奈良県・東大寺の大仏の「大きさ(高さ・重さ)・名前・歴史・特徴」(画像・写真付き)

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奈良県・東大寺の大仏の「名前・歴史・特徴・大きさ(高さ・重さ)」(画像・写真付き)

あまり知られていない!東大寺の大仏の本当の名前とは?

東大寺の大仏を、一番最初に造ろうと言いだしたのは、奈良時代の天皇である、「聖武天皇」です。

しかし、実際に工事の指揮を執ったのは「行基(ぎょうき)」と云われています。

そして東大寺の大仏には、本当の名前があります。

正式名は「廬舎那仏」と言い、「るしゃなぶつ」と読みます。

その他、別名で「毘盧遮那」とも呼称し「毘盧遮那」とは、”ビルシャナ”と読みます。

これらはインドの「サンスクリット語」の「ヴァイローチャナの音訳」という口で発した時の音訳を表現したものです。
意味合いは「太陽や光、明」になります。

中国では「光明遍照」と呼称され、「すべての万物を照らす者」という意味が込められています。

奈良県・東大寺の大仏殿にとんでもない過去が!?大仏さんの「柱の穴・鼻の穴と屋根・瓦」 の「由来・意味・歴史」「廬舎那仏」とは、太陽の意味を持ち、「宇宙の中心から太陽のように照らし続けます」という意味が込められています。

華厳経(けごんぎょう)の教理」では、廬舎那仏は、釈迦如来と同じであり、衆生(いっさいの万物)を救済する仏だと言われています。

他に、仏教における中心的な仏様として「大日如来」がおられます。

「大日如来」は密教における最高の仏様で、実はこの大日如来こそが盧遮那仏をさらに大きく発展させた存在であると云われております。

東大寺の大仏さま(盧遮那仏)が巨大な理由(大きいお姿の理由)

大仏さまが巨大な理由とは、世のすべての衆生を隈無く(くまなく/漏らすことなく)救済するためです。

「衆生(しゅじょう)」とは早い話が「生きとし生ける物」という意味になります。

東大寺の大仏さん(盧遮那仏)は「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」に御鎮座されております。

蓮華蔵世界とは、後述する「梵網経(ぼんもうきょう)」の世界観になります。

以上のことから大仏さんが巨大な理由とは、以下のような理由があげられます。

  1. 蓮華蔵世界という果てがない世界(宇宙)に座しておられるため
  2. 世のすべて衆生を漏らすことなく救済するため

東大寺を創建した聖武天皇はこの盧遮那仏の世界を現世に再現することで、すべての衆生を救済しようと考えたのかも知れません。

東大寺の大仏さんにはモデルとなった大仏さんがいた?!

龍門石窟奉先寺・盧遮那仏

この東大寺の大仏さんは聖武天皇が大乗仏教の経典を参考にして巨像にしたと考えられていますが、実はモデルとなる巨像があったと考えられています。

そのモデルとなったのが中国の「龍門石窟奉先寺(ほうせんじ)」と呼ばれる寺院にある盧遮那仏だと云われております。

この奉先寺の大仏は唐の3代目皇帝「高宗(こうそう)」が発願したと云われており、高宗の皇后「則天武后(そくてんぶこう)」が造立の指揮をした大仏と伝えられ、672年から675年の間に造像されたと考えられています。

これは東大寺・大仏建立のおおよそ70年前のことになります。

大仏殿内部の「大仏蓮弁(蓮華蔵世界図)」

ちょっと大仏さんの座っていらっしゃる足元を見てみてください。

巨大な蓮の花弁があるのが分かるハズです。

蓮華蔵世界図においての盧遮那仏は、1000枚もある蓮弁(蓮の花弁)の台の上に鎮座されています。

さらに1000枚の蓮弁の1枚1枚には、大釈迦が鎮座されており、さらにその花弁には、小釈迦が鎮座されています。

ここには「100億もの仏の世界がある」と云われています。

さらにこれら100億の仏1体1体は盧遮那仏の化仏(けぶつ/盧遮那仏の化身)と云われております。

だたし、東大寺には1000枚も蓮弁はなく「28枚」で1000枚を表現しています。(盧遮那仏の世界では1000枚の巨大な大蓮の上に座しておられます。)

ただし、この28枚は「反花(そりばな)」と「請花(うけばな)」に分かれており、各28枚あるので実際には合計で56枚ある計算になります。

蓮弁1枚の大きさとしては横幅が約1.5m、28枚の総長が約18mです。

素材が金属であったことが幸いして幾多の焼失時の火熱から免れることができたため、創建当初となる天平期の面影を数多く残しています。

東大寺・大仏殿の蓮弁に描かれている絵図の正体

さらにこの蓮の花(蓮弁)をよく見ると、毛彫(けぼり/タガネのような先の細い道具で削ること)で何かが描かれています。

1枚の葉の上部には「釈迦如来が中央に座しそれを取り囲むように左右で各11体の菩薩(合計22体)」が座している絵柄が描かれています。

↑蓮弁各1枚に描かれている「東大寺大仏蓮弁線図全体図」

中段は25段の横線が引かれており、線と線の幅は下に行くほど小さくなっています。

ここには「無色界(むしきかい)」・「色界」・「欲界(よくかい)」といった仏教における「三界」の世界観が表現されており、「4頭の動物の頭部」や「菩薩の頭部」「宮殿(建物)」などの絵柄が刻まれています。

