奈良・東大寺の大仏の「大きさ(高さ・重さ)・名前・歴史(年表)・特徴」(画像・写真付き)

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奈良・東大寺の大仏の「大きさ(高さ・重さ)・名前・歴史(年表)・特徴」(画像・写真付き)

東大寺に訪れるもっともな理由は、観光はもちろんのこと、鹿クンをサワサワしたり、他にはやはり大仏さんを拝むのがもっともな目的ではないでしょうか?

以下では奈良東大寺の大仏さんの大きさ(高さ・重さ)や特徴と併せて、本当の名前や歴史を併せてご紹介しています。

奈良 東大寺「銅造盧舎那仏坐像」【国宝】【世界文化遺産】

奈良県・東大寺の大仏殿にとんでもない過去が!?大仏さんの「柱の穴・鼻の穴と屋根・瓦」 の「由来・意味・歴史」造立年

749年(天平勝宝元年/奈良時代)

再建年

861年(貞観3年/平安時代)
1195年(建久6年/鎌倉時代)
1572年(元亀3年/室町時代)
1691年(元禄4年/江戸時代)

大きさ(像高)

14m98㎝

国宝指定年月日

1958年(昭和33年)2月8日

世界遺産(文化遺産)登録年月日

1998年(平成10年)12月 ※古都奈良の文化財

脇侍仏

如意輪観音坐像(左脇侍)
虚空蔵菩薩坐像(右脇侍)

発願者

奈良時代:聖武天皇
鎌倉時代:重源上人
室町時代:山田道安
江戸時代:公慶上人

あまり知られていない!東大寺の大仏の本当の名前とは?

東大寺の大仏には、本当の名前があります。正式名は「廬舎那仏」と言い、「るしゃなぶつ」と読みます。別名で「毘盧遮那」とも呼称し”ビルシャナ”と読みます。

これらはインドの「サンスクリット語」の「ヴァイローチャナの音訳」という、口で発した時の音訳を表現したものです。意味合いは「太陽や光、明」になります。

中国では「光明遍照」と呼称され、「すべての万物を照らす者」という意味が込められています。

「廬舎那仏」とは、太陽”という意味を持ち、「宇宙の中心から太陽のように照らし続けます」という意味が込められています。

華厳経(けごんぎょう)の教理」では、廬舎那仏は、釈迦如来と同じであり、衆生(いっさいの生き物)を救済する仏だと言われています。

他に、仏教における中心的な仏様として「大日如来」がおられます。

「大日如来」は密教における最高の仏様で、実はこの大日如来こそが盧遮那仏をさらに大きく発展させた存在であるとも云われます。

東大寺の大仏さま(盧遮那仏)が巨大な理由(大きいお姿の理由)

大仏さまが巨大な理由とは、世のすべての衆生を隈無く(くまなく/漏らすことなく)救済するためです。「衆生(しゅじょう)」とは早い話が「生きとし生ける物」という意味になります。

東大寺の大仏さん(盧遮那仏)は「蓮華蔵世界(れんげぞうせかい)」に御鎮座されており、蓮華蔵世界とは、「梵網経(ぼんもうきょう)」の世界観になります。

以上、大仏さんが巨大な理由としては、以下の2点があげられます。

  1. 蓮華蔵世界という果てがない世界(宇宙)に座しておられるため
  2. 世のすべての衆生を漏らすことなく救済するため

東大寺を創建した聖武天皇は、この盧遮那仏の世界を現世に再現することで、すべての衆生を救済しようと考えたのかも知れません。

東大寺・大仏殿の大仏さんの大きさ

引用先・http://www.todaiji.or.jp/

大仏さん・部位 現在 奈良時代(鎌倉時代)
座高(像高) ① 14m73cm 15m80cm
蓮座座高② 3m04cm〜3m05cm 2m95cm
頭頂〜おデコ③ 2m57cm 1m97cm
耳の長さ④ 2m54cm 2m51cm
ひざの厚さ⑤ 2m23cm 2m07cm
目の長さ ⑥ 1m2cm 1m15cm
口の幅⑦ 1m33cm 1m9cm
肉髻高⑧ 1m37cm 1m37cm
顔の大きさ(縦/肉髻〜顎) ⑨ 5m33cm 4m73cm
中指の長さ(左)⑩ 1m08cm 1m48cm
中指下からの手の平の長さ(左) 1m48cm 1m65cm
広げている右手の長さ⑪ 2m56cm 3m13cm
両膝の幅⑫ 12m08cm 12m08cm
左足の大きさ⑬ 3m74cm 3m55cm
左膝〜足首⑭ 6m08cm 6m08cm
顔の大きさ(横幅)⑮
320cm 3m20cm
鼻の高さ⑯ 50cm 47cm
鼻の幅 98cm 87cm
重さ 約250トン 約250.2トン
◎その他
石座の高さ 252~258cm(奈良時代は2m36cm)
蓮華座直径 18.3mから18.4m(上段)
蓮華座外周(上段) 61m
蓮華座外周(下段) 69.6m

