【国宝】東大寺大仏殿「金銅八角燈籠」の歴史(由来)や特徴(大きさ・作った人)を‥‥‥知りたぃ❓

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奈良 東大寺「大仏殿・金銅八角燈籠」【国宝】

製作年

不明
推定:752年(天平勝宝4年/奈良時代)

大きさ

高さ:462.1cm
横幅:(笠部分)約1m

羽目板部分:たて幅:約101.7cm/横:約51.3cm

材質

銅製

重要文化財登録指定年月日

1901年(明治34年)3月27日

国宝登録指定年月日

1956年(昭和31年)6月28日

金銅八角燈籠の読み方

東大寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の堂舎や仏像がありますが、「金銅八角燈籠」は「こんどうはっかくとうろう」と読みます。

奈良時代には「金燈籠(きんとうろう)」とも呼ばれていたようです。

金銅八角燈籠が作られた時期

東大寺・大仏殿へ入ると、やはり真っ先に大仏さんのお顔を見て拝観したいところです。

しかし、多くの方が通り過ぎるだけで見落としている見どころがあります。その見どころとなるのが、この「金銅八角燈籠」です。

大仏殿の前に威風堂々と立っていて視界にはモロに入ってくるものの、立ち止まってジックリと見物している方は少ないように思われます。不思議な現象です。オホ

実はこの燈籠は、なんと!国宝指定を受けている燈籠で、さらになんとぉぅぉぅ!!天平期の創建の頃に造られた燈籠であることが明らかにされています。

つまり聖武天皇の顔をこの燈籠は知っているわけです。

おそらく戦国三大梟雄の一角ともいわれる松永弾正(久秀)の顔も知っているハズです。
やはり怖い顔だったんでしょうか??ヒェぇぇぇぇ..

以上、以下ではこの金銅八角燈籠についてお話を少ししていきたいと思います。

金銅八角燈籠の歴史・由来

金銅八角燈籠は高さが462.1cmあります。

これは日本国内の銅製の燈籠としては、最大の高さの燈籠で最古の燈籠になります。

1962年(昭和37年)に火袋の東北面・銅鈸子(どうばっし)の音声菩薩が彫られた羽目板が盗難にあい、その後、決死の捜査の末、すぐに発見されるに至りましたが、残念ながら音声菩薩以外の部分の一部が削り取られ、この部分だけは未だ発見されてはおらず捜索中です。

この部分の羽目板には音声菩薩以外にも「西」という漢字が刻まれた部分が存在していたようで、ちょうどこの部分が盗難にあって削り取られた部分となります。

現在、この部分には新たに継ぎ足されて再現されています。

しかし不運なのか幸運なのか盗難にあったことで燈籠本体から外れた格好となり、複製を製作することが可能となっています。現在、このオリジナルは東大寺ミュージアムに収蔵されています。

音声菩薩のオリジナルは東大寺ミュージアム入口付近の展示棚に常設展示されていますが、ひょっとすると展示されないこともあるかも知れませんので、来館する際は一度、電話して確認してみてください。

それと、もう少し八角燈籠をよく見てみてください。

年季が入った外観をしているものの、よく見ると僅かに金色をした部分があります。

この燈籠は大仏さんの開眼式と合わせて製作されたことまでも明らかにされていますので、おそらく製作された当初は金色に光り輝いていたものと推測されます。

特に天平時代は仏教の世界観が工芸品に再現される文化が旺盛な時代でしたので、この燈籠もその一環で製作されたものでしょう。

その証拠にこの燈籠には見事なまでの観音様が彫られています。

以下では、この八角燈籠の見どころをご紹介しているのですが、まず、燈籠の部位や意味合いついてのお話をしておきます。

金銅八角燈籠の部位の名前(名称)