最下部分には7枚の蓮弁が描かれていますが見受けられます。これらの蓮弁には「須弥山(しゅみせん)」とその周囲(左右)に山(金剛山)が描かれています。

これらが示すものは華厳経の世界です。

いずれも毛彫なので少し見にくいのですが、これらは「梵網経(ぼんもうきょう)」と「華厳経(けごんきょう)」の2つの教理(宇宙観)が表現されており、28枚(56枚)1枚1枚に同様の絵柄が刻まれています。

これらの絵柄(下絵)が刻まれた時期は、おおよそ749年から757年(天平勝宝年間)の間と考えられています。

ちなみに「須弥山」とは、インドの遥か南の海に存在するといわれる山のことです。

この山の頂には「善見城(ぜんけんじょう)」という城があり、城主は「帝釈天(たいしゃくてん)」です。

さらにこの須弥山には帝釈天以外にも無数の菩薩たちも住んでいます。

これらの蓮弁の中には華厳経の注釈書とも言える「摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)」や、西遊記でお馴染みの玄奘三蔵著の「阿毘達磨倶舍論(あびだつまくしゃろん」などの思想も取り入れられていると云われております。

また上述した28枚(56枚)の蓮弁が意味するところとは、梵網経の教理を表現した世界観だと云われております。

ところで・・「梵網経(梵網経)」って何?

梵網経(ぼんもうきょう)とは、大乗仏教の経典の1つで「上巻」と「下巻」の2冊に分かれた経典になります。上巻には「菩薩の階位や菩薩の世界観」などが記されています。

下巻は「仏教における戒律や道徳」などが記されています。

じゃあ「華厳経(けごんぎょう)」って何?

華厳経とは、インドの仏教をもとにした経典のことで同じく「大乗仏教」の経典になります。

お釈迦様の思想が凝縮された経典とも言われ、現在の日本の仏教の起源とも云われております。

ところで「華厳経(けごんぎょう)」って何?この経典は、ユーラシア大陸でまとめられたものが、日本へ流入し、後の日本の仏教を大きく進展させました。

大乗仏教の「大きな目標」と言うか・・「思想」は、..「目標」てアンタ。衆生(しゅじょう)」、いわゆる「生きとし生けるすべての物を漏らすことなく救済しよう」という思想です。

このため大仏さんが巨大に造像されたとするのであれば納得ができるというものです。

現在の日本においての「大乗仏教」とは「広い意味合いでの宗教」として知られており、後に大乗仏教は「浄土宗」や「臨済宗」「真言宗」と言った名前に姿を変えています。

東大寺・大仏殿の大仏さんの大きさ

東大寺・大仏殿の大仏さんの大きさ引用先・http://www.todaiji.or.jp/

大仏さん・部位 現在 奈良時代(鎌倉時代)
座高 ① 14m98cm 15m80cm
顔の大きさ(縦) ⑨ 5m33cm 4m73cm
顔の大きさ(横幅)
320cm
目の長さ ⑥ 1m2cm 1m15cm
鼻の幅 98cm 87cm
鼻の高さ 50cm
耳の長さ④ 2m54cm 2m51cm
口の長さ⑦ 1m33cm 1m9cm
足の大きさ 3m74cm 3m55cm
手のひらの長さ⑪ 1m48cm 1m65cm
中指の長さ⑩ 1m8cm 1m48cm
ひざの厚さ⑤ 2m23cm 2m7cm
銅座の高さ 304cm 304cm
石座の高さ 252~258cm 252~258cm
重さ 約250トン
広げている右手 256cm

大仏さんの鼻の穴の大きさが、大仏殿の柱の穴の大きさ(37×30cm )と同じだと言うのには、少し驚きます。

これが、現実に生きている人間と仮定するならば、これだけ大きい鼻だと、鼻クソが溜まって仕方がないですね。

ホジるのも面倒なので、鼻の穴に常に、指を突っ込んでおく必要が出てきます。息でけん

東大寺の大仏さまが作られた理由(目的)

