちゃんは”カップル”と言わず”アベック”という

一般的にドぎつく臭いとされる”スカしっ屁”でもカマしてムードをブチ壊したくなりますが、この二月堂の舞台から観る夜景を見ればそんな嫌忌な気持ちなど爽快に吹き飛んでいくというものです。

二月堂堂内および舞台の様子

⬆️登廊

⬆️登廊から見あげた二月堂舞台

 

二月堂舞台から観る夜景

⬆️二月堂舞台から観るの夜景

二月堂「夜の裏参道」の様子

⬆️夜の二月堂の裏参道「少し不気味キミキミきみ子ちゃん?」ムフ

絶対秘仏

二月堂のご本尊様は、大小2体の十一面観音で、以下のような名前で親しまれています。

  • 「大観音(おおがんのん)」
  • 「小観音(こがんのん)」

この両方の観音様は、絶対の秘仏であり、修二会を行うために選ばれる練行衆と呼ばれる11人のお坊さんでさえも見ることは許されません。実物どころか写真も公表されていないのです。

ただ、大観音の「舟形光背(こうはい)」だけは東大寺ミュージアムで公開されています。




お水取りのお松明で使用される『竹』

例年、2月上旬になれば今年のお水取りで使用される「お松明(かご松明)」の材木となる「竹」が掘り出されて奈良東大寺二月堂の境内まで運ばれます。

お松明で使用される竹は直径約20㎝、重量約90kgという大きな竹が特別に選別されて、通称「竹送り」という儀式を通して、京都「京田辺市」山内で7本選別された竹が地元の「松明講社」によって二月堂まで運びこまれます。

この儀式は第二次世界大戦以降、途絶えていましたが、昭和53年に市民一同の願意によって復興されています。

ちなみに「講社」とは、二月堂の御本尊「11面観音菩薩」に信仰を寄せる団体のことです。

例年、2月中旬以降、お水取りが執り行われるまで間に、この2月堂に訪れれば背の高い竹を見ることができます。

龍王の滝

二月堂の舞台を意識するあまり普通は通り過ぎますが、二月堂石階段脇には水垢離(みずごり)ができそうな滝があります。この滝を「龍王の滝」と呼称し、脇にお不動さん(不動明王像)が祀られている本格的な滝になります。

滝が落ちる所を狙って大きな長方形の木桶が設置されており、柄杓が置かれていますので手を洗い清めることはできます。ただし、飲水禁止の貼り紙がされています。

手水舎

二月堂両脇の「石段」および「登廊」から二月堂の舞台を目指して上ると正面に手水舎があります。いずれの手水舎も年季がありそうな手水舎ですが、石階段を昇った先の手水舎は少し絢爛豪華さが漂う手水舎です。

鬼板が中央にドッシリと据えられた唐破風屋根の正面および、切妻屋根の妻側の懸魚(けぎょ)には繊細は透し彫り、破風板の金飾りには繊細な彫刻が見えます。

特に正面の懸魚下の蟇股(かえるまた)には大空を羽ばたく鳳凰?が透し彫りで造形されていたり、その左に見える木鼻の獏(ばく)が、ひときわ目を惹きます。

銅葺き屋根ですが安土桃山〜江戸期以降の特徴を臭わせる手水舎となります。

手水舎の天井に注目!

手水舎の天井には、なんと!木製の方位磁石が据えられています。さらになんと!この方位磁石には繊細な木彫りの龍が2体も据えられており、これは二月堂の隠れた見どころと言えます。

なお、この龍の方位磁石が設置された格天井には、この手水舎の造立に際して奉納したと思われる人物の名前や奉納金が書かれており、この方位磁石もよくみれば「奈良餅飯殿町・石原之治郎」なる文字が見えることから、寄進されたものだと思われます。

二月堂の休憩所と「実際に使用されたお松明」

登廊から上がっていくと正面に手水舎が見えてきますが、その隣に二月堂の無料休憩所があります。(逆側の石階段側には”龍美堂”というお茶屋)

二月堂の休憩所ではお水取りのお松明で実際に使用されたお松明が展示されています。

お水取りで使用される松明は実は2種類ありますが、期間中使用されるお松明と3月12日のみに使用されるドデカイお松明「籠松明(かごたいまつ)」があります。

3月12日のみに使用されるお松明「籠松明」

  • 長さ:8m
  • 重量:60kg
  • 籠の直径:80㎝

※写真は3mで切断したもの(実際のお松明は8mあります)