大仏さんの鼻の穴の大きさが、大仏殿の柱の穴の大きさ(37×30cm )と同じだと言うのには、少し驚きます。

これが、現実に生きている人間と仮定するならば、これだけ大きい鼻だと、鼻クソが溜まって仕方がないですね。

ホジるのも面倒なので、鼻の穴に常に、指を突っ込んでおく必要が出てきます。息でけん

一般的に像は大きくなればなるほど、全体のバランスを加味して顔を大きめに造立するのですが、東大寺大仏さんは体型が大きいわりには顔が小さく造られているのが特徴です。

「大きさを比較!!」東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんてドチラが大きい??

日本に鎮座される大仏さまのうち、「大仏」と聞いて「パっ!」・・と、脳裏に浮かぶ大仏さんと言えば、鎌倉の大仏さんと東大寺の大仏さんです。

そして、こんな疑問も浮かんできます。

「いったい、どっちが大きい??」

以下の表は東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんを比較した表です。

名称 鎌倉 奈良
像高 11.31m 14.98m
台座 2.05m 3.05m
重さ 約121トン 約250トン

ちなみに、鎌倉の大仏さんは1242年に造立が開始されたと云われております。

しかし、造られてから、わずか9年後に再び造立し直しているそうです。

奈良・東大寺の大仏さんと鎌倉の大仏さんの違いとどちらが大きい?

東大寺の大仏さんと鎌倉大仏さんの違いに関しての詳細は以下の別ページにてご紹介しております。

日本と世界の大仏の大きさ(高さ)比較!

奈良の大仏さんと鎌倉の大仏さんの比較だけでは満足できませんか?そんなあなたのために、日本や世界の特に大きな大仏さんたちと大きさ(高さ)もご紹介します!

【世界第3位】

 牛久大仏(茨城県/1992年):全高120m、像高100m

【世界第2位】

 レイチュンセッチャー大仏(ミャンマー/2008年):全高129.5m、像高116m

【世界第1位】

 魯山大仏(中国/2008年):全高208m、像高106m

世界のトップ3はすべて立像です。

像高(座高)約15mの奈良の大仏さんがもし立ったとしても、身長は30mほどでしょうから、これらの立像の大きさは桁違い・別次元です。

ちなみに上述した、奈良の大仏さんのモデルと言われる龍門石窟奉先寺の盧舎那仏(中国)は、全高17.14mです。

ついでに、世界の有名な像の高さもどうぞ。

【参考例】世界の有名な像の高さ

自由の女神像(アメリカ・ニューヨーク)

全高:93.05m、像高46.05m(台座からトーチまで)

コルコバードのキリスト像(ブラジル・リオデジャネイロ)

全高39.6m、像高30.1m

マーライオン(シンガポール・マーライオン公園)

全高8.6m

東大寺の大仏さんが作られた理由(目的)