東大寺の大仏さまが作られた時代(奈良時代)は、田畑で作物を育てる技術がなく、また、治水などの技術も乏しかったため、穀物が収穫できませんでした。

また、貴族などが覇権を争ったため戦も絶えず、国民は疲弊していました。

このような状況から、聖武天皇は大きな力でこの世を包み込むような形で救いたいと願います。

そこで、登場してきたのが毘盧遮那仏がいる世界です。

上述の梵網経が描く蓮華蔵世界の仏さまは巨大なので、仏様が大きければ大きいほど仏力が高いと考え、多くの人々を救済できると考えました。

蓮華蔵世界とは「れんげぞうせかい」と読み、これはまさに上述した千葉(せんよう/千枚)の大蓮華がある世界のことです。

盧遮那仏は蓮華蔵世界の大蓮華の上に座し、すべての衆生を救済するために100億もの分身を作って座しています。

また毘盧遮那仏自体も、その巨大な身体を用いて世のすべての衆生を救済する仏様なので、真摯に祈りを捧げる者はすべて救済してくださいます。

以上のようなことから盧遮那仏の世界を現世に再現すべく聖武天皇は発願に至り、造立されることとなります。

しかし、毘盧遮那仏を造立するに際して、問題が発生しました。

その問題とは毘盧遮那仏が50mもの高さがあることでした。

つまり、当時の技術では約50mもの直立した巨像を造れる技術がなく、座像(約16m)であれば造立が可能であるという結論に至りました。

 東大寺の大仏さんの造立に使用された材料と材料の使用料

材料 重さ
499トン
すず 8.5トン
水銀 2.5トン
440kg
1194m
人夫 おおよそ260万人

奈良の大仏さんが造立された当時の日本の全人口は、600万人から700万人ほどと云われています。

つまり、260万人ということは当時の日本の人口の約40%もの人が大仏さんの造立の作業に従事していたことが分かります。

現代では見当も付かないほどの、「途方もない規模の大事業であった」ということが理解できます。

東大寺の大仏さんのつくり方(造像方法)

東大寺・大仏造立の現場指揮を執ったのが、国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)と伝えられています。

大仏さんを造像する時、大仏さんの足元から造像していきます。

以下でご紹介するのは、公麻呂が考案した造像方法になります。

まず、木組みを足元から組んでいきます。

組んだ骨組みに粘りの強い土(粘土)で、おおまかな大仏さんの形を作ります。

しばらく、乾かして・・

この乾いた粘土を原型として、その外側に包む形で粘土を塗り込みます。
ただしこの時に原型との間に隙間を空けて塗りこみます。

1回目に作成した型(原型)と2回目に作成した型の間が少なければ少し削るなどして調整を加えます。大仏さんが巨大なので隙間を作るのは難しいことではありません。

今度は外側の粘土を乾かします。

上記の隙間この部分に炉で溶かした「銅」を流し込みます。

小刻みに、数回に分けて銅を少しずつ、流し込みます。

全体に銅が行き渡ったところで、少し放置します。

銅が冷めて、固まったところで、土を盛って一段上げて作業台を作ります。その後、次の部位に取り掛かります。

※上半身や頭部に行くつれて大仏さんの周りに土を盛っていきます。(山にしていきます)土を盛ることで台が必要なくなり作業がしやすくなります。

これを上半身まで繰り返し行います。

上半身までいった所で山になった盛土を取っぱらうのと同時に外側の粘土も崩していくと銅製の原型が現れます。

大仏さんの銅の表面に塗装をします。(鍍金を塗り込む)

完成です。

上記の工程を見る限りでは、簡単そうに見えますが、実は長い長い期間がかかります。

あまり知られていない!「金アマルガム技法」とは?

ちなみに、大仏造立の仕上げとなる鍍金の際には「金アマルガム技法」という方法が用いられています。

アマルガム」とは「水銀」と「金」を混ぜ合わせた金属です。製造方法としては「水銀」と「金」を「炉(熱)」で溶かして、乾いて固形状になったものが「アマルガム」です。

この「アマルガム」を「金メッキ」として利用し、大仏の表面にコーティングしていきます。

なにせ、大仏造立事業は国を挙げての大事業でしたが、人足は確保できても材料までの調達は難しかったようで、金や水銀の採取は困難を極めたそうです。

このため材料を採取するために日本のあらゆる地域から金や水銀が東大寺まで運ばれたそうです。

そして最終的には、なんと!400キロ以上もの金と、2500キロもの水銀が用いられて完成を迎えています。

大仏さんの鋳造にかかった期間(年月)

形作り
  • 約1年半ほど
銅を流す工程
  • 約3年ほど
仕上げ作業(研磨・型の補正)
  • 5年
仕上げ作業(鍍金の塗装)
  • 5年

他にも、東大寺の大仏さんの背中には、「光背(こうはい)」と呼ばれる大きな「輪っか」があります。

この輪っかを作るのにも、それなりの期間を要します。

大仏さんの光背つくりの工期
  • 約8年半

伝承によると、ここまでの合計でなんと!!約28年という、途方もない年月がかかるそうです。

現代の技術力なら、おそらくパパっ!パっ!パリっ!・・プぅ。。..などと、数年もかからずに簡単に出来てしまうような作業です。

ちなみに東大寺の大仏さんの造立の費用(建造費)ですが、なんと!!驚くことに現在価格にして4657億円もするそうです!(関西大学大学院会計研究科しらべ)