お水取り期間中に使用されるお松明

  • 長さ:6〜8m
  • 重量:40kg
  • 籠の直径:80㎝

※写真は2mで切断したもの(実際のお松明は6〜8mあります)

これらのお松明を練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる方たちが、1人で手に持って担ぎ上げて二月堂の舞台を走破します。

護美箱

東大寺および奈良公園周辺付近にはゴミ箱はなく、すべて自分で持って帰るようになっています。これは鹿が誤って口に入れないための配慮でもあります。

そんなことから東大寺および奈良公園周辺付近のゴミ箱には、漢字で書くと”護美箱”と書かれ、これは「美しさを護(まも)る箱」という意味があります。

お守り

二月堂では、大仏殿やその他のお堂では授与できない二月堂オリジナルのお守りを授与されています。

二月堂のお守りの詳細については以下のページをご参照ください。

お水取りの絵葉書

二月堂の売店では、お守り以外にも絵葉書が販売されています。これらの絵葉書は奈良と縁の深い画家「西岡玉樹」が描いたものになります。

西岡玉樹氏は平成6年より修二会(お水取り)の絵画を描き始めており、それらの作品を絵葉書にしたものです。

  • お水取り絵葉書セット:7枚セット900円

二月堂の御朱印

上記、石階段を上った先の法華堂に隣接する授与所では、お守りの他に「二月堂」の御朱印も授与されています。窓口は2つありますが、土日祝日は混雑します。場合によっては15分ほど並ぶこともあるようです。

値段は300円。受付されている時間(授与できる時間)は朝8時頃(4月〜10月は7時30分頃)から夕方16時頃までです。

二月堂では4種類の御朱印を拝受できますので、4種類すべていただく場合は書く時間を考えて30分ほど前には窓口に到着しているのが望ましいでしょう。

二月堂および東大寺の御朱印の種類や値段については以下のページをご参照ください。

 関連記事:【期間限定もあった!】奈良県・東大寺(二月堂・三月堂など)の御朱印の「種類・値段・購入場所」

龍美堂

二月堂の石階段をあがった先の手水舎の右脇には「龍美堂」と呼ばれるお茶屋さんがあります。およそ70年前まではお堂が建っていた場所に茶屋が設けられており、現に店内に入れば「大黒天像」が祀られています。察するにかつては「大黒堂」などと呼ばれた堂舎であった名残りが感じ取れます。

この龍美堂には看板となる商品がありますが、これを「行法味噌(ぎょうほうみそ)」と呼称し、古来、変わらずに修二会で供される味噌であり、一般参拝客もこの味噌を味わうことができます。

なお、何か注文すればサービス(無料)で行法味噌と年季の入ったブンプク茶釜で沸かした湯でたてた、ほうじ茶を提供してもらえます。

ちなみに、このブンプク茶釜は江戸時代から使用されいる一品であり、現在も変わらず大黒天像の前に設置された囲炉裏の上でコトコトと火で炙られ、今も昔も変わらず、たくさんの参拝客をもてなしています。

龍美堂は修二会の期間中は休みとなります。(石階段の前が封鎖されている)

過去帳と『青衣の女』

奈良 東大寺・二月堂にある「過去帳」の秘密「過去帳」とは、修二会期間中の5日と12日のみに読み上げられる主に東大寺造営において亡くなった方々の名前を記したもので、二月堂に納められているものを特に「東大寺上院修中過去帳」といいます。

その中には、二月堂が創建された奈良時代の聖武天皇から現在に至るまでの東大寺や二月堂と所縁の深い方々や、修二会の際、祈願に訪れた僧侶の名前が記されています。

過去帳を読み上げることによって、これらの人々の冥福を祈るとともに、功績を称えて安らかに眠りにつけるように祈願するものでもあります。

過去帳にまつわるこんな怖いお話

鎌倉時代の修二会の最中、「青い衣の女の幽霊」が、突如、現れて、このように激しい怒りを込めて呟いたそうです。

なぜ私の名前を読まなかったのか!!

