【円光大師二十五霊場/第11番札所】東大寺指図堂の歴史(由来)や建築様式(特徴・大きさ・作った人)と見どころを‥‥‥知りたぃ❓

スポンサードリンク

奈良 東大寺「指図堂」【円光大師二十五霊場/第11番札所】

創建年

1181年(治承5年/鎌倉時代)

再建年

1852年(嘉永5年/江戸時代)

建築様式(造り)

入母屋造り
平入
正面向拝付

大きさ

横幅:約10m
奥行:約8m

屋根の造り

本瓦葺

安置仏像など

法然上人像
阿弥陀三尊立像
阿弥陀如来坐像

発願者

重源上人※創建時
浄土宗徒一同※再建時

東大寺「指図堂」の読み方

東大寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎が存在しますが、「指図堂」は「さしずどう」と読みます。

東大寺「指図堂」の名前の由来

この「指図堂」は、1180年(治承4年)平清盛主導による平重衡の南都焼討によって焼失してしまいます。この時の延焼は凄まじく、東大寺の大伽藍をことごとく焼き尽くし焼け野原にしています。

この後、師・法然上人から東大寺の再興を懇願され、東大寺の勧進職に就くことになる重源上人によって東大寺の再建計画が始まります。

この時、大仏殿再建計画の「指図(設計図面)」が収蔵された堂舎であることに由来して「指図堂」の名前が付されています。

東大寺「指図堂」の歴史・由来

上述の1180年の南都焼討によって荒れ果てた伽藍を再び再興するために重源上人はこの「指図堂」を再建計画の中心となる堂舎に指定します。

また、一説では1576年(永禄10年)に勃発した三好三兄弟・松永弾正の戦いで大仏殿で戦闘が繰り広げられた際、この指図堂にも戦火が飛び火して焼失したとも云われています。

この事実は1998年(平成10年)に指図堂周辺で発掘調査が行われた際、16世紀(戦国時代)の地層から「焼土層」が発見されており、この事実から指図堂まで兵火が及んだ可能性が示唆されています。

重源上人の東大寺再建計画

重源上人の再建計画では主に3つの工程に分かれていたと伝えられています。⬆重源上人(坐像)

 1つ目の工程

1つ目の工程は、1181年(治承5年)から1185年(文治元年)の約5年間です。
1185年には大仏再建が成り、開眼供養が営まれています。

この工程では、まず指図堂の造営を行い再建計画の拠点として、大仏さんの再建が主な工程となります。
しかし国内の職人たちに声をかけ、職人たちに間近で大仏さんを見せた所、職人たちはあまりにも大仏さんが大きかったため、また損傷が激しかったため匙(さじ)を投げてしまいます。
そんな時、重源上人は国外の職人が博多に来ていることを耳にして、この職人たちに声をかけます。
この職人たちは中国・宋から来ていた「陳和卿(ちんなけい)」と呼ばれる職人たちで、大仏再建の話をすると快く承諾してくれます。
後、その話を耳にした日本の職人たちも数人が戻って合流することになります。
日本の職人:14人、宋の職人:7人、総勢21人です。
何よりも陳和卿たちの実力が凄まじく大仏さんの再建はあっさりと終わってしまいます。この後、後白河法皇の詔によって大仏開眼供養が営まれます。開眼式を主導したのは東大寺別棟職の「定遍(じょうへん」が勤めています。

