【史跡名勝天然記念物】東大寺・戒壇堂(戒壇院)の歴史(由来)・建築様式(特徴)・大きさ・作った人・見どころを‥‥‥知りたぃ?

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奈良 東大寺・戒壇堂(戒壇院)【史跡名勝天然記念物】

創建年

  • 755年(天平勝宝7歳/奈良時代)
再建年

  • 1282年(弘安5年/鎌倉時代)※修理
  • 1732年(享保17年/江戸時代)
大きさ

  • 横幅:約12m
  • 奥行:約8m
建築様式(造り)

  • 寄棟造
  • 正面向拝付き
屋根の造り

  • 本瓦葺
  • 裳階屋根付き
史跡名勝天然記念物登録指定年月日

  • 1932年(昭和7年)7月23日
造営者

  • 鑑真
発願者

  • 聖武天皇

◉東大寺公式HPよりのお知らせ

戒壇堂の拝観停止と千手堂特別公開のご案内※更新1/4

東大寺戒壇院戒壇堂は保存修理及び耐震化工事のため、令和2年7月1日(火)より約3年間拝観受付を一時停止しています。
この間、四天王立像は東大寺ミュージアムにて拝観頂けます。文化財保護のため、ご協力をお願い申し上げます。
また、拝観停止となる戒壇堂に代り、通常非公開の戒壇院千手堂(戒壇堂西隣)を7月4日より特別に公開します。
 ・拝 観:厨子入千手観音像・四天王像・鑑真和上像(いずれも重要文化財)ほか
 ・期 間:7月4日(土)~約3年間予定(但し、2月15~3月5日は拝観停止
 ・時 間:8時30分~16時(但し、毎月6日は法要後10時頃より)
 ・料 金:600円(中学生以上) 300円(小学生)

 東大寺公式HPはコチラ

関連記事: 東大寺・千手堂の特別一般公開日(日程)や拝観時間・場所と行き方について

東大寺・戒壇堂(戒壇院)の読み方

東大寺・戒壇堂の読み方は「とうだいじ かいだんどう」と読みます。その他、戒壇院(かいだんいん)とも言います。

東大寺・戒壇堂の「戒壇」の言葉の意味

戒壇堂の「戒壇(かいだん)」とは、僧侶になるために神仏に誓いをたてて、神仏の御心によって僧侶となる許しを乞う儀式です。

つまり「僧侶になる場所」です。

仏教ではこれを「受戒(じゅかい)」と言い、過去・未来・現在の三世(さんぜ)の仏様の前で仏教における戒律を遵守する誓いをたてます。

755年(天平勝宝7年/奈良時代)、聖武天皇の目下、日本で初めての公式的な「授戒」を執り行う儀式の場として、僧侶の「鑑真(がんじん)」がこの戒壇院(戒壇堂)を創建したと伝えられています。

鑑真とは?

鑑真とは「がんじん」と読み、中国出身の僧侶です。盲目の僧侶であったと伝えられています。

当時は造船技術がままならないため、渡航に5回も失敗を重ね12年目6度目の正直で753年(天平勝宝5年)12月、ようやく日本への渡航が成功しています。

一方、この当時の日本はと言うと「受戒」という発想がなく、戒律を授ける僧侶もいなかった時代でした。

このため鑑真は754年に戒壇(かいだん/受戒させる石壇)を大仏殿に造営し、聖武天皇はじめ、妻の光明皇后(こうみょうこうごう)、孝謙天皇(こうけんてんのう)、その他、約440人を受戒させています。

