正倉院の有名な宝物一覧

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瑠璃の坏

正倉院でもっとも異国の文化様式を感じられる宝物に「ガラス細工」があります。
22コのガラスの輪の装飾が施された「瑠璃の坏」はペルシャ・ササン朝(イラク)からもたらされた宝物です。

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瑠璃の坏」は「るりのつき」と読み、このようなガラスの輪の文様は、当時のペルシャ・ササン朝のガラス工芸の大きな特徴の1つです。

そんな経緯からヨーロッパからシルクロードを介して中国の都・西安へ運ばれて、最終的に「シルクロードの終着駅」と呼称される日本へ伝わったものだと云われています。

「瑠璃の坏」の素材は「コバルト」を用いて発色加工された「アルカリ石灰ガラス」が使用されており、同様の品々が朝鮮半島からも出土していることから、一説では「古代ペルシャの工芸技術」と「朝鮮半島の工芸技術」が結び付いた一品であるとも云われています。

白瑠璃碗

白瑠璃碗は、「はくるりのわん」と読み、正倉院の数あるガラス工芸品の中でももっとも有名で価値が高い一品です。
円形の文様が約80個あり、隙間なく敷き詰められたデザインをしています。

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白瑠璃碗が有名になった原因の1つに、幻想的な美しさを観ることができるからです。
白瑠璃碗を上から見ると、まるで「万華鏡の世界」に入ったような幻想的な世界が映し出されます。
この白瑠璃碗は、交易や様々な取引に使用され、世界中に約2000点の現存が確認されています。

そしてなんと!正倉院の白瑠璃碗は、全世界に散らばる2000点の同様の宝物の中でも、きわめて当時の状態を維持している貴重な一品と云われています。
この白瑠璃碗は、西洋のワインと共に、ワイングラスとして全世界へ流通していったのではないか?・・とも考えられています。




漆胡瓶(しっこへい)

漆胡瓶とは、「しっこへい」と読み、ペルシャから西安を通して日本の正倉院(奈良)へ伝来した正倉院の数ある宝物の中でも一際、威容を誇る珍品です。
漆胡瓶は、名前から察することができる通り「水瓶(みずがめ)」です。

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瓶の本体部分は、装飾が施されており、これに「把手(とって)」が本体部の側面に付けられ、足元は「台脚(だいきゃく)」が備え付けられています。
ちなみに「漆胡瓶」の「胡瓶」の意味とは、ペルシア語で「風水瓶」の意味があります。

瓶には「鳥」「獣」「花」「雲」の文様が描かれており、平脱(へいだつ)」の技法で制作されています。
「平脱の技法」とは、金銀の薄く延ばした板を、あらかじめ削り取った文様に貼り付けて、その上から漆を塗り、最後に金銀の部分を瓶の表面と合わせて平らに仕上げて行く技法です。

正倉院・螺鈿紫檀五絃琵琶

螺鈿紫檀五絃琵琶は「らでんしたんのごげんびわ」と読み、これは音を奏でる「琵琶(びわ)」です。

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天平時代の唐では、日本の貴族文化と同様に宮廷文化が芽生えていました。
その宮廷文化の特徴を告げるものに「演奏」があります。
「演奏」とは、単純に楽器を使用して音を奏でる演奏のことです。
琵琶が作られた当時の唐の皇帝は「玄宗皇帝(げんそうこうてい)」で、妻は世にも有名な「楊貴妃(ようきひ)」です。

現在、正倉院で保管されている螺鈿紫檀五絃琵琶は、制作された中国にも現存しておらず、世界で唯一、日本の正倉院だけに現存しているお宝中の超お宝です。
琵琶の「撥面(ばちめん)」の部分には、「螺鈿(らでん)」で「ラクダに乗るペルシャ人」が描かれています。
「螺鈿」とは「木画の技法」に準えたもので、夜光貝などの素材をあらかじめ模様に沿って切り抜いておき、同時に琵琶の本体の木地も模様に沿って切り抜いておき、最後に琵琶本体の木地へハメ込んで装飾を完成させていく技法です。
このような螺鈿の技法も「天平期の先人が残した卓越した技法」の1つと言えます。

部品の素材には、珍種の1つでもある「夜光貝(やこうがい)」の貝殻が使用されており、たとえば花ビラの文様1つに対して、30cm級の大きな夜光貝からやっと1枚取れるほどの贅沢さを持って制作されています。
「西の彼方の国々から伝来した技法」と「インドの南の海の珍種と言える貝」が中国の唐・西安で結びつき、世にも美しい形となって日本の都・奈良へもたらされました。

正倉院・「古櫃 (こき)」

この奈良 東大寺・正倉院「本倉・宝物庫」の内部には、「古櫃 (こき)」と呼称される箱があります。

この箱の中には、かつて天平期の数々の宝物が納められていました。

 