 2つめの工程

2つめの工程は、1186年(文治2年)から1195年(建久6年)までの約6年間です。
1195年には大仏殿が再建され落慶供養が営まれています。

この工程では、大仏殿の再建が目標です。
さっそく再建の話を聞きつけた源頼朝が東大寺に再建の費用を寄進したいとの申し出があります。
しかし大仏殿再建の一番の悩みとなるのが用材の調達でした。
近畿圏の目星となる木々は伐採されつくしていたからです。
ここで頼朝卿が周防(山口県)に用材となる木々があると知り、周防を東大寺の寺領としてここから用材を切り出して運ぶ入れるよう命を下します。
それでも用材が足りなかったため、重源は用材の使用をできるだけ控える建築方式を考えることになります。
ここで生み出されたのが「大仏様(だいぶつよう)」です。
重源は大仏様を組み入れることで工期を短くした上に、耐久度も備えた再建に成功します。
後、1195年(建久6年)3月12日、大仏殿の再建が成り、落慶供養が営まれます。
この落慶供養では頼朝も心からの喜びを表現するかのように関東一円の御家人たちに命を下し数万人の軍兵を東大寺へ向けて出陣させています。
この時の有名なエピソードに東大寺・転害門に伊藤景清(平景清)が頼朝暗殺のために潜み、頼朝が転害門を通りかかった時に襲い掛かる予定だったハズが、襲いかかる前に怪しまれてあっさり捉えられしまうことになります。
後世ではこの事件から「景清門」とも呼ばれるようになったというエピになります。
尚、大仏殿の再建が成った後、重源は1ヶ月ほど休息のため高野山へ引き篭ります。

 3つめの工程

最後となる3つ工程が1195年(建久7年)から1203年(建仁3年)までです。1203年には再建完成となる総供養が営まれています。
最後は東大寺の伽藍の再興です。
つまり堂舎の造営になります。
南大門、法華堂(三月堂)、戒壇堂、東塔、廻廊、大湯屋、良弁堂などの再建です。
南大門の再建では運慶・快慶を主力とする慶派が予想外の働きを見せて工期を大きく縮めます。(仁王像2体をわずか69日で再建)

この後、1206年(建永6年)に重源は86歳という当時では長寿ともいえる年齢で惜しまれつつもこの世を去っています。東大寺・指図堂の再建から始まって約25年後のことです。

しかしこの後、この指図堂も1791年(寛政3年)に起こった強風によって倒壊してしまいます。その後、重源を慕う浄土宗の僧たちの手により、1852年(嘉永5年)に再建されています。

現在見ることのできる堂舎の姿はこの再建時の姿です。




東大寺・指図堂の見どころ

「円光大師二十五霊場」の石碑

東大寺・指図堂の入口の前の階段の右脇には石碑が建てられています。

この石碑にはこう書かれています。

円光大師二十五霊場

円光大師とは法然上人のことで、現在では浄土宗の僧侶の方々がこの指図堂へ訪れて講義や修行を行うために使用することがあるようです。

法然上人の掛け軸

堂内には金ピカの厨子(ずし)が置かれており、その中には法然上人が描かれた掛け軸がかかっていて奉安されています。

阿弥陀三尊像

法然上人の厨子を向かいみて左脇には金ピカの厨子が置かれており、この中には阿弥陀三尊像が安置されています。江戸時代の造立とのことで比較的近世で造像されたものになります。

釈迦如来坐像【重要文化財】

法然上人の厨子を向かいみて右脇にはかつて釈迦如来坐像が安置されていました。

この釈迦如来坐像は国の重要文化財の指定を受けている仏像で現在は東大寺ミュージアムに安置されています。

善円という鎌倉時代の仏師が造立でつまりは鎌倉時代に造立された仏像ということなります。

ご興味のある方は是非!東大寺ミュージアムへもお立ち寄りください。ただし必ず展示されているとは限りません。

東大寺ミュージアムに関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

阿弥陀如来坐像

法然上人の厨子を向かいみて右脇には、「金ピカの阿弥陀如来坐像」が安置されています。

阿弥陀如来は浄土宗を象徴する仏像であり、浄土宗の教理でもあります。

浄土宗では、臨終の際、南無阿弥陀仏を唱えることで阿弥陀如来が迎えに来てくださり、極楽浄土へお連れくださるといった教理があります。

法然上人をはじめとして、親鸞(浄土真宗)も阿弥陀如来に篤い崇敬を寄せています。

ちなみに阿弥陀如来を安置している寺院に有名な寺院があります。

どこだかお分かりになりますか?