東大寺の大仏さんが作られた時代(奈良時代)は、田畑で作物を育てる技術がなく、治水などの技術も乏しかったため、穀物が収穫できませんでした。

また、貴族などが覇権を争ったため戦も絶えず、その上、病気が蔓延し、国民は疲弊していました。

このような状況から、聖武天皇は大きな力でこの世を包み込むような形で、人々を救いたいと願います。

そこで、登場してきたのが毘盧遮那仏がいる世界です。

上述の梵網経が説く蓮華蔵世界の仏さまは巨大なので、仏様が大きければ大きいほど仏力が高く、多くの人々を救済できると考えました。

蓮華蔵世界とは「れんげぞうせかい」と読み、これはまさに上述した千葉(せんよう/千枚)の大蓮華がある世界のことです。

毘盧遮那仏は蓮華蔵世界の大蓮華の上に座し、すべての衆生を救済するために100億もの分身を作って座しています。

また毘盧遮那仏自体も、その巨大な身体を用いて世のすべての衆生を救済する仏様なので、真摯に祈りを捧げる者はすべて救済してくださいます。

以上のようなことから、毘盧遮那仏の世界を現世に再現するべく、大仏さんが造立されることとなります。

しかし、毘盧遮那仏を造立するに際して問題が発生します。

その問題とは、毘盧遮那仏の高さが50mもあるということでした。

当時の技術では約50mもの直立した巨像を造る技術がなく、座像(約16m)であれば造立が可能であるという結論に至りました。

これが今日見る、東大寺の大仏さんが坐像姿で造られた理由です。

大仏殿内部の「大仏蓮弁(蓮華蔵世界図)」

大仏さんの座する蓮の台座には摩訶不思議な模様が描かれています。大仏さんの蓮弁についての詳細は以下の別ページを参照してください。

東大寺の大仏さんのつくり方(造像方法)

大仏さんの作り方(造像方法)に関しては以下の別ページにてご紹介しています。

大仏さんの鋳造にかかった期間(年月)

  • 原型作り:約1年
  • 鋳造(銅を流す工程):約2年
  • 螺髻(らけい)の制作:約1年半
  • 鋳加え作業(仕上げ作業/研磨・型の補正など):約5年
  • 台座の刻画:約5年
  • 仕上げ作業(鍍金の塗装):約5年

他にも、東大寺の大仏さんの背中には、「光背(こうはい)」と呼ばれる大きな「輪っか」があります。この輪っかを作るのにも、それなりの期間を要します。

大仏さんの光背つくりの工期
  • 約8年半

現代の技術力なら、おそらくパパっ!パっ!パリっ!と、数年もかからずに簡単に出来てしまうような作業です。

ちなみに東大寺の大仏さんの造立の費用(建造費)ですが、なんと!!驚くことに現在の価値に換算して4657億円もかかったそうです!(関西大学大学院会計研究科しらべ)

東大寺の大仏さんの造立に使用された材料と材料の使用料

材料 重さ(量)
499トン
すず 8.5トン
水銀 2.5トン
440kg
1194m
人夫 約260万人

奈良の大仏さんが造立された当時の日本の全人口は、600万人から700万人ほどと云われています。

つまり、人夫(作業参加者)が260万人ということは、当時の日本の人口の約40%もの人が大仏さんの造立作業に従事していたということです。

現代では見当も付かないほどの、「途方もない規模の大事業であった」ということが理解できます。

東大寺・大仏を造立した「真の人物たち」とは??

大仏さんの作り方や作者(真の人物たち)に関しては以下の別ページにてご紹介しています。

東大寺の大仏さんにはモデルとなった大仏さんがいた?!

この東大寺の大仏さんは聖武天皇が大乗仏教の経典を参考にして巨像にしたと考えられていますが、実はモデルとなる像があったと考えられています。

それが、中国の「龍門石窟奉先寺(ほうせんじ)」と呼ばれる寺院にある盧遮那仏だと云われております。

↑龍門石窟奉先寺・盧遮那仏

この奉先寺の大仏は唐の3代目皇帝「高宗(こうそう)」が発願したと云われており、高宗の皇后「則天武后(そくてんぶこう)」が造立の指揮をした大仏と伝えられ、672年から675年の間に造像されたと考えられています。これは東大寺・大仏建立のおよそ70年前のことです。

その盧舎那仏が日本の河内国(現在の大阪府東部)に位置する「知識寺(ちしきじ)」で祀(まつ)られていると聞き、聖武天皇は740年(天平12年)に知識寺へ行幸します。

そして、その3年後、現在の滋賀県甲賀郡に位置する「紫香楽宮(しがらきのみや)」にて「大仏建立の詔」を発布することになります。

なお、則天武后は、聖武天皇の嫁ハンである「光明皇后(こうみょうこうごう)」が尊崇を寄せた人物でもあります。


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東大寺の大仏さんが歩んできた歴史(年表)

東大寺の大仏さんは、世界最大のブロンズ像と言われています。

743年(天平15年)10月15日に近江国「紫香楽宮(しらがきのみや)」にて聖武天皇が大仏造立の詔を発布します。

それから約4年後となる747年(天平19年/奈良時代)9月29日に東大寺で造立が開始され、約2年後の749年(天平勝宝元年)12月24日に光背(こうはい/背中の輪っか)を除いて完成を迎えています。

