林神社(漢国神社)の「まんじゅう祭りの日程・概要・所要時間」について

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林神社【漢国神社末社】

創建年

1949年(昭和24年)

社殿の建築様式(造り)

切妻造り

屋根の造り

銅葺

御祭神

林浄因命

例祭

まんじゅう祭(毎年4月19日)

ご利益

・お菓子業界繁栄
・お菓子作りの技術向上

林神社の読み方

林神社は「はやしじんじゃ」と読むのではなく「りんじんじゃ」と読み、ぬぅあんとぉぅ!日本で唯一の”まんじゅう”を祀った神社なのです。

”林神社の名前の由来”

名前の由来は、1349年(貞和5年/室町時代)に中国淅江省(せっこうしょう)から渡来した「林浄因(りんじょういん)」の”林(りん)”をとって「林神社」としています。

林神社の御祭神「林浄因命(林浄因)」とは?

林浄因とは、北宋時代の詩人・林逋(りんぽ)もしくは別称で「林和靖」と呼ばれる人物の7代目の末裔にあたる人物とされ、社伝によれば1349年(貞和5年)にこの漢国神社の前あたりの土地(奈良市林小路町)に生を得て、後に日本で初めて”まんじゅう”を作った人物と云われます。

林神社(漢国神社)の”まんじゅう祭り”の日程・開始時間(所要時間)・概要など

林神社(漢国神社)まんじゅう祭りは、漢国神社が1年のうちでもっとも賑やかに華やぐ日であり、日本全国のお菓子業界に携わる業種の方々などから、崩れるほどたくさんの饅頭が奉納されます。

なお、日本で唯一の”まんじゅう祭り”でもあることから、例年、地元奈良の人を中心として、それとなくたくさんの人が日本各地より来訪されます。

日程

林神社では、毎年4月19日例祭「まんじゅう祭り」が行われます。理由は、日本における饅頭の生みの親である林浄因の命日が4月19日だからです。ウフ

なお、神社の例祭は平日、土日祝日関係なく斎行されますので、ご注意ください。

開始時間

まんじゅう祭りの開始時間は、おおむね午前11時頃からです。

祭事の所要時間

神事は10時30分から準備が始まり、午前11時頃に開始されます。祭事自体の所要時間は約1時間となりますので、ちょうど正午(お昼)のドテっ腹がグーグーとクソやかましく鳴り出す頃に饅頭が振る舞われることになります。ナぁイスぅタぁイミン〜!(訳:ナイスタイミング)

まんじゅう祭りの概要

まんじゅう祭りは、日本全国北海道から沖縄に至るまでの和菓子屋さんから、自分のところで作った和菓子が奉納されます。よってこの日は日本全国から奉納された饅頭などの和菓子が御神前にワンサカと積み上げるようにして並べられている光景を目にすることができます。

神事では、お菓子業界の繁栄を祈念して宮司さんによる祝詞奏上の他、参列した各業者さんたちよる玉串拝礼が執り行われます。

まんじゅう祭りの流れ

午前10時頃:振る舞い茶菓子(饅頭)の整理券配布開始

午前10時30分:神事の準備

午前11時:神事開始(お菓子業者および関係者による玉串拝礼)

正午(12時):神事終了と茶菓子(饅頭)の振る舞い開始

午後15時頃:境内に人がほとんど見られなくなる(一応の終了?)

振る舞い饅頭(茶菓子)

祭事が終了した後は、上述のとおり、作りたての饅頭と「お茶」が参拝者全員に無料で振る舞われます。

振る舞われる饅頭は、林浄因が実際に作っていたとされる餡コ入りで、白いフワッとした生地の中にズッシリとした深い味わいのある餡コが入っています。ただ、餡コ入り饅頭の割りには、案外アッサリとした味わいには驚かされます。

ただし、このお饅頭は業者さんが独自に用意されるものであって、漢国神社さんには関係にないものになります。よって配布される饅頭の数には限りがあり、毎年、振る舞われる饅頭の数が異なります。

振る舞いをされる業者さんが多ければその分、振る舞われる個数も多いものとなりますが、逆に業者さんが少なければその分、振る舞われるお饅頭の数も減ります。

近年は「整理券」が神事開始前の午前10時頃から配布される!