この声を聞いた周囲の僧たちは、あまりにものオゾましい声に腰を抜かしてしまい動けなくなりました。ヒっヒっ・・ヒキぃぃ〜ヒぃヤぁぁぁ〜

しかし、過去帳を読んでいた僧侶「集慶」だけは毅然として気を取り直し、過去帳の訓読に「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と詠んだところ、女人の幽霊は満足したのかスぅ〜っと消えたそうです。

二月堂ではこの言い伝えが今でも伝承されており、過去帳を読み上げる名前の中には『青衣の女人』が必ず入っているのだそうです。

「青衣の女人(しょうえのにょにん)」それ以降、現在に至るまでいっさい姿を見せなくなったとか。




ところで二月堂の舞台へはどうやって上がるの??『二月堂の舞台へ上がり方(2つのルート)』

二月堂の舞台までの道順は二月堂を正面にみて左側の屋根が付いた「登廊」と呼ばれる廊下を上がる方法と、それから右側の石段を上がっていく方法があります。

登廊

奈良 東大寺・二月堂へのアクセス・行き方

登廊は上述したように二月堂の食堂(じきどう)と参籠所(さんろうしょ)の間を通過した先にある屋根付きの石階段です。

幅が狭い分、少し窮屈ですが、お水取りではこの登廊を「参籠衆(さんろうしゅう)」もしくは「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる僧たちが通る道でもあります。

石階段(石畳)

石階段は上記、登廊と比べれば坂の角度が若干、緩やかなので、足腰の耐久度に自信のない方は無理をせずに石階段から登るのが吉です。

石階段は登廊のように屋根がついておらず、開放的になっていますので、二月堂の威容感ただよう舞台を下から見上げながら上がることができます。また石段の両脇には二月堂維持のために奉納したと思われる寄進者の名前が刻まれた墓標のような石碑が連なるようにして立てられています。

その墓標の間に石灯籠や街灯が並び、東大境内でも二月堂でしかお目にかかれない独特の空気を味わうことができます。ウフ

石階段の「竹」いったなんのために置かれている?

石階段を上がる最中に目に付くのが「竹」です。この竹はいったいなんのために設置されているのかお分かりになりますか?

実はこの竹、なんと!「子供」が階段部分を登らずに階段の両サイドの階段になっていない「坂の部分」を駆け上がるそうなんです。

大変、危険だということで子供避け対策として設置されているものです。

石階段の「唐草」や「亀甲」などの模様

通常、階段を上がるときは足元はあまり見ずに正面を向いて昇っていきますが、ちょっと足元にも注目してみてください。

なんとぉぅぉぅっ!!

石階段の一部には、「青海波(せいがいは/=波模様)」や「六角形(亀甲)」、「唐草模様」などの模様が刻まれています。

二月堂の階段の模様の意味と付された理由

二月堂の舞台へ上がるための三月堂側の石階段の一部には、上述したような亀甲模様や波模様が刻まれています。このような模様が刻まれた理由は、「二月堂縁起」に記された二月堂の御本尊「小観音」が海の彼方から亀の背に乗って難波津(なにわつ/=現在の大阪市・本町〜難波あたり)に訪れたとされる伝承になぞらえた模様になるそうです。

おすすめは行きと帰りで同じ道を通らないことです。つまり、行きは石階段を通行して、帰りは上記の屋根付きの登廊を通行することで行きと帰りで異なる景色が楽しめます。

二月堂の周りの見どころ

二月堂はお水取りが執り行われることから、お水取りに関連した施設などが二月堂の周りにいくつかあります。これらの施設の中には修二会期間中にのみ使用される建物も存在し、これらの建物は修二会期間中以外は閉堂しています。

以下では、通常は閉堂している建物と、一般参拝者でも立ち入ることのできる二月堂周辺の見どころとなる施設をご紹介したいと思います。

まず・・二月堂の周囲の地図のご案内から

二月堂の裏側の山と「西国三十三箇所めぐり」

二月堂に裏側は山になっており、この山には西国三十三箇所に見立てた石像が並んでいます。これらの石像はその名のとおり、33像が裏山の中に点在しています。二月堂の背後から裏山に入って三月堂後方を通って不動堂まで道が繋がっています。

秋の紅葉時期ともなれば二月堂の裏山も、もぅ、とっても激しく恋したくなっちゃう・・ような色づきをみせます。(こホンっ!)

二月堂へ訪れた際は、不動堂へ参拝して御朱印をもらいに行くついでに裏山を通行してみてください。あなたもきっと激しく恋ちゃいたぃ・・モードに入っちまいますから。

二月堂の裏参道

二月堂に訪れるまでの道順はいくつかありますが、中でも上院地区の中心とも言える「鐘楼」や「行基堂」、「念仏堂」、「俊乗堂」がある一帯を通過して来られる方がほとんどだと思いますが、帰りはぜひ!二月堂の裏参道を通って帰途につかれてみてください!