752年(天平勝宝4年)に大仏造立と大仏殿造営成功を祝って「大仏開眼供養」が盛大に営まれています。

以上、完成までに約9年もの歳月がかかっています。

※⇔横スクロールできます。

年月 できごと
733年 三月堂が創建
743年 大仏造顕の詔(紫香楽宮/滋賀県)
745年(天平17年) 平城京に再遷都
747年(天平19年) 大仏造立開始(東大寺)
749年(天平勝宝元年) 大仏が完成を迎える
752年(天平勝宝4年) 大仏開眼。大仏殿完成。
786年(延暦5年) 大仏に亀裂が入る
803年(延暦22年) 大仏の背面部の修理
827年(天長4年) 大仏が傾いてきたので山を築く
855年(斉衡2年) 地震で頭が落ちて修復される
861年(貞観3年) 再建される。開眼供養がおこなわれる
1180年(治承4年) 平重衡の南都焼討。東大寺の大伽藍が炎上
1181年(治承5年) 重源上人の手で大仏再建計画が立つ。実行。
1185年(文治元年) 後白河法皇が中心となって2回目の大仏開眼が再び執り行われる
1195年(建久6年) 大仏殿・落慶の法要が営まれる
1567年(永禄10年) 三好三兄弟と松永弾正(久秀)との間に諍いが勃発。東大寺境内が再炎上
1569年(永禄12年) 山田道安による大仏修復が開始される(胴体の修繕)
1572年(元亀3年) 山田道安による大仏修復(頭部の修繕)
1610年(慶長16年) 大風(一説では台風)によって大仏ふたたび倒壊に至る。以降、約70年、露座で雨風にさらされる
1684年(貞享元年) 公慶上人の主導による大仏再建計画が立つ。実行。
1691年(元禄4年) 大仏再建が成る。翌年に開眼供養実施。
1709年(宝永6年) 大仏殿再建が成る。落慶の法要が営まれる。

東大寺の大仏を一番最初に造ろうと言いだしたのは、奈良時代の天皇である「聖武天皇」ですが、実際に工事の指揮を執ったのは僧侶の「行基(ぎょうき)」になります。

実は東大寺の大仏さんは当初、「紫香楽宮(しがらきのみや)」と呼称される、現在の滋賀県近江国甲賀郡に存在した聖武天皇の新都で造立が開始されています。

紫香楽宮は聖武天皇が743年(天平15年)に新都として定めた都になります。

この新都に上述の中国「龍門石窟の盧舎那仏像」を復元しようと考えて発せられたのが、大仏造立の詔です。

しかし、紫香楽宮も火災や地震などの災害に見舞われ、結局、平城京に再び都を遷す(うつす)ことになります。

その後、747年(天平19年)に大仏造立計画自体も平城京近くの金鍾山寺(きんしょうさんじ/東大寺の前身)に移されて、ようやく大仏の造立が開始されることになります。

しかしそこで新たな問題がでてくるのですが、大仏造立の地が移されるということは、当時の国分寺(国が認定した寺院)の中でも最上格の寺院へ格上げとなり、日本全国にある国分寺の頂点に君臨する寺院である「総国分寺」となります。

よって、従来の「金鍾山寺」ではなく、別に名前が考えられることとなりますが以下のような名前の案が挙がりました。

  • 金光明四天王護国之寺
  • 大華厳寺
  • 東大寺

ここで東大寺に名前が決定したわけですが、”東大寺”の名前の意味はお分かりになりますか?

東大寺の名前は単純に「平城京の東の大きな官寺(かんじ/国家認定の寺院)」という意味合いでとられています。相対する寺院として「西の大きな官寺”西大寺(奈良)”」があります。

東大寺の前身が”金鍾山寺”であると言われる理由

よく東大寺の話を聞いていると東大寺の前身が「金鍾山寺(きんしょうさんじ)」もしくは別名で「金光明寺(きんこうみょうじ)」「金鍾寺(こんしゅじ)」「金鍾山房(きんしょうさんぼう)と呼ばれる寺院であったという話をよく耳にします。