最近はタダ饅頭の噂が広まってか、神社さんでは振る舞い饅頭の整理券を配布しています。配布が開始される時間は神事が開始される約1時間前となる午前10時頃です。

整理券がない頃は、早めに参拝してお饅頭が振る舞われるときには境内にいることが必須条件でしたが、整理券が配布されることによって境内に滞在していなくても、参拝したのちに、例えば近隣の率川神社などへ参拝して、まだ戻ってくるといったこともできるわけです。

振る舞い饅頭の終了時間

振る舞い饅頭の終了時間は特にありません。ただし、おおむね15時頃には関係者以外の人は境内にいなくなっています。

ちなみに漢国神社の拝観可能時間(営業時間)は午前6:00~午後6:00までです。

境内が休憩所になる!

まんじゅう祭りの神事が終了した後は、境内の至るところに座席(椅子)が設けられ、座って談笑しながらお茶と饅頭を、ゆるりと楽しむことができます。実に雅やひとときです。

ほとんどの参拝者が地元の年配者ですが、ホンワカとした長閑なひとときを満喫できます。




混雑状況

冒頭でも述べたように神事は平日土日関係なく執り行われます。したがって、平日に祭事が斎行される場合は、地元の人がチラホラと参拝に訪れたり、報道各社のカメラマンなどが詰めかけています。それとなんといっても日本全国約40社〜50社のお菓子関連業界のお偉いさん?や社員の方々が参拝に訪れています。

土日祝日ともなれば、会社員や学生は休みなのでその分、人も増えて境内は混雑しますが、基本的に参拝される方は年配者の方が圧倒的に多い状況です。また、境内はそれほど広くはありませんので、参拝時や振る舞い饅頭(まんじゅう)の時には門の向こうまで行列ができます。

秋には「節用集まつり」も執り行われる

林神社では、秋にも顕彰祭「節用集まつり」という、まんじゅう祭り同様の祭典が執り行われます。ただし、この祭典は子孫の書家「林宗二(饅頭屋宗二)」にちなんだものです。今度は印刷業界の方々が参拝しに訪れます。

ちなみに林神社の社殿の左右に置かれているものは石製のウンコではなく”饅頭”です。くれぐれもウンコだと勘違せぬように。オホ

⬆️石造りのウンコ..あ間違い饅頭!

漢国神社の詳細については以下の別ページにてご紹介しています。

林神社の歴史・起源と創建に至った理由

林浄因は、肉が詰まった饅頭を仏前に供えるわけにはいかないということで、独自の饅頭を開発することになります。どのような饅頭かと言いますと、小豆(あずき)を煮詰めてスリつぶし、甘葛(あまづら=甘味のあるツタ性植物)と塩を加えたものを練り合わせ、これを小麦粉で作った皮の中に詰めることで饅頭としています。

なにせ、この当時の日本では饅頭なる食べ物が珍品であったことや、当時、貴族階級で頻繁に開催されていたお茶会の席にて、お茶とよく合うことから足利将軍家を中心に上流階級層に大ヒットしたそうです。

やがて浄因は、京都にもお店を出す形で進出するようになりますが、1467年(応仁元年)に勃発した応仁の乱によって京都が焼け野原となってしまします。その際、三河国塩瀬村の親類であった塩瀬家を頼って移住することになりますが、この時、同時に名前の姓を”塩瀬”へと改名しています。

江戸時代には、大阪冬の陣で大敗を期した家康公が現在の漢国神社の境内へ逃げ込み、家康公をかくまった縁で「将軍家御用達」の銘を下賜されており、その縁でさらに東京(江戸)へも出店しています。

そして驚くのはその東京の店ですが、名前を「塩瀬饅頭」と呼称し、のぉあんと!約670年経った現在でも未だ店が健在であり、東京を本社として関東に約10店舗を展開するほど繁盛し続けているというから驚きです。

繁盛し続けた理由は、やはり家康公が「将軍家御用達」として重用したためであり、家康公死後も歴代の将軍に重用されて献上しています。

1978年(昭和53年)には、まんじゅうが”和菓子”のジャンルにも含まれることから、お菓子の神様である「田道間守(たじまもり)」を合祀して、饅頭を含めた菓子業界全体の崇敬が寄せられるようになっています。

【補足】饅頭(まんじゅう)の起源

まんじゅう自体の起源は、中国の三国時代の蜀(しょく)国の宰相「諸葛亮孔明(しょかつこうめい)」が、南蛮征伐(なんばんせいばつ)の際に羊や牛肉を詰めて配下の孟獲(もうかく)に命じて作らせたものが起源とされていますが、当時は”饅頭”ではなく、「蛮頭(まんとう)」と呼んでいたようです。

やがて時代を経る過程で、蛮頭が→「饅頭(まんとう)」になって→最終的に「饅頭(まんじゅう)」へと遷移しています。

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