二月堂の裏参道の見どころは足元に石畳に、土壁や石垣塀に囲まれた情緒あふれる景色が広がる場所です。かつての門前町を彷彿とさせるような東大寺の中でも指折りの見どころスポットとも言えます。

この他にも、田舎に温かみのある田んぼと、その向こうに東大寺の大湯屋が重なる景色は、言葉が出てこないほどホっと落ち着きます。今すぐ秋田県らへんに行って塩おにぎりをクソほど爆食いしたくなるような、そんなクソほど不思議な気持ちにさせてくれるクソほど心地良きスポットです。

また、夏にはクソほど大仏蛍(だいぶつほたる)が観れる場所としても知られています。

良弁杉

二月堂・舞台の目の前にそびえるように立つ杉の木です。二月堂に来ればイヤでも視界に入ってきます。

良弁とは「りょうべん」と読み、東大寺通の方であればすぐに察した通り、東大寺の初代住職である「良弁僧正」のことです。

この杉が良弁杉と呼ばれるのには理由があります。この理由については以下の別ページにてご紹介しています。

閼伽井屋

「閼伽井屋」とは「あかいや」と読み、これは修二会で使用する「お香水(おこうずい)」がタップリタプん♪タプん♪と、入っている「若狭井(わかさい)」と呼ばれる井戸がある建物になります。そんな由来から別名で「若狭井」とも呼ばれます。

”若狭”の名前の由来とは、福井県小浜市「若狭神宮寺」境内の閼伽井屋と、地下でつながっているとされていることが由来となっています。

例年、若狭神宮寺では、東大寺のお水取り(3月12日)に先駆けて3月2日に「お水送り」という儀式が執り行われます。伝承によれば10日後に福井県からこの閼伽井屋へ送られてきた水が到着するとのことです。つまりちょうど10日後の3月12日にお水取りが行われています。

したがって、普段は閉じられており、一般参拝者にはあまり関係のない建物になります。

ただし、建物自体が国の重要文化財に指定されていることから、二月堂はもとより、東大寺全体を通しての見どころの1つとなっています。

参籠所・食堂

「参籠所(さんろうしょ)」と「食堂(じきどう)」と言ってもほとんどの方は何処にあるのか分からないと思います。けれども登廊を通って舞台に上がる人は必ず、参籠所と食堂の間の通路を通り抜けることになります。

⬆️通路の左部分が「参籠所」。右側部分が「食堂」。

多くの人は通り過ぎてしまいますが、登廊の1段目の後方に見える食堂の裏側部分にはなんと!毘沙門天像が祀られています。お賽銭箱の上の鈴(御鈴)と御鈴から垂れ下がる叶緒(かねのお)までもが付けられています。

登廊を登る前には是非!毘沙門天像に手を合わせてから登ってください。

⬆食堂を真横から見た写真

修二会に参加する者はすべて、連日、慎ましい生活をします。「食堂」は食事をとる場所であり、その食堂の後方には修二会において身体を洗い清める「湯屋(ゆや)」、その湯屋の隣には「仏餉屋(ぶっしょうのや)」と呼ばれる食事を用意する場所もあります。

参籠宿所は名前の通り、修二会参加者の中でも高位の僧侶が寝泊まりする宿所になります。

修二会期間中以外でも「仏餉屋」には注連縄が付けられており、その重要度が分かります。

二月堂の湯屋

二月堂の登廊の前には「湯屋(ゆや)」があります。湯屋は名前から察しのつく通り、お湯を取り扱う建物になります。

湯屋では修二会参加者が身体を洗い清める湯殿(ゆどの)のほか、調菜(副食の調理)の場でもあり、もっとも大きな役割となるのが「湯屋宿所」いわゆる修二会の期間中、修二会参加者の宿泊所にもなります。

また、湯屋の中にはお風呂場が設置されており、修二会が開催される前に僧侶の方々は斎戒(さいかい)といってこの湯屋で身体を洗い清めて、さらに食生活や日常の生活に至るまで慎ましい生活を送ってすべてを清めます。