%e5%8f%a4%e6%ab%83-%e3%81%93%e3%81%8d近年の調査から、この古櫃の内部は温度が適度に保たれるようになっていることが分かっており、つまり古櫃は宝物を保管するための保管庫であったことが判明しています。

古櫃が保管庫であった理由の1つとして、古櫃の足元を見ることで理解が可能となります。

ちょっと↑の写真の古櫃の形状をよくご覧ください。

4本の脚に支えられて宙に浮いいるのが分かるハズです。

4本の脚を用いて宙に浮かすことで、真下からの地熱を伝えないようにしています。
さらに4本の脚それぞれにも工夫が凝らしてあり、なんと!脚の先の部分が斜めにカットされています。
これも極限まで地熱をカットし、極力温度を一定に保つための先人の卓越した技法の1つであり先人の大いなる知恵の1つとも言えます。

そして注目すべきは古櫃の周りに塗られている色の正体です。

古櫃の周りは赤紫色に染められており、この赤紫色は染料が使用されています。

この染料は「タイ」や「インド」特産の「蘇芳(すおう)」と呼称される染料が使用されており、日本へは7世紀の後半(西暦650年から700年頃)に伝来しています。
なぜ蘇芳が使用されたのか?・・については、一説では蘇芳には「魔除け」としての役目があったと云われており、それに紐づき「飲薬(=くすり)」としての役目もあったのではないか?とも云われております。

その他、蘇芳は多様な使用ができることから「永遠」と言う意味合いで、永久の現存を願って蘇芳で染めたと云われております。

尚、この当時の装飾品には、「透かし彫りの技法」で制作された装飾品が多数存在しており、これらの装飾は「飾り」と言うほか「魔除け」の役目もあったと云われています。

その他、現在では正倉院にあった宝物のほとんどは最新の空調設備が設置された、正倉の東西両脇に位置する「西宝庫」と「東宝庫」へ移されて保管されています。

しかし、今でも正倉院・正倉に安置されている宝物があり、その1つにこの「古櫃」が挙げられます。




正倉院・「金銀平脱背八角鏡」

「金銀平脱背八角鏡」とは、「きんぎんへいだつはいの はっかくきょう」と読み、これは中国オリジナルの工芸技術が惜しみなく注ぎ込まれた「鏡」です。

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この当時の中国の工芸技術の特徴として、派手で繊細な装飾が例に挙げられます。
金銀平脱背八角鏡の「平脱(へいだつ)」とは「平文(ひょうもん)」とも言われ、中国で考え出された制作する際の技法のことを言います。

「平脱(平文)の技法」とは、文様に切り取られた「金」や「銀」の装飾を木地に貼り付けて「漆(うるし)」で染め上げて、漆が乾ききった後に下地として隠れた金や銀の装飾部分を剥ぎ取って完成させて行きます。

パーツの貼り付けに使用された「接着糊」に関しては、漆と小麦を混ぜ合わせたものや、漆自体に接着剤としての役割もありましたので、パーツが剥がれずに漆にうまく馴染むといった解釈になります。

正倉院・「平螺鈿背円鏡」

「平螺鈿背円鏡」は、「へいらでんはい えんきょう」と読み、正倉院展で展示されれば、おそらく一際、目を惹くお宝です。

派手で美しい装飾が特徴的です。

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ド派手な装飾を彩る宝石は、上述の「夜光貝(やこがい)」であり、この貝の殻を平面に切り出し、綺麗に残ったパーツのみを使用して制作された唯一無二の渾身の一作です。
その他に使用されている素材として、ミャンマーの「琥珀(こはく)」、西アジア産の「トルコ石」などです。

平螺鈿背円鏡は単に綺麗なだけではなく、シルクロードを通して結集された世界中の文化が、このわずか40cmの鏡に凝縮して収められているとも言えます。

正倉院・「金銀花盤」

「金銀花盤」は「きんぎんかばん」と読み、これは「皿」であり、古来の東大寺の重要な法要で使用されていたそうです。
中央の鹿は角に花が生えており、これは後ろから皿を叩いて形作ったものです。

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因みに、花の角を持つ鹿は「幸せを招く霊獣」として崇められており、シルクロードの工芸品に多数、見ることができます。

尚、当時の中国・唐の都である「西安(長安)」は、世界の中心的都市とも言われており、この当時の世界中の品々が西安に集まっていたと云われています。

正倉院・「楽毅論」

楽毅論は「がっきろん」と読み、聖武天皇の皇后であった光明皇后が44歳の時に直筆で書いたとされる古文書のことです。

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楽毅論の「楽毅(がっき)」とは、中国の燕国の名将・楽毅のことです。
楽毅は武人として有名ですが、武術に秀でるばかりではなく、人徳と知略も兼ね備えた武将で文武両道の名将として知られています。
楽毅は兵法にも通じており、武術をあえて用いず話し合いで戦争を回避し、兵力と国力を損なうことなく勢力を大きくして行きました。
光明皇后は、そんな中国の名将である楽毅の「むやみに人を傷つけない」といった生き方に共感し、楽毅の書を自ら写したと云われています。