そして755年、この時、大仏殿前に造営された石壇を西側に位置する現在の場所に移して造営されたのが、現在みることのできる戒壇院(戒壇堂)になります。

ちなみにこの時、鑑真が造営した戒壇は「二段構成の石壇」で「長方形の形」しており、「金属製の約1メートルの六重塔」が石壇の四隅に置かれていたそうです。

⬆戒壇のイメージ

ただし、重塔は通常、三重、五重、七重などの奇数で造営されることから、6重塔(六重塔)は非常に稀なケースとなるため、その信憑性が問われています。

話は逸れますが、この後、鑑真は「大和上」の僧位を賜り、759年(天平宝字3年/奈良時代)に同じ奈良に位置する「唐招提寺(とうしょうだいじ)」を創建しています。

創建当初の戒壇院(戒壇堂)の伽藍の構成

実はこの戒壇院(戒壇堂)は創建当初と現在とでは、伽藍の様相が変わっています。といいますのもお堂でありながら1つの寺院さながらの伽藍が形成されており、創建当初の伽藍には以下のような建物がありました。

  • 金堂(現在の戒壇堂)
  • 講堂(不寝堂)
  • 僧房(そうぼう/僧侶が生活する場所)
  • 食堂(じきどう/飯をドテッ腹にブチ込む場所)

これらの伽藍の様相は東大寺所蔵の戒壇院指図(室町時代【重要文化財】)に描かれていたものであり、かつてはこれらの建造物の周囲を廻廊(かいろう)が取り巻いていました。

現在の戒壇院には金堂、庫裡(くり)の他、千手堂(せんじゅどう)が向かって左脇に建てられているのみです。

なお、千手堂は一般公開されていませんのが内部には「千手観音」「十一面観音」が安置されていますので、せめて、お参りができるようにとの配慮から天井付近に銅鑼(どら)が設けられています。

⬆千手堂の外観

東大寺・戒壇堂(戒壇院)の建築様式(造り)

戒壇堂(戒壇院)は一見すると、二重(2階建て)に見えますが、一重(1階建て)の建造物です。

つまり「裳階屋根(もこしやね)」として本来の屋根の下にもう1枚、屋根が付けられていると言ったことになります。

また、江戸時代の再建と言うこともあり、江戸時代の建築の特徴が堂舎に見ることができます。

その特徴と言うのが全体的に「唐様(禅宗様)」の建築が見受けられます。

扉は禅宗様の代表格でもある「桟唐戸(さんからと) 」であり、正面の貫(ぬき)の両端の「渦状の木鼻(きばな)」も禅宗様に見ることのできる特徴です。

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戒壇院(戒壇堂)に見られる火灯窓の形状は裾部分が大きく広がっているのが見えますが、これは江戸時代の再建を示す証拠とも言えます。また、火灯窓が据えられた建物には、ほとんど内部に仏像が安置されていることを意味します。

堂舎の壁面には「二手先」や「三手先」と言った出組がなく、これは建築技法が進化してきたことを示すものであり、比較的、近世の建築様式を示すものです。




東大寺・戒壇堂(戒壇院)の歴史

この東大寺戒壇院は、東大寺要録によれば755年(天平勝宝7年)9月に建立され、内部に金銅四天王像華厳経の厨子が安置されました。

899年(昌泰2年/平安時代)11月24日には、天皇を退位されて”上皇”となった京都仁和寺の開基である「宇多天皇」が、この戒壇堂にて受戒されています。

現在の戒壇堂は江戸時代に再建されたことから、内部には「金銅四天王像」および「多宝塔(たほうとう)」と、その多宝塔の中に「釈迦如来」「多宝如来」が安置されています。

多宝塔は江戸時代再建のときに同時に造営されたものとなり、高さ約5メートルほどの仏塔になります。その内部に上記、像高約30㎝ほどの釈迦如来と多宝如来が安置されていますが、現在の戒壇堂に安置されている如来坐像は模造された像であり、本物は現在、東大寺ミュージアムに安置されています。戒壇堂での法要の時にのみ、戒壇堂へ遷(うつ)されるようです。

東大寺には、かつて国家の祭祀の中心となる大伽藍が造営されていたとされていますが、これらの伽藍も1180年(治承4年)、1446年(文安3年)1月1日、1508年(永正5年)、1567年(永禄10年)と、4度の火事で焼失したと伝えらえています。

戒壇堂が当地に建立された予想外の本当の理由とは?

天竺の寺院と戒壇堂が建つ場所の土は同じ味するから建立したってぇ?!