なお、修二会期間中以外でも、上記、「仏餉屋」に引き続いてこの湯屋にも注連縄が付けられて結界の様相が保たれています。こうまでしなければならないほど修二会という行事がいかに重要なものであるのかが分かります。

二月堂の鎮守社

二月堂には修二会の行法を守護する3柱の神を祀る神社が古来、鎮座されています。修二会の期間前(例年3月1日の午後)になれば練行衆など修二会で活躍する方々がまずは、修二会の無事の開始と終了を祈願してこれら3柱の神々にお祈りを捧げます。

これら3柱の神を祀る神社は総じて「総神所(そうじんしょ)」と呼ばれ、古来、修二会の守護神として篤い崇敬が寄せられています。

以下ではこの修二会の守護する3つの神社について述べています。

遠敷神社

御祭神
  • 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)

「遠敷神社」は「おにゅうじんじゃ」と読みます。二月堂の北東に位置する神社というよりは、小さな覆屋(おおいや)に見えますが、二月堂を守護するれっきとした神社です。

鎮座は修二会開始と同年と見れますが、現在見られるような社殿の創建は不明とされていますが、およそ1900年(明治33年)以降という伝承もあります。

東大寺に伝承される古書「東大寺要録」によれば遠敷神社の祭神「遠敷明神」が別名で「功徳水」とも呼ばれる「閼伽水(あかみず)」を奉納したとの言い伝えがあり、二月堂で執り行われる儀式、「修二会」においては開催前にこの神社へお参りされます。

飯道神社

御祭神
  • 稚皇産霊神(わくむすび)
  • 埴山媛命(はにやまひめ)
  • 軻具突智神(かぐづちのかみ)

寺伝によれば711年(和銅4年)に熊野本宮大社(和歌山県)から熊野大神を勧請して祭祀したとされます。東大寺要録によれば1283年(弘安6年)に社殿を取り巻く垣根が修理されている記述が残ることから、少なくとも鎌倉時代には当地に存在していた確かな証拠にもなります。

熊野本宮大社といえば修験道の聖地も言われ、前述した後方に位置する「龍王の滝」も合わせて、この東大寺にも山岳信仰があったことを物語っています。

なお、春日大社が建つ三笠山(春日山)には山岳信仰があったことから、二月堂の裏山も山岳信仰および修験道の山道であったと考えられます。

興福寺の寺伝によれば、その昔、寺から三笠山まで歩いて行き、滝行などをしたようです。

興成神社

御祭神
  • 豊玉媛命(とよたまひめ)

修二会では「お香水(こうすい)」と呼ばれる古来、興成神社の南側にある「閼伽井屋(あかいや)」に湧き続けている清水が仏前に奉納されます。

東大寺の寺伝によればこの水は福井県若狭(わかさ)の神宮寺と地下で繋がっており、例年、修二会開催前に「お水送りの儀式」によって若狭神宮寺より神聖な水が送水されてきます。

その送水の起源ともなったのが、2羽の鵜(う/=ウっ!…グハっ。)であり、なんでもその2羽の鵜が若狭からの水に乗って来て、岩盤を打ち破り、現在の閼伽井屋の地下から飛び出てきたそうです。

そして2羽の鵜が飛び立ったあとからは大量の水が湧き出てきたのと、遠敷明神もその水と一緒に出てきたという故事になぞらえて、現在、興成神社で2話の鵜がお祀りされているとのことです。

平安時代に「能く不死薬を取りて人に与え食せしめ、長生の齢を保たしむ」という歌(詩)が詠まれたほど、この当時から厚い崇敬が寄せられていたことを物語っています。すなわち平安時代から当地に存在する古社となります。ウフ

観音堂

二月堂の後方の山内に位置するあまり目立たない堂舎です。おそらくここまで訪れる人は極少数でしょう。人とすれ違うことすらないので、少し寂しい気分になります。..ショボぉ〜ン

普段は閉じられていますが、法要の時だけ開扉されるようです。

一説によれば、長い歴史の中で現在の二月堂の御本尊「大観音/小観音」のうちの、いずれか一尊が安置されていたとも考えられています。

なお、観音堂の奥には石造りの千手観音像が格子扉の内側でヒッソリとお祀りされています。

二月堂の隠れた見どころ「盆踊り」

東大寺二月堂では「二月堂の盆踊り」と題して年に1度、毎年9月17日に「十七夜盆踊り」が開催されます。

18時から堂内にて法要が営まれ、その後18時30分から音楽が流れはじめ、21時頃まで盆踊りが開始されます。

曲目は例年、河内音頭・江州音頭が流れ、それぞれの歌い手が登壇して曲を披露します。

二月堂の盆踊りは、1年のうちの最後の盆踊りとして踊り納めのための盆踊りとして地元民に親しまれてきましたが、近年に至っては奈良の夏の終わり告げる盆踊りとして、県外からも来訪される方増えてきています。