話は少し反れますが、聖武天皇は大仏建立の際、途方もない計画に戸惑いがあったと云われています。
そんな戸惑う聖武天皇の背中を押して、大仏建立を強く進言した人物がいます。
その人物と言うのがなんと!聖武天皇の妻である上記の「光明皇后」だったと言います。
光明皇后は楽毅の教えから「多くの人々を救済すること」を学び、聖武天皇に大仏建立を強く進言したと言います。




正倉院・「紫檀木画槽琵琶」

「紫檀木画槽琵琶」は、「したんもくがのそうのびわ」読みます。まさしく正倉院を代表する宝物と言えます。

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少し話は変わりますが、19世紀のヨーロッパでは日本の文化が大流行し、この時に正倉院に安置されている「紫檀木画槽琵琶」もヨーロッパ中に紹介され、世界的な著名ブランドの創始者「ルイ・ヴィトン」もルイ・ヴィトンの代表的なデザインである「モノグラム」のデザインのヒントにしたと云われています。

琵琶のオモテ面の撥面(ばちめん)の部分には、絵が描かれた皮が貼り付けられています。
さらに裏にも装飾が施されており、象牙や鹿の角を用いて「花ビラの模様」が散りばめるように形作られており、有名なのはこの裏面のデザインです。

琵琶は天平の当時、中国の宮廷で女性の楽士によって奏でられていた楽器の1つであり、これら楽器と演奏の文化が当時の日本の都・奈良へ伝えられています。

その事実を証明するかのように実際に、この当時の日本では「雅楽寮(ががくりょう)」と呼称される楽士たちが寝泊りして練習するための寮が造営されていたことが判明しています。

尚、現在の日本では正倉院の庫内で保管されていた宝物の状態が良かったことが幸いし、天平当時に実際に奏でられていた演奏の再現に成功しています。

正倉院・「桑木木画碁局」

桑木木画碁局」は「くわのきもくがのききょく」と読み、マス目は全部で「324マス」あります。

%e6%a1%91%e6%9c%a8%e6%9c%a8%e7%94%bb%e7%a2%81%e5%b1%80これらのマス1つ1つは、碁盤にマス状の切り込みを入れて制作されているのではなく、なんと!正方形に切り取った木のパーツを碁盤の上に貼り付けて制作されてます。
側面は、上記の夜光貝を用いた装飾が施されています。
この当時、唐やウイグルでは碁を打つ女性が絵画に描かれていることから、この当時宮廷で日常的に碁が打たれていたと考えられています。

正倉院・「黄熟香(蘭奢待)」

蘭奢待は「らんじゃたい」と読み、大きさは全長1.5m、最大直径37.8cm、重量11.6kgもあります。
正倉院では、「黄熟香(おうじゅくこう)」として登録されていますが、一般的には「蘭奢待」の名前の方で通っています。
蘭奢待とは「香木(こうぼく)」であり、香木とは「香り(香料)」の原材料となる樹木です。

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産地はベトナムで採取の後、中国の西安へ運ばれて、その後に日本の都であった奈良へ伝来したと伝えられています。
香木の種類は限られおり、一般的には「白檀(びゃくだん)」・「沈香(じんこう)」・「伽羅(きゃら)」の3つのことを指します。
正倉院に安置されている蘭奢待は、成分の分析結果から「沈香樹」であると判明されています。
沈香樹の大木は現地でもなかなかお目にかかれない代物であり、ある程度成長した大木からでないと採取することができないことから、かなり希少な樹木の1つと言われています。

香木は通常、生きている内に伐採して採る方法と、根元や幹が腐食して倒れた樹木から採取する方法とがありますが、古来では生きている樹木から採るのではなく、倒れた樹木から採取していました。
倒れた樹木は、通常は油脂がなくなって乾燥して行き、やがて「土に還る」か「風に包まれて流されて行く」ことになります。
しかし、いきなり完全に朽ちるのではなく、部分的に香りを維持したまま「沈香の油脂」をタップリ含んだ箇所があるそうです。

最終的に、油脂をタップリ含んで乾燥している箇所を見つ出して採取したものが、香木になるのだそうです。
倒れた樹木が「佳い」とされる理由とは、表面は乾いているため加工が必要なく、長持ちし匂いが特に佳いそうです。
現在、正倉院にある蘭奢待は、まさに上記の「沈香」であり当時でも値段の付けようがない超一級品であったことが推測されます。

正倉院の宝物グッズもある!

正倉院の宝物は、実は現代においては様々に形を変えて商品にもなっています。

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