まず、燈籠のもっとも上の部分には、恋真っ盛りの燃焼満載の炎を表現したような形の銅製の飾り物が据えられています。

これは「宝珠(ほうじゅ)」と呼ばれるものです。

次いで、その下の屋根の部分ですが、これを「笠(かさ)」と呼称します。

画像引用先:https://kotobank.jp/

そしてその笠の下の部分、ちょうど燈籠に火をくべる場所となるのが「火袋(ひぶくろ)」です。

火袋の呼称の由来は「袋のように膨れた部分に火をくべる」が由来になります。

次いで火袋を支えるための「中台(ちゅうだい)」があります。

さらにその中台を支え、燈籠全体の重量を地面へ伝える役目を担うのが、細長い「竿(さお)」の部分です。別名で「脚」とも呼ばれます。

竿の最下部分には「受座(うけざ)」と「反花(そりばな)」が据えられており、この部分は「基礎」と呼ばれる部分です。

そして地面と基礎の間に挟み込まれているのが、「基壇(きだん)」になります。

基壇には加工した石が据えられるのでつまり、ここからが土台になります。

基壇を土台とすることで地面に燈籠全体を固定して安定させることができます。

話はそれましたが、上述した金銅八角燈籠の火袋の部分は網目になっていて、なんと!すべてスケベになっていま・・あイヤイヤイヤイヤ、「透かし彫り」!!!で、観音様が彫られています。

「透かし彫り」とは一枚の金属や木板を道具を使って、思い描いた形通りに削っていくことです。

透かし彫りの代表例に栃木県・日光東照宮の建造物群があげられます。




金銅八角燈籠の見どころ

金銅八角燈籠の火袋の羽目板に刻まれているもの

この金銅八角燈籠の火袋は特に注目すべき見どころとなりますので、大仏殿へ訪れた際はよく目を凝らして見てください。ギロっ

まず八角なので合計で「八面の羽目板」が火袋に据えられてる格好となります。

羽目板の大きさは縦が約101.7cm、横幅が約51.3cmの長方形で銅製です。

八面の内、東西南北4面の羽目板部分は観音開きの扉になっており、この扉にはまったく同じ模様の獅子が彫られています。

他の4面の羽目板部分には以下でご紹介するような「音声菩薩(おんじょうかんのん)」が彫られています。

東北面の羽目板「銅鈸子を演奏する音声菩薩」

羽目板の位置図
⬆️正面

東北面の羽目板には銅鈸子(どうばっし)を演奏している音声菩薩が彫られています。

この羽目板が上述した盗難にあった羽目板です。現在は新しい羽目板に付け替えられています。

オリジナルは別の場所で安置されています。ちなみに「銅鈸子」とは「タンバリンのような楽器」のことです。

 

東南の羽目板「笙を演奏する音声菩薩」

羽目板の位置図

東南面の羽目板には、笙(しょう)を演奏している音声菩薩が彫られています。

この東南面の羽目板は、1933年(昭和8年)の修繕の際、付け替えられていますので、現在観ることのできる羽目板は新たに設置されたものと言われています。

尚、元の羽目板は上述の東北の羽目板に等しく、別の場所で安置されています。

笙とは10本ほどの小さな竹を集めて作った笛になります。歌舞伎で使用されることが多いです。

西南の羽目板「横笛を演奏する音声菩薩」

羽目板の位置図

西南の羽目板には横笛を演奏する音声菩薩が彫られています。横笛はご存知のとおり、笛を横にして吹くタイプの笛です。

西北の羽目板「尺八(縦笛)を演奏する音声菩薩」

羽目板の位置図

西北の羽目板には尺八もしくは縦笛を演奏する音声菩薩が彫られています。尺八(しゃくはち)はご存知のとおり、・・尺八です。

以上、笛を中心として演奏する音声菩薩が彫られています。

これらの楽器は大陸から伝来したものであり、中国・唐からもたらされた唐の文化と言えます。

当時の時代背景をこれらの彫刻群から垣間見ることができます。

東西南北の獅子の羽目板

燈籠の東西南北には獅子の透かし彫りが彫られています。この扉は観音開き状の開閉式になっていますので、ここから火袋の中に手を入れて火をくべることができます。

羽目板の位置図

獅子はどれも同じ柄で彫られていますが、ただ、北面の獅子の羽目板のみ、扉枠に1668年(寛文八年)と刻まれた刻銘があります。

これはおそらく1668年頃に修理されたことを意味するものと思われます。

ちなみにこの頃、1667年(寛文7年)に境内の二月堂が炎上し、1669年(寛文9年)に上棟式が執り行われていることから二月堂の再建工事と並行してこの八角灯籠の修理も執り行われたことになります。

金銅八角燈籠燈籠の最上部の「宝珠」にも同様の刻銘が!