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東大寺の大仏さんが歩んできた歴史

東大寺の大仏さんは、世界最大のブロンズ像と言われています。

743年(天平15年)から造立が開始され完成は752年(天平17年)です。

完成までに約9年もの歳月がかかっています。

  • 733年:三月堂が創建
  • 743年:大仏造顕の詔(紫香楽宮/滋賀県)
  • 745年:(天平17年):平城京に再遷都
  • 747年(天平19年):大仏造立開始(東大寺)
  • 749年(天平勝宝元年):大仏が完成を迎える
  • 752年:大仏開眼
  • 1180年(治承4年):平重衡の南都焼討。東大寺の大伽藍が炎上
  • 1181年(治承5年):重源上人の手で大仏再建計画が立つ。実行。
  • 1185年(文治元年):後白河法皇が中心となって2回目の大仏開眼が再び執り行われる
  • 1195年(建久6年):大仏殿・落慶の法要が営まれる
  • 1567年(永禄10年):三好三兄弟と松永弾正(久秀)との間に諍いが勃発。東大寺境内が再炎上。
  • 1684年(貞享元年):公慶上人の主導による大仏再建計画が立つ。実行
  • 1691年(元禄4年):大仏再建が成る。
  • 1709年(宝永6年):大仏殿再建が成る。落慶の法要が営まれる。

実は東大寺の大仏さんは当初、「紫香楽宮(しがらきのみや)」と呼称される現在の滋賀県近江国甲賀郡に存在した聖武天皇の新都で造立が開始されています。

紫香楽宮は聖武天皇が743年(天平15年)に新都として定めた都になります。

この新都に上述の中国「龍門石窟の盧舎那仏像」を復元しようと考えたのが大仏造立の詔です。

しかし紫香楽宮も火災や地震などの災害に見舞われ、結局、平城京に再び都を遷す(うつす)ことになります。

その後、747年(天平19年)に大仏造立計画自体も平城京近くの東大寺に遷されて大仏の造立が開始されることになります。

東大寺・大仏殿の大仏の歴史「過去に2回火災で焼失している」

東大寺の大仏殿、大仏共に、過去に2回も火災で焼失しています。

えぇっ?!東大寺は過去に2度も火事で燃え尽きて灰になっていた??1度目は1180年(治承4年/平安時代)、平清盛の命令を受けた「平重衡(たいらのしげひら)」が、南部焼き討ち(奈良県)を行ったときに大仏を焼失しています。

しかしその後、「俊乗坊・重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)」と言う、僧侶が寄付を集め、5年後に再興して開眼法要を行っています

俊乗坊・重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)とは?

俊乗坊・重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)とは?俊乗坊・重源とは、紀氏(きし)と呼ばれる、和歌で有名な「紀貫之(きのつらゆき)」の祖先にあたると言われている人物です。

紀氏は和歌山の豪族であり、当時では格の高い出自でありながら、重源はわずか12歳の若さで出家して、法然の弟子となっています。

その後は、法然のもとで一心に修行に励み、61歳の時に後白河法皇の庇護を受け、東大寺を再び建て直す許可を得ることに成功します。後に東大寺の再建の総責任者に抜擢されています。

この時に、以前より交流のあった、中国・宋の技術者・陳和卿(ちんなけい)を呼び寄せて、力を合わせて東大寺の大仏殿、大仏を再建することに成功します。

俊乗上人・公慶上人に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

奈良 東大寺(俊乗堂)・俊乗上人坐像【国宝】

奈良 東大寺「俊乗堂」

しかし、その甲斐もむなしく、1567年(永禄10年)に足利義輝公を暗殺して畿内の覇権を牛耳った三好三兄弟と松平久秀との間に覇権争いが勃発し、この争いの兵火によって焼失してしまいます。

この戦いは東大寺の境内が主戦場となって行われましたが、松永久秀の兵が東大寺に布陣した際、兵が起こした失火の延焼によって、大仏殿や大仏を含めた東大寺の伽藍は再び焼失に至ります。

この時、大仏さんは全焼を免れていますが、頭だけ焼け落ちて無くなってしまいます。

知られていない真実の歴史!「大勧進・山田道安」と「大スポンサー織田信長」

その後、一般的には大仏さんは屋根なし首なしの状態で100年以上、雨風にさらされたまま放置されていたと伝えられていますが、実は、画家の山田道安(やまだどうあん)の手で簡易的に木造の銅張りの頭が据えられています。

この山田道安とは松平久秀と畿内の覇権争いを繰り広げた筒井順慶(つついじゅんけい)の叔父にあたる人物で、山辺郡山田岩掛城の城主だと伝えられています。

道安は1569年(永禄12年)に東大寺の惨状を見かねて大勧進を申し出て、まず、胴体の修復を行い、1572年(元亀3年)には頭部を銅板で修復したと云われております。

さらにこの道安の勧進活動に心動かされた、「東大寺の僧侶たち」の働きによって、時の天皇であった正親町天皇(おおぎまちてんのう)が心を動かし、天皇自らの宸筆(しんぴつ)によって日本全国の諸大名(織田信長、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、徳川家康など)へ大仏再建の浄財の寄進を募る書状が出されています。