その金鍾山寺がかつて存在した場所とは「大養徳国(やまとのくに)=奈良」であり、厳密には現在の東大寺境内の三月堂のあたりになります。

この金鍾山寺は聖武天皇の「生後1歳未満早逝した息子(皇太子)の基親王(もといしんのう)」の御霊を弔うために、聖武天皇自身が建立を発願し、天武天皇の甥にあたる「智努王(ちぬおう)」に造らせた寺院です。

確かに東大寺の前身はこの金鍾山寺で間違いはないのですが、大仏造立の地が金鍾山寺に移されたのには理由があります。

大仏造立の地が金鍾山寺に移された理由

  1. 大仏建立に際して、盧遮那仏(ヴァイローチャナ)が都(平城京)の東の小山の向こうから後光を輝かせて現れることがイメージされた。つまり当時、平城京の東の小山であった「金鍾山寺=東大寺」となる。
  2. 金鍾山寺では大仏に通じる華厳経の研究がかなり進んでいた。
  3. 聖武天皇が夢告で執金剛神の後光の光を浴び、光の方角へ使者を遣わしたところ当時、金鍾山寺で良弁が修行しており、これが後光の光の理由だと察した。

などが述べられています。

ちなみに金鍾山寺は他に「金鷲寺」「金熟寺」などとも書かれることがあるようです。”金鷲寺”に関しての名前の由来は住職であった「良弁(ろうべん)」の伝承にちなむものだと考えられます。

知られていない!「大勧進・山田道安」と「大スポンサー織田信長」

1567年の大仏殿の戦いの後、一般的には大仏さんは屋根なし首なしの状態で100年以上、雨風にさらされたまま放置されていたと伝えられていますが、実は、画家の山田道安(やまだどうあん)の手で簡易的に「木造の銅張りの頭」が据えられています。

この山田道安とは松永久秀と畿内の覇権争いを繰り広げた筒井順慶(つついじゅんけい)の叔父にあたる人物で、山辺郡山田「岩掛城」の城主だとも伝えられています。

道安は1569年(永禄12年)に東大寺の惨状を見かねて大勧進を申し出て、まず、1569年(永禄12年)に胴体の修復を行い、1572年(元亀3年)には頭部を銅板で修復したと云われております。

さらに、この道安の勧進活動に心動かされた東大寺の僧侶たちの働きによって、時の天皇であった正親町天皇(おおぎまちてんのう)が感銘を受け、天皇自らの宸筆(しんぴつ)によって日本全国の諸大名(織田信長、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、徳川家康など他、12通)へ大仏再建の浄財の寄進を募る書状が出されています。

あまり語られていませんが、実はこの時の大仏再建計画に尽力した功労者の1人が「織田信長」です。信長は、自らの家臣団および全所領の民百姓に至るまで、毎月1文の浄財を寄進するように命令を下しています。

また、興福寺大乗院からも用材が寄進されて簡易的な仮堂も造営されており、つまり、大仏さんの威容がかろうじて回復するまでの再建が成ったことになります。

しかし、この仮堂も1610年の大風(一説では台風)によって倒壊し、ここでついに今日、よく語られる「約140年間、露座で雨風にさらされた大仏」となっています。

本来であれば、再び建て直されるところなのですが、大仏再建の最大のスポンサーであった織田信長が京都・本能寺で散り果て、再び戦乱の時代に戻ってしまったのと、政治の中心が江戸(関東)に移っていったため再建計画は頓挫してしまいます。

以上が、あまり伝えられていない、空白の部分の歴史の真相です。

現在の大仏さんは江戸時代の再建による姿!

1692年(元禄5年/江戸時代前期)、東大寺と同じ大乗仏教「南都六宗(なんとろくしゅう/りくしゅう)」の1派「三論宗(さんろんしゅう)」の僧侶「公慶(こうけい)上人」の尽力によって、大仏さんは再建されています。

公慶上人による再建では、上述の山田道安が銅板で仮修理していた箇所を修復する形で、約5年の工事期間を要して再建されています。

江戸期の再建は、1686年(貞享3年)2月頃から再建工事が開始され、まず、道安が修復した「銅板張りの頭」を修復しています。次いで体躯のひび割れた部分や、胎内の腐った木組みを新調しています。

大仏さんの蓮の連座は18枚も損失しており、これを鋳物師「広浜国重」という人物の手によって新調し、その下の台座部分となる石の台座部分にも石が新たに積まれています。

大仏殿の再建については以下の別ページにてご紹介しています。

 奈良・東大寺の大仏殿の「由来・歴史・見どころ・仏像(画像付き)」でご説明!