二月堂の盆踊り概要

  • 盆踊り会場(開催場所):三月堂手前の広場
  • 開催時間:18時30分〜21時頃まで

このほか、小規模ながら毎年、屋台も出ています。屋台といっても地元の盆踊りで町内会が出すような小規模な屋台です。運動会テントがいくつか設営され、その中に露店が並びます。

二月堂盆踊りの屋台の種類

  • かき氷
  • そうめん
  • フライドポテト
  • 冷やしぜんざい
  • みたらし団子
  • わたがし …etc

このほか、三月堂広場にある和食亭「東大寺絵馬堂茶屋」もこの日は営業時間を延長して21時頃まで空いています。




二月堂の見学所要時間

二月堂の舞台のみの見学所要時間

舞台では休憩ができたり、舞台から景色が眺望できたりします。普通に景色を眺望して去るだけであれば約15分ほどです。

二月堂の周りの鎮守社やお水取りで使用される施設を観覧する場合

周辺舞台で休憩したり、上記、二月堂の鎮守社などを巡れば周ると30分〜40分ほど必要になります。

これも人によって感覚は変わりますが、40分もあれば充分に見学することができます。

二月堂の拝観料金

二月堂の拝観料金は無料です。

東大寺で拝観料金に必要になる堂舎の一覧は以下のページをご参照ください。

二月堂の開門・閉門時間(営業時間)

二月堂に開門・閉門時間は特にありません。境内は24時間空いています。ただし、お守りや御朱印授与所および休憩所は8時頃〜17時までの営業です。

奈良 東大寺・二月堂へのアクセス(行き方)

二月堂へ主な行き方は5つあります。

1:東大寺南大門をくぐり抜けて東大寺大仏殿前にある「手向山八幡宮の鳥居をくぐって鐘楼エリアを通って行く方法

2:中門の前に広がる鏡池の手前にある「二月堂参道」を通っていく方法

3:大仏殿交差点から広がる「春日野園地」を斜めに横断して手向山八幡宮の境内を通って行く方法

4:若草山方面から手向山八幡宮を通って行く方法

5:大仏殿の裏側から二月堂の裏参道を通っていく方法

二月堂までの主要なロケーションからのアクセスや所要時間や距離は以下の通りになります。

東大寺南大門から二月堂までの距離・所要時間

  • 所要時間:徒歩約10分
  • 距離:約800m

大仏殿から二月堂までの距離と所要時間

  • 要時間:徒歩約6分
  • 距離:約450m

二月堂へのアクセス(行き方)についての詳細は以下の別ページをご覧ください。

 奈良・東大寺 二月堂の「アクセス(車・バス・電車・タクシー)・駐車場・住所・場所・電話番号」(地図付き)

【補足】二月堂を含めた東大寺全体を通しての拝観所要時間

見学コースの詳細の解説「移動時間と距離」

⬇見学コース詳細地図

「南大門」


見学時間:5分
次のロケーション:大仏殿までの移動時間:7分(550m)

「大仏殿」


見学時間:25分
次のロケーション:鐘楼までの移動時間:4分(300m)

「鐘楼」とその付近周辺


見学時間:10分
次のロケーション:二月堂までの移動時間:6分(450m)

二月堂


見学時間:15分
次のロケーション:三月堂までの移動時間:3分(180m)

三月堂


見学時間:15分
次のロケーション:手向山八幡宮までの移動時間:2分(130m)

手向山八幡宮


見学時間:15分
次のロケーション:春日野園地・吉城川(奈良公園)までの移動時間:7分(600m)

春日野園地(奈良公園)」と「吉城川(よしきがわ/奈良公園)


見学時間:-分(個人により異なる)
次のロケーション:東大寺ミュージアムまでの移動時間:5分(390m)

東大寺ミュージアム


見学時間:35分

帰途or駐車場

見学所要時間:約2時間30分

内訳

  • 約2時間
  • 移動時間:約35分

距離

  • 約3キロ
スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。