・・そうです。

正解は「法隆寺」「善光寺」です。

善光寺には絶対秘仏の「一光三尊阿弥陀如来像」が安置されています。

通称・善光寺如来です。7年にたった1度しかお顔を拝することができないという秘仏中の秘仏です。

ただしお顔は拝することができるのは本尊を模して造像された如来像になります。

本尊は未だ誰も見たことが無いと伝わっている像です。

法隆寺・金堂には「阿弥陀如来三尊像【重要文化財】」が安置されています。こちらも有名な仏像です。

びんずる尊者

堂舎の外には「びんずる尊者」の坐像が安置されています。びんずる尊者は羅漢(らかん/インドでは僧侶の最高位)の1人でお釈迦様の有能な弟子の1人です。

しかし有り余る能力を、いたずらや自身の欲のために使用してお釈迦様からキツい叱咤を受けますが、その後は精進し、現在では「なで仏」として全国で信仰されています。

東大寺には、大仏殿の前にもびんずる尊者像が安置されています。

なお、このようなびんずる尊者像は、おおむね堂舎の出入口付近でお祀りされていることがほとんどです。

びんずる尊者について詳しくは当サイトの以下のページ↓でご紹介しています。

 まず目が行かない!奈良 東大寺「大仏殿」の見どころ

紅葉(モミジ)

東大寺・指図堂の堂舎の前に石階段の両脇には木々が群生していますが、その中でもひときわ、目立つのが紅葉です。

秋の紅葉の見頃時期を迎えると指図堂の堂舎と紅葉の色づきが見事なコントラストを描き、まるで1枚の絵画のようです。

指図堂の拝観可能時間・拝観料金

実はこの指図堂の位置する場所は、大仏殿が目と鼻の先でもありながら、参拝客があまり訪れることのないエリアになります。

そんなこともあってか、平日はこの指図堂は閉堂しています。

土日祝日のみ事前電話連絡することで開堂してくれるという、世界遺産指定の東大寺の塔頭(子院)とは思えないほど、長閑でとても親近感を感じることができまです。

拝観料金は無料で拝観可能時間は東大寺の開門・閉門時間に準じます。

詳細は東大寺・寺務所までお問い合わせください。

  • 電話番号: 0742-22-5511(東大寺・寺務所)

東大寺・指図堂の御朱印

ここ指図堂ではオリジナルの御朱印をいただくことができます。中央に「円光大師(圓光大師)」と大きく墨書きされた御朱印になります。


円光大師とは上述していますが、法然上人のことです。

値段は300円です。

東大寺・指図堂の建築様式(造り)

東大寺・指図堂は、大仏様、後の禅宗様の様式が見受けられます。正面左右の窓は「火灯窓(かとうまど)」が設けられています。

火灯窓は鎌倉時代に中国から伝来したもので、安土桃山時代に織田信長が茶室や城の建築に取り入れたことで広まりをみせ、江戸時代以降も数多くの建造物に取り入れられた建築様式です。

江戸時代以前、通例では火灯窓を据えた堂舎や建造物には、ほとんど仏像が安置されることが多く、これは火灯窓の形状が仏前に備えるロウソクの灯火をモチーフとしていることに基づくものです。

なお、火灯窓は裾の部分が年代を経るごとに広くなっていくのが特徴であり、指図堂の火灯窓に例えれば、裾に向けて大きく湾曲していることから、江戸期に再建されたことを物語っていると言えます。

東大寺・指図堂の場所とアクセス(行き方)

指図堂は勧進所の向かい側に位置します。大仏殿(中門)からは所要時間にして徒歩約3分ほどです。

スポンサードリンク -Sponsored Link-


当サイトの内容には一部、専門性のある掲載がありますが、これらは信頼できる情報源を複数参照して掲載しているつもりです。 また、閲覧者様に予告なく内容を変更することがありますのでご了承下さい。