当地に戒壇堂を建立した理由がこれまた滑稽な話で、なんとぉぅぉぅ〜!!『土の味が天竺の寺院が建っている場所の土と同じ味がしたから』と聞けば驚かれますでしょうか。

これが事実だとするのであれば、とんでもない話です!

上述のとおり、鑑真和上は盲目の僧侶とされ、盲目故に身体の感覚は研ぎ澄まれたされていたようですが、自身が日本に渡海する前に滞在した「天竺・那蘭陀寺(ナーランダ)」が建つ地の土と、この戒壇堂が建つ場所の土は、同じ味がしたとのことで当地に建立を決めたそうです。

それで土の味はどんな味??

実は戒壇堂の土の味を示す地名が奈良市にあるとすれば、さらに驚かれますでしょうか?

実は奈良市には「尼ヶ辻(あまがつじ)」という地名が存在しますが、元来「甘ヶ辻」と書かれたようで、一説では「甘い土(あまいつち)」に訛りが生じて「尼ヶ辻」と呼ばれるようにになったとも云われます。

ちなみにこの尼ヶ辻は奈良市内になりますが、戒壇堂とはかけ離れた唐招提寺近くになります。「唐招提寺」と聞いてピーンときたカンの良い方もいると思いますが、そうなんです。

ズバリ!鑑真和上に言わせれば「唐招提寺が建つ場所の土も、この戒壇堂や天竺・那蘭陀寺と同じ味がした」とのことだそうです。

いや〜、しかし驚きです。

戒壇堂(戒壇院)の歴史(年表)

1180年の火難

特に1180年の南都焼討の際、平重衡が放った戦火は勢いが凄まじく、東大寺の伽藍が全焼に至っています。戒壇院の伽藍もことごとく焼失しています。

1446年の火難

1446年の火事ではかつて伽藍に存在したとされる受戒堂、講堂、長老坊など伽藍の堂舎がことごとく炎上していますが、この一件については1448年(文安5年)1月29日、東大寺長官(造寺司/ぞうじし)の藤原俊秀が再建を命じています。

1508年の火難

1508年(永正5年)の火災は講堂からの失火によって、かつて存在したとされる東室(ひがしむろ)・北室(きたむろ)・西室(にしむろ)から成る3棟の僧房「三面僧房」が焼失しています。

1567年の火難

1567年(永禄10年)には、畿内の覇権をめぐって松永弾正と三好3人衆の間に諍いが生じ、これが戦へとエスカレートし、畿内(大阪府)を中心にこの東大寺にまで戦火が拡大します。

松永弾正が正倉院付近に多聞山城を築いたこともあり、この戦い(通称:大仏殿の戦い)では東大寺の伽藍が戦場になっています。同年5月18日、戦火によってこの戒壇院(戒壇堂)含め、東大寺伽藍はほぼ全焼に至っています。

1590年(天正18年)5月3日には関白秀吉(豊臣秀吉)が小田原征伐で関東へ下向する際、大仏の古材(銅など)を集めて、この戒壇院にて熊野神社(愛知県)へ奉納するための大鰐口(おおわにぐち)を鋳造しています。

その後、1594年(文禄3年)に仮堂が建てられ、1731年(享保16年/江戸時代)の再建において「戒壇堂」と「千手堂」「庫裡(くり)」が再興され現在に至っています。庫裡は東大寺最大の法要とも言える修二会(しゅにえ)で参籠所(別火坊)としても使用されます。くり?..気円斬っ!