あまり語られていませんが、実はこの時の大仏再建計画に尽力した功労者の1人が織田信長です。

信長は自らの家臣団および全所領の民百姓に至るまで浄財を寄進するように命令を下しています。

その結果、簡易的な仮堂も造営されており、つまり大仏さんの威容がかろうじて回復に至るまでの再建が成ったことになります。

しかしこの仮堂も1610年の大風(一説では台風)によって倒壊し、つまりは今日、史実で語られている「露座で雨風にさらされた大仏」になっています。

本来であれば、再び建て直されるところなのですが、大仏再建の最大のスポンサーであった織田信長が京都・本能寺にで散り果て、再び戦乱の時代に戻ってしまったため、再建計画は破綻に終わっています。

以上が後世にて明確に伝えられていない空白の部分の歴史の真相です。

その後、1692年(元禄5年/江戸時代前期)、東大寺と同じ大乗仏教「南都六宗(なんとろくしゅう/りくしゅう)」の1派「三論宗(さんろんしゅう)」の僧侶「公慶(こうけい)上人」の尽力によって大仏さんは再建されています。

東大寺・大仏さんの部位による再建、時代分け

現在見ることのできる大仏さんは、上述のように2度、火難に見舞われており、その都度、再建されてきています。

しかし、材質が金属であったために全焼は免れており、焼けてしまった部分を都度、補修する形で再建されています。

  • 胴体前面・両足の前面・台座の大部分は「天平時代創建時のもの」。
  • 胴体の背中下部(おケツ/組まれた両足の背面部)は、「1185年(文治元年/鎌倉時代初頭)の再建」。
  • それ以外の頭部・肩・胸・背中・両腕は「1692年(元禄5年/江戸時代初期)の再建」。

以上のことから、おケツを残した上半身のほとんどは江戸時代再建時のものとなります。

尚、この盧遮那仏は上述したように天平期の面影を残す遺構の1つとして「銅造盧舎那仏坐像」の名前で1958年2月8日に「国宝の登録指定」を受けてます。

その他、1998年12月には「古都奈良の文化財の1つ」として「世界遺産(文化遺産)」に登録されています。これは日本で7番目の世界遺産指定になります。

大仏さんの特徴

特徴・その1「頭のボツボツは、何ていうの?当時流行していた髪型?」

これは東大寺の大仏に限らず、大仏全般にして言えることですが、大仏の頭のブツブツ(仏仏)は、「螺髪(らほつ)」と呼ばれています。

大仏の頭のボツボツ螺髪の「螺」とは、「巻貝」のことを意味し、右巻きになっているそうです。

大仏の頭の螺は、それぞれ大きさや重さが異なる

大仏の頭の螺は、それぞれ形が異なるため、真円ではありません。

東大寺の大仏さんの「螺」1つの大きさは以下のようになります。

東大寺の大仏さんの「螺」1個の大きさ

  • 直系:約22cm
  • 高さ:約21cm
  • 重さ:1200g(1.2キロ)

螺髪の「螺」とは、巻貝のことを意味し、右巻きになっているそう

東大寺の大仏さんの螺髪の数

  • 全部で966個※訂正→492個(2015年11月の調査で判明)
  • 492個483個(2016年1月8日の調査で判明)

※螺髪の研究に関しては、当サイトの別記事にてご紹介していますので、其方をご覧ください↓

特徴・その2「おでこ」にあるホクロは、本当にホクロ?

大仏の眉間の間には、よくホクロのようなものを見かけます。

確かに、ホクロの様に見えますが、これはホクロではありません

白毫(びゃくごう)」と言われる「産毛」の一つと言われています。

大仏の「おでこ」にあるホクロは、本当にホクロ?眉と眉との間に、右まわりに生えている産毛が、くるくると丸まって巻き付いています。

白毫を伸ばすと1.5mにもなるそうです。

白毫の意味と由来とは?

白毫(びゃくごう)の意味と由来とは、全世界の隅々まで慈悲の光が届き、悩む人や悲しむ人、苦しむ人を見落とすことなく、救済するためのものであると言われています。

そして、大仏さんの「おでこ」の髪の毛の生え際にも、丸いぶつぶつが1つあります。

これは、「肉髻珠(にっけいしゅ、にっけいじゅ)」などと呼ばれていて、仏の知恵の光を表わす珠(じゅ)と言われています。

大仏の「おでこ」の髪の毛の生え際にも、丸いぶつぶつが1つ

特徴・その3:「大仏さんの手の形は何ていうの?」

大仏の手の形は独特な形をしています。

これを「手印(しゅいん)」と言います。

右手は手のひらをこちらに向けて中指を少し曲げています。

施無畏(せむい)」という形です。

施無畏(せむい)」という形

これは、「恐れることはない」という意味があると言われています。

 

また、「与願印(せむい よがんいん)」という形もあります。

大仏の左手は、ひざの近くで手のひらを上に向け、こちらも中指を少し曲げています。

 

与願印(せむい よがんいん)」という形

これは、「願いをかなえてあげます」という意味になります。

えぇっ?!大仏さんの手の指の間に「水かき」があるぅ?!