東大寺・大仏さんの部位による再建の時代分け

現在見ることのできる大仏さんは上述のように、2度ほど火難に見舞われており、その都度、再建されています。

しかし、材質が金属であったために全焼は免れており、焼けて(溶けて)しまった部分を補修する形の再建となっています。

したがって、現在の大仏さんは、ツギハギだからけのお身体であり、時代を経て以下のような時期に部位が継ぎ足されています。

天平時代創建時

胴体前面・両足の前面・台座の大部分

1185年(文治元年/鎌倉時代初頭)の再建

胴体の背中下部(おケツ/組まれた両足の背面部)

1692年(元禄5年/江戸時代初期)の再建

それ以外の頭部・肩・胸・背中・両腕

画像引用先:日本史資料集(山川)

 

つまり、台座・おケツを残した上半身のほとんどは江戸時代再建時のものということになります。

なお、この盧遮那仏は、上述したように天平期の面影を残す遺構の1つとして、「銅造盧舎那仏坐像」の名前で1958年2月8日に「国宝の登録指定」を受けてます。

その他、1998年12月には「古都奈良の文化財」の主翼格として、「世界遺産(文化遺産)」に登録されています。

これは日本で7番目の世界遺産指定になります。

大仏さんの特徴

特徴・その1「頭のボツボツは、何ていうの?当時流行していた髪型?」

これは東大寺の大仏に限らず、大仏全般に言えることですが、頭のブツブツ(仏仏)は、「螺髪(らほつ)」と呼ばれるものです。

大仏の頭のボツボツ螺髪の「螺」とは、「巻貝」のことを意味し、右巻きという決まりがあるそうです。

大仏の頭の螺は、それぞれ大きさや重さが異なる

大仏の頭の螺は、それぞれ形が異なるため、真円ではありません。

東大寺の大仏さんの「螺」1つの大きさは以下のようになります。

東大寺の大仏さんの「螺」1個の大きさ

  • 直系:約22cm
  • 高さ:約21cm
  • 重さ:1200g(1.2キロ)

螺髪の「螺」とは、巻貝のことを意味し、右巻きになっているそう

東大寺の大仏さんの螺髪の数

  • 全部で966個※訂正→492個(2015年11月の調査で判明)
  • 492個483個(2016年1月8日の調査で判明)

※螺髪の研究に関しては、当サイトの別記事にてご紹介していますので、其方をご覧ください↓

 東大寺の大仏さんの螺髪の数・形、「1000年経て新たな真実が浮上!」

特徴・その2「おでこ」にあるホクロは、本当にホクロ?

大仏さんの眉間には、ホクロのようなものが見えます。

確かにホクロの様に見えますが、これはホクロではなく、「白毫(びゃくごう)」と言われる「産毛」です。

大仏の「おでこ」にあるホクロは、本当にホクロ?眉と眉との間に、産毛がくるくると右向きに丸まって巻き付いています。

白毫を伸ばすと1.5mにもなるそうです。

白毫の意味と由来とは?

白毫(びゃくごう)は、全世界の隅々まで慈悲の光が届き、悩む人や悲しむ人、苦しむ人を見落とすことなく、救済するためのものであると言われています。

そして、大仏さんの「おでこ」の髪の毛の生え際にも、丸いぶつぶつが1つあります。

これは、「肉髻珠(にっけいしゅ、にっけいじゅ)」などと呼ばれていて、仏の知恵の光を表わす珠(じゅ)であると言われています。

大仏の「おでこ」の髪の毛の生え際にも、丸いぶつぶつが1つ

特徴・その3:「大仏さんの手の形は何ていうの?」

大仏の手の形は独特な形(ポーズ)をしています。これを「手印(しゅいん)」と言います。

右手は手のひらをこちらに向けて中指を少し曲げています。施無畏(せむい)」という形です。

施無畏(せむい)」という形

これは、「恐れることはない」という意味があると言われています。

 

また、「与願印(せむい よがんいん)」という形もあります。

大仏の左手は、ひざの近くで手のひらを上に向け、こちらも中指を少し曲げています。

与願印(せむい よがんいん)」という形

これは、「願いをかなえてあげます」という意味になります。

えぇっ?!大仏さんの手の指の間に「水かき」があるぅ?!