現在の戒壇堂の伽藍図

なお、千手堂に関しては、もともとは法華堂(3月堂)の境内にあったようですが、上述した南都焼討によって法華堂の伽藍も焼失し、再建された時にこの戒壇堂へ移される形で再建されています。

1991年(平成3年)

1月、戒壇堂(戒壇院)の南門から東側のあたりの地下から、奈良時代の鋳造遺跡出土しています。

1998年(平成10年)

5月には戒壇堂(戒壇院)を向かい見て左隣りの千手堂の失火により、千手堂が焼失しています。

12月3日に、古都奈良の文化財の1つとして世界文化遺産に指定されています。

2011年(平成23年)

2011年(平成23年)11月6日〜9日には、戒壇堂(戒壇院)にて授戒会が執り行われています。

現在見ることのできる戒壇堂は1732年の江戸時代に建立されたものです。

法華堂(3月堂)に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 東大寺 三月堂(法華堂)の「見どころ・拝観料金(入場料金)・見学所要時間・営業時間・アクセス(行き方)」

東大寺・戒壇堂(戒壇院)の見どころ

戒壇堂の堂内仏像配置図

見どころその1. 「四天王像」【国宝】

戒壇堂に内部中央には、二重の須弥壇が設置されており、その中央に「法華経見宝塔品(けんほうとうほん)」に基づく木造の多宝塔が建てられています。その多宝塔を中心として右奥に「多聞天」左奥に「広目天」手前右に「持国天」手前左側に「増長天」が配置されています。

また、戒壇堂の内部は四天王像を周りながら拝観できるようになっていますが、堂内は写真撮影が一切禁止となっております。

戒壇堂の四天王像に関しての詳細は、以下の当サイトの別ページにてご紹介しておりますので、ソチラをご覧下さい。

見どころその2. 多宝塔内「銅造釈迦如来坐像」&「多宝如来坐像」【重要文化財】

奈良 東大寺 銅造釈迦多宝如来坐像:「銅造・多宝如来坐像」 :「銅造・釈迦如来坐像」

造立年

  • 不明
  • 752年(天平勝宝4年)から767年(天平神護3年)/奈良時代
重要文化財指定年月日

  • 2013年(平成25年)6月19日

「銅造釈迦如来坐像」&「多宝如来坐像」の読み方

「銅造・釈迦如来坐像」は「どうぞうしゃかにょらいざぞう」と読みます。もう片方の「銅造・多宝如来坐像」の読み方は「たほうにょらいざぞう」と読みます。

戒壇堂(戒壇院)「銅造釈迦如来坐像」&「多宝如来坐像」に関しての詳細は以下のページをご参照ください。

みどころその3「戒壇堂の御朱印」

戒壇堂では中央に「四天王」と墨書きされた御朱印を授与していただくことができます。

中央に「国宝 四天王」と書かれた御朱印

  • お布施(値段):300円

現在、戒壇堂でいただける御朱印は通常、この1種類のみとなります。

他に下記のような戒壇院・千手堂の特別公開時には限定御朱印が頒布されることがあります。

戒壇院・千手堂の期間限定御朱印

東大寺・戒壇院が約3年間をかけての長期修理に入るとのことで特別一般公開された千手堂の御朱印です。

千手堂は平時は扉は閉扉され、外側からしか拝観できないのが通例ですが、特別公開されたから驚きです。

おそらくこの後、数年、いや数十年はこのような機会はないかもしれません。

千手堂の名前の由来は、察しのとおり、内部に鎌倉時代に造立されたと伝わる千手観音立像が祀られているからです。

  • お布施(値段):300円

なお、後述していますが、千手堂の特別一般公開は「大仏殿」や「三月堂(法華堂)」と同じように入堂料金が別途、必要になってきますので、ご留意ください。

えぇっ?!戒壇堂の仏像はその昔、法華堂(3月堂)に安置されていた?!

実は上述の四天王像ですが、一説によると、なんと!かつては法華堂で安置されていたとも考えられています。

その根拠となるものが法華堂の「八角形の須弥壇(しゅみだん/豪華な仏壇)の形状」にあります。

法華堂の八角形の須弥壇はご本尊「不空羂索観音菩薩立像【国宝】」が安置される須弥壇以外にも「他に7つの須弥壇が存在した痕跡」が発見されたようで、その内4つの須弥壇の形状が、この戒壇堂の四天王の台座の形状とピッタリと一致したそうです。

⬇三月堂(法華堂)の内部図

この事実から当初、四天王像は法華堂に安置されていたとも考えられています。

戒壇堂が緊急工事?拝観停止はいつまで?