驚く方も多いのですが、実は大仏さんの手のひらの間には、水かきがあるといいます。

これは、人間の目では、なかなか見ることができないものなのですが、確かにあるそうなのです。

そして実はこの「水かき」にも、意味や由来があると言います。

大仏さんの「水かき」の由来・意味

大仏さんの、手の指の水かきの意味や由来は、「正しい純粋な心を持つ人々を、漏らすことなく救う」と、言う意味合いがあるそうです。

これを「手足指縵網相(しゅそくしまんもう そう)」と言います。

そして、実は、この大仏さまに関わらず、仏像すべてに言えることなのですが、仏像(仏)には、32個もの由来や意味といった古来からの歴史があり、身体の特徴として持っているそうなのです。


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話は変わって..仏像の32個の由来や意味、歴史と、仏像の身体の特徴って?

まず、仏像の32にも及ぶ、容姿の由来や意味を「三十二相(さんじゅうにそう)」と言います。

さらに、この仏像には、80個もの特徴が備わっており、これらを「三十二相」と併せて、「三十二相・八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう(ごう)」と言い、32個の表面的な「由来意味」と、80にも及ぶ、特徴があるそうです。

以下では、仏像の「32個と80の特徴と由来・意味・歴史」をご説明したいと思います。

「三十二相・八十種好」の一覧

1.足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう)
地を踏みしめた足の裏は、あまりにも、真っ平ら過ぎて、細い髪の毛すら入る余地がない。  

2.足下二輪相(そくげにりんそう)
仏像の足の裏には、実は、「千の輻(ふく)」があると言われ、さらにそれが、「輪(わ)」を成していることから「千輻輪相」と言う、刺青(いれずみ)のような形をしたものが、初めから出来ている。
この足で地面を踏みつけると、足にある「千輻輪相」の形が、地面に映し出され、人々に恐れの念と畏敬の念を宿らせる。
これは、仏像の足の裏が、極限まで真っ平らであるが故に、できる。

3.長指相(ちょうしそう)
人であれば、足が真っ平らであれば、ゴツゴツとした足を思い浮かべますが、仏の足の指は、か細く、長くて、真っ直ぐである。

4.足跟広平相(そくげんこうびょうそう)
人であれば、「足のカカト」は丸まっているが、仏像の足のカカトは、地面に対して真っ平らである。

5.手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)
手の指の間だけではなく、足の指の間にも水かきがある。
この由来は、上記でご説明したとおりである。

6.手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう)
救うとすべくすべても人々を救うために、その手足は骨の概念が無いほどに柔らかい。

7.足趺高満相(そくふこうまんそう)
足の甲が亀の甲羅のように高く盛り上がっている。

8.伊泥延膊相(いでいえんはくそう)
膝(ふくらはぎ)が「伊泥延」と言う名前の鹿のように細く丸い

9.正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましつそう)
立ったままの姿勢でも、身体が柔軟なので、膝をマッサージできるぐらい両手が長い。

10.陰蔵相(おんぞうそう)
「陰相(いんぞう)=男根・性器」が、身体に隠れているので、目には見えない。

11.身広長等相(しんこうちょうとうそう)
身長と両手を伸ばした長さが同じ。

12.毛上向相(もうじょうこうそう)
身体中の毛と言う毛は右巻きで、整髪剤を付けたかのように上に向く

13.一一孔一毛生相(いちいちくいちもうしょうそう)
身体中の毛穴と言う毛穴すべてに、一つは必ず毛が生えていて、毛穴からは、良い香りを発している。

14.金色相(こんじきそう)
身体全体が、まともに直視できないほど金色に輝いている。

15.丈光相(じょうこうそう)
身体中から光を四方へ放っている。その光の輝きは直視できない。

16.細薄皮相(さいはくひそう)
皮膚が薄く、汚れても、すぐにキレイになっていく。

17.七処隆満相(しちしょりゅうまんそう)
両手・両足・両肩の「僧帽筋」周辺や首筋(うなじ)の計7ヶ所の筋肉が、たくましく盛り上がっている。

18.両腋下隆満相(りょうやくげりゅうまんそう)