金銅八角燈籠燈籠の最上部となる宝珠の部分にも、なんと!獅子の羽目板同様の刻銘があります。

ただし、宝珠の最上部の刻銘には「1101年(康和三年)」と刻まれていますので、同じく、この刻銘も1101年頃に修理されたことを意味するものと思われます。なお、1100年には、かつて存在した東塔の七重塔の修理が執り行われていますので、こちらも七重塔と並行する形で執り行われたものと考えることができます。

江戸時代には鎌倉時代の大仏殿再建に携わった名工の子孫が修理したとも

1669年(寛文9年/江戸時代)には鎌倉時代の大仏殿再建に携わったとされる陳和卿(ちんなけい)と呼ばれた名工の子孫「釜屋弥左衛門」という人物が修理したと伝えられています。

この事実から理解できることは1216年に中国・宋に帰ったとされ、以降、消息が不明とされた陳和卿も、実はその後もずっと日本に滞在していたという説が浮上してくるということです。

金銅八角燈籠の竿に刻まれているもの

今度はちょっと金銅八角燈籠の竿の部分に注目してみてください。

この竿も灯篭部分にあわせて八角形になっており、よく見ると中央を分断するように線が引かれています。さらに上下2段にわたって各7本の羅線が引かれています。

これらの各線の間には経典の経文が刻まれています。

菩薩本行経=罪人を地獄へ運ぶための地獄車(火に包まれた車)について記されています。

施燈功徳経(せとうくどくきょう)=菩薩へ献灯を捧げることの口説くが記され・・おイヤイヤイヤ「功徳」!!!が、記されています。

業報差別経(ごうほうしゃべつきょう)=献灯することの功徳について、その重要度を10項目に分けて述べています。

阿闍世王受決経(あじゃせおうじゅけつきょう)=道徳と功徳のあり方を説いています。富んだ者の万燈の献灯と貧者の1燈の献灯は、さして差はないことを説いています。

ところで・・「音声菩薩」とは?

音声菩薩とは「おんじょうぼさつ」と読み、これは上述でお分かりのとおり、音楽を奏でる菩薩さまです。

現世ご利益があるかどうかは不明ですが、どうも仏教美術としての側面を強くもつ菩薩様と見受けられます。

東大寺・金銅八角燈籠に描かれた音声菩薩はいずれもフっくらとしてお顔立ちをしており、告白して成功した後のように今が絶好調~♪・・的な優雅さが感じられます。

また、どこか誕生釈迦如来【国宝】のお顔立ちと似ていることから、同年代に制作されたものと考えることができます。

天平時代では今ほど便利な道具もなかったでしょう。それでもこれだけの作品を完成させている様には驚きを通りこして・・何でございましょ。例えが出てきません。

が、まぁそんな例えが出てこないほどの気持ちと言うことで。はぃ。

【補足】音声菩薩が郵便切手に??

あまり知られていませんが、なんと!この音声菩薩が、かつて200円の郵便切手のデザインになっていたことがあります。

この音声菩薩像の200円切手は、1966年(昭和41年)6月29日に発行された切手になります。

ちなみに、この1966年には「根本中堂(比叡山延暦寺)がデザインされた60円切手」も販売されており、同時に発売されています。

東大寺・金銅八角燈籠の場所

東大寺・金銅八角燈籠は東大寺・大仏殿の階段前、中央に立っています。
中門から目視できますので、視界に入れば忘れずに間近でギロっと凝視するぐらい見てみてください。(中門は普段は木柵が設けられ立ち入ることができなくなっています。)
ただし、興奮しすぎてくれぐれも灯籠手前の石柵内には立ち入らないように注意してください。

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