戒壇堂は2020年6月末をもって、耐震化工事と保存修理を目的とした拝観停止が予定されています。拝観停止期間は2020年時点で3年間の予定です。

戒壇堂の拝観停止期間

2020年7月1日~およそ3年間(終了日は未発表)

拝観停止期間中の「四天王立像」の見学はどこで可能?

戒壇堂が拝観停止の間、四天王立像に関しては東大寺ミュージアムで安置され、見学できることが決まっています。

ただし移動等のため、2020年7月1日~22日までは拝見することができず、東大寺ミュージアムでの公開は2020年7月23日です

戒壇堂が拝観できない代わりに「戒壇院千手堂」が特別公開に!

東大寺戒壇堂の拝観停止期間中、代わりに、戒壇院千手堂が特別公開されることが決定しています。戒壇院千手堂は通常非公開のお堂です。

堂内に安置されているのは、御本尊の厨子入り千手観音立像、さらに重要文化財に指定されている鑑真和上坐像、愛染明王坐像。この機会に是非拝見したいですね。

戒壇堂の非公開は7月1日からですが、戒壇院千手堂の公開期間は7月4日からですので、お間違いのないように。

  • 戒壇院千手堂の公開期間:2020年7月4日~

東大寺・戒壇堂の拝観料金

こちらのページでご紹介する料金などは変更になっている場合がありますので、最新情報は公式ホームページなどでご確認ください。

東大寺では大仏殿、法華堂(三月堂)、戒壇堂に拝観料金が必要になります。拝観料金は各それぞれで必要になります。

この他、上記以外の堂舎にての特別開扉時にも別途、拝観料金が必要になります。

大人(大学・高校)

  • 500円600円
中学・小学

  • 300円

東大寺・戒壇堂の「拝観料金割引適用媒体」

団体割引(30名以上)

大人(大学生以上):450円→550円
高校生:400円(教職員は無料)→500円(教職員無料)
中校生:300円(教職員は無料)→400円(教職員無料)
小学生:200円(教職員は無料)→変更なし

※追記※

2018年1月度より以下のような理由で拝観料金が値上げになっています。

  • かつて東大寺に存在の七重塔を含めた東塔院跡の調査、発掘のため
  • 増加する参拝客の場内整理のための人員、資材確保のため
東大寺・戒壇堂の「新・拝観料金(2018年~適用)」

  • 大人(中学生以上)を500円から→「600円」※100円UP
  • 小学生は現状維持(個人:300円・団体200円)

東大寺・戒壇堂の拝観時間

季節(月) 拝観できる時間
11月から2月 8時から16時30分
3月 8時から17時
4月から9月 7時半から17時30分
10月 7時半から17時

季節により変わりますから、気をつけてください。

なお、現在の戒壇堂は「旧東大寺境内の建造物」と言うことで「史跡名勝天然記念物」に登録されています。内部も写真撮影は禁止されています。

※追記※

拝観時間も2018年1月度より以下の時間帯に変更になります。

東大寺・戒壇堂の「新・拝観可能時間(2018年~適用)」

  • 4~10月は開門午前7時半、閉門午後17時30分
  • 11~3月は開門午前8時、閉門午後17時

奈良駅から東大寺・戒壇堂の場所(地図)

JR奈良駅および近鉄奈良駅から奈良交通バス「春日大社方面行き」へ乗車して「奈良県庁前」で下車
↓(徒歩約10分/距離約600m)
戒壇堂

大仏殿から戒壇堂への行き方

東大寺・戒壇堂の場所は東大寺大仏殿と国道369号線の間になります。南大門から東大寺・大仏殿へ入り正面、左脇です。
※近鉄・JR奈良駅からもっとも近い東大寺境内のお堂です。

  • 大仏殿から徒歩約4分

東大寺・戒壇堂(戒壇院)のお問い合わせ先(住所・電話番号)

住所:奈良市雑司町406-1(東大寺内)
電話番号:0742-22-5511(東大寺・寺務所)

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