両腋(両ワキ)が、平らでヘコみがない状態。またヘコみがないことを、常に「心が豊か(=余裕)」であることに由来する。

19.上身如師子相(じょうしんにょししそう)
上半身の容姿が、鍛えなくても生まれつき、獅子のように立派で勇ましい。

20.大直身相(だいじきしんそう)
身体が比べるモノがないほどに、果てしなく大きい

21.肩円好相(けんえんこうそう)
肩の形が丸い。この形は円満と言う、心根が由来する

22.四十歯相(しじゅうしそう)
40本もの歯を持っている(人間の限界は32本)。
その歯一つ一つは、白く光輝く。

23.歯斉相(しさいそう)
歯が健康的でどれも大きい。そして歯並びが美しい。

24.牙白相(げびゃくそう)
40本の歯以外にも、犬歯が生えている。その犬歯の鋒は鋭く、剣をも砕く。

25.師子頬相(ししきょうそう)
頬の形が、獅子の王のように膨らんでいる。これは豊かであることに由来する。

26.味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)
どんなモノを食べても、最上級の味を味わえる

27.大舌相(だいぜつそう)
舌は、広く長く、顔全体を覆うことができる。そして舌の先端は髪の生え際まで届く。

28.梵声相(ぼんじょうそう)
声は細く小さいが、果までも声を聞くことができる。その声は梵天と言う仏のような、美しい声をしている。

29.真青眼相(しんしょうげんそう)
目の色が青く瑠璃のように透き通り、青蓮華のように美しい。

30.牛眼睫相(ぎゅうがんしょうそう)
まつ毛は、牛の王のごとく、長い。そして乱れることはない。

31.長髻相(ちょうけいそう)
頭の形が女性が髪を束ねたように、緩やかに盛り上がっていて丸みを帯びている。

32.白毛相(びゃくもうそう)
眉毛と眉毛の間に、右巻きの白い毛が生えている。この毛は白く光輝き、伸ばすと4.5メートルもある。

80の特徴(一例)

  • 福耳=耳が肩まで届く程垂れ下がっている。
  • 耳たぶに穴が空いている。
  • のどに3本のシワがある。
  • 眉毛が長い。
  • 鼻の穴が見えにくい。
  • ヘソが深く、そのヘソは右回りに渦を巻いている。

東大寺・大仏を造立した「真の人物」とは??

東大寺の大仏や大仏殿は、聖武天皇が発願して、行基が造立の責任者であると後世では云われております。

しかし、これが本当の事実ではありません。

その理由とは、以下↓で示す事柄から理解することができます。

すでに、あなたもご存知かと思われますが、3月に東大寺・二月堂では、「修二会(しゅにえ)」が執り行われます。

この修二会では、「過去帳」というものが読み上げられ、過去に東大寺に功績を残した人物や関連のある方々の名前が読み上げられます。

過去帳が読み上げられる時の一番最初には、実はなんと!!「東大寺の大仏を造立したとされる人物の名前が読み上げられている」のです。

東大寺・大仏殿の大仏の造立に携わったとされる人物

  • 大伽藍本願・聖武皇帝
  • 聖母皇大后宮・光明皇后
  • 行基菩薩
  • 本願・孝謙天皇
  • 藤原不比等右大臣(諸兄左大臣)
  • 僧正・根本良弁
  • 当院本願・実忠和尚
  • 大仏開眼導師・天竺菩提僧正
  • 供養講師・隆尊律師
  • 大仏脇士観音願主・尼信勝(信勝尼)
  • 同脇士虚空蔵願主・尼善光 (善光尼)
造寺知識功課人(造立作業における各チームのキャプテン)
  • 大仏師・国公麻呂(だいぶっしくにのきみまろ)
  • 大鋳師・真国(だいいもじさねくに)
  • 高市真麿(たけちのさねまろ)
  • 鋳師・柿本男玉(いもじかきのもとのおだま)
  • 大工・猪名部百世(だいくいなべのももよ)
  • 小工・益田縄手(しょうくますだのただて)
材木知識(ざいもくのちしき):51590人
役夫知識(やくぶのちしき):166万5071人
金知識(こがねのちしき):37万2075人
役夫(やくぶ):51万4902人

「修二会・過去帳」名前の意味と人物の特定

「大伽藍本願・聖武皇帝」

これは、「聖武天皇(しょうむてんのう)」のことです。
「盧舎那仏造顕の詔(大仏の造立の発願)」を出した人です。
すなわち、直接、工事には関与していません。(天皇陛下ですしね)

「行基菩薩」

ご存知、日本全国を旅して、田畑を耕し、治水を行い、国の礎を築いた人物(僧侶)です。
日本中を転々と旅をして、その土地で上記のような慈善活動を行ったので、日本中の人々が行基に恩義を感じていました。

そして、行基の一声で大仏の造立に日本全国から人々が集いました。
これはお世話になった行基への恩返しのためです。

つまり、行基がいなければ大仏を造るのに相当な年月がかかっていたか、造れなかったかもしれません。

「大仏師・国公麻呂」

「国中公麻呂」、「国中連公麻呂」という人物のことだと云われております。

この方は、大仏の形を創作した人物だと云われており、他にも、大仏殿の建築の責任者でもありました。

「大鋳師・真国、高市真麿、鋳師・柿本男玉」

漢字が並んでいて、分かりにくいですが3人の人物がいることを意味しています。
この3人に中のラスボス的存在が「大鋳師・真国」だと云われております。
「大鋳師真国」とは「高市真国(たけちのさねくに)」という名前の人物だと云われております。
この3人が、抜群のチームワークをもって大仏の鋳造を担当し、また、自らが作業をすると共に、鋳造チームを率いていたのだと考えられております。