驚く方も多いのですが、実は大仏さんの手のひらの間には、水かきがあるといいます。これは、人間の目ではなかなか見ることができないものなのですが、確かにあるそうなのです。

そして実はこの「水かき」にも、意味や由来があるといいます。

大仏さんの「水かき」の意味や由来とは?

大仏さんの水かきを、「手足指縵網相(しゅそくしまんもう そう)」と言い、「正しい純粋な心を持つ人々を、漏らすことなく救う」と言う意味があるそうです。

そして、実は、この大仏さんに限らず、仏像(仏)の身体には、仏以外にはない、32個もの特徴があるそうなのです。なお、ここで言う「仏」は、如来のことを指します。


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話は変わって..仏像の32個の由来や意味、歴史と、仏像の身体の特徴って?

まず、仏像(仏)の32にも及ぶ容姿の特徴を、「三十二相(さんじゅうにそう)」と言います。

仏像(仏)には、さらに80個もの細微な特徴が備わっており、これらを「三十二相」と併せて、「三十二相・八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう(ごう)」と言います。

以下では、仏像の「32個と80の特徴と由来・意味・歴史」をご説明したいと思います。

「三十二相・八十種好」の一覧

1.足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう)
地を踏みしめた足の裏は、あまりにも、真っ平ら過ぎて、細い髪の毛すら入る余地がない。  

2.足下二輪相(そくげにりんそう)
仏の足の裏には、実は、「千の輻(ふく)」があると言われ、さらにそれが、「輪(わ)」を成していることから「千輻輪相」と言う刺青(いれずみ)のような形をしたものが、初めから出来ている。
この足で地面を踏みつけると、足にある「千輻輪相」の形が地面に映し出され、人々に恐れの念と畏敬の念を宿らせる。
これは、仏の足の裏が、極限まで真っ平らであるが故にできることである。

3.長指相(ちょうしそう)
人であれば、足が真っ平らであれば、ゴツゴツとした足を思い浮かべるが、仏の足の指は、か細く、長くて、真っ直ぐである。

4.足跟広平相(そくげんこうびょうそう)
人であれば、「足のカカト」は丸まっているが、仏の足のカカトは、地面に対して真っ平らである。

5.手足指縵網相(しゅそくしまんもうそう)
手の指の間だけではなく、足の指の間にも水かきがある。
この由来は、上記でご説明したとおりである。

6.手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう)
すべての生き物を救うために、その手足は骨の概念が無いほどに柔らかい。

7.足趺高満相(そくふこうまんそう)
足の甲が亀の甲羅のように高く盛り上がっている。

8.伊泥延膊相(いでいえんはくそう)
膝(ふくらはぎ)が「伊泥延」と言う名前の鹿のように細く丸い

9.正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましつそう)
立ったままの姿勢でも、身体が柔軟なので、膝をマッサージできるぐらい両手が長い。

10.陰蔵相(おんぞうそう)
「陰相(いんぞう)=男根・性器」が、身体に隠れているので、目には見えない。

11.身広長等相(しんこうちょうとうそう)
身長と両手を伸ばした長さが同じ。

12.毛上向相(もうじょうこうそう)
身体中の毛と言う毛は右巻きで、整髪剤を付けたかのように上に向いている。

13.一一孔一毛生相(いちいちくいちもうしょうそう)
身体中の毛穴と言う毛穴すべてに、一つは必ず毛が生えていて、毛穴からは、良い香りを発している。

14.金色相(こんじきそう)
身体全体が、まともに直視できないほど金色に輝いている。

15.丈光相(じょうこうそう)
身体中から光を四方へ放っている。その光の輝きは直視できない。

16.細薄皮相(さいはくひそう)
皮膚が薄く、汚れても、すぐにキレイになっていく。

17.七処隆満相(しちしょりゅうまんそう)
両手・両足・両肩の「僧帽筋」周辺や首筋(うなじ)の計7ヶ所の筋肉が、たくましく盛り上がっている。

18.両腋下隆満相(りょうやくげりゅうまんそう)

両腋(両ワキ)が、平らでヘコみがない状態。ヘコみがないのは、常に「心が豊か(=余裕)」であることの象徴である。

19.上身如師子相(じょうしんにょししそう)
上半身が、鍛えなくても、生まれつき獅子のように立