「大工・猪名部百世、小工・益田縄手」

このお2人の人物は大工と小工とあります。

おそらく、大きい部品(大まか部分)の建築を「猪名部百世」が行い、細かな部分の建築を「益田縄手」という人物が中心になって行っていたのでは?・・と云われております。

「東大寺要録本願章第一」

東大寺には平安時代から伝承される古い書物があります。
その書物の名前を「東大寺要録本願章第一」といいます。

この書物では、749年(天平勝宝元年)の12月から751年(天平勝宝3年)の6月に螺髪の数が966個という数が報告されていたそうです。

しかし上述した2015年の調査では、螺髪の数が483個しかないことが判明しています。

これについてはこのような考え方も伝わっています。

上述したとおり、大仏さんは江戸時代に再建されています。

この時に造立の指揮にあたった人物が「その時代の流行りの作風(さくふう)を用いて造立した」とも考えられています。

これらのことから、分かる事実とは「奈良時代・創建の大仏さん」と「江戸時代(元禄年)再建の大仏さま」とでは、大きさが異なっていたのではないか?・・などとも考えられているようです。

「大仏さんのお身拭い」

いつも、ピカピカで綺麗な大仏さんですが、実はチャント掃除をしている方がいるから綺麗なんです。

つまり、いくら途方もない仏力を持つ大仏さんでも、そのままではホコリを被ってしまい、お身体にサビや老廃化が起こってしまします。

そこで東大寺では、年に一回、大仏さまの掃除をしています。

つまり、大仏さんの頭にシャンプーしてトリートメントして、キレイきれいイイ匂い~♫、したり、耳クソをカッポじいたり、鼻クソをホジくりまくるワケですな!

その大仏さんの1年に一回のキレイきれいの日を東大寺の行事として、「お身拭い(おみぬぐい)」と言うのです。

この行事は、毎年8月7日の午前7時から開催されます。
※「開催」はおかしいので「行われます」ですな。ワッハ(=笑)

この行事、なんと!一般の参拝者も見ることができます。

ただし、朝の7時30からです。

東大寺・「お身拭い(おみぬぐい)」は大人気!

この日は1年にたった1回の大仏さんのキレイ♪きれい♫の風呂場を覗くために、早朝6時頃から行列ができるほどの人気です。

7時頃ともなれば、長蛇の行列ができあがっています。

東大寺・「お身拭い(おみぬぐい)」の概要(内容)

この行事では、清められた真っ白の衣装(白装束)を着たお寺(僧侶)の方々が、早朝の7時を皮切りに全員でお経を唱え、その後、一斉にキレイきれい~♪が開始されます。

大仏さんのお風呂は、なにせ、年に1回のお風呂なので、時間がかかり所要時間、優に約2時間30分を要します。

大仏さまのセクシぅぃぅぃ~~入浴シぅぃ~ーンを、見てみたい方は、ぜひぅぃ!!

ちなみに、この「お身拭い」の行事は、古来では東大寺の住職の任期中にたった1回だけ行わる行事だったそうです。

【補足】「大きさを比較!!」東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんてドチラが大きい??

日本に鎮座される大仏さまのうち、「大仏」と聞いて「パっ!」・・と、脳裏に浮かぶ大仏さんと言えば、鎌倉の大仏さんと東大寺の大仏さんです。

そして、こんな疑問も浮かんできます。

「いったい、どっちが大きい??」

以下↓は東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんを比較した表です。

名称 鎌倉 奈良
像高 11.30m 14.98m
台座 2.05m 3.05m
重さ 約124t 約250t

ちなみに、鎌倉の大仏さんは1242年に造立が開始されたと云われております。

しかし、作られてから、わずか9年の後に再び造立し直しているそうです。

他にも比較できた!!「東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんの違い」

鎌倉の大仏さんと、東大寺の大仏さんを見比べて、比較する人は数多くいます。

その理由は人間の性(さが)というものですね。

「知りたくなる」からです。

鎌倉の大仏と東大寺の大仏さんを見比べてみると、容易に分かることなのです。

手の形が違う

鎌倉の大仏さんの手の形は「阿弥陀・定印(上品上生印/親指と人差し指で輪を作っている)」
東大寺の大仏さんの手の形は「施無畏与願印(せ むい よがんいん)」右手が「施無畏印(手のひらを見せている)」左手が「与願印(手を下ろし手のひらを上に見せている)」

仏さまとしての名前が違う

鎌倉の大仏は「阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)」
東大寺の大仏は「盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)/釈迦如来」

宗派が異なる

鎌倉の大仏がある「高徳院」は「浄土宗」。
東大寺の大仏のある「東大寺」は「華厳宗」。

東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんの特徴からみる比較

螺髪
  • 東大寺の大仏:右巻き
  • 鎌倉の大仏:左巻き
安置場所
  • 東大寺の大仏:建屋の中(大仏殿に安置)
  • 鎌倉の大仏:野外(以前は建屋があったそうです)
作られた規模や目的
  • 東大寺の大仏:国家鎮守・安寧を祈願して
  • 鎌倉の大仏:不明
姿勢
  • 東大寺の大仏:背筋を張っている。目線は正面を向いている。
  • 鎌倉の大仏:やや猫背。目線は下向き
世界遺産登録
  • 東大寺の大仏:世界遺産登録されている
  • 鎌倉の大仏:未登録
大仏の中身に関して・・
  • 東大寺の大仏も鎌倉の大仏も中身は空洞になっています。
  • しかし、鎌倉の大仏は中身を見学することができます。(見学料金:20円)

尚、鎌倉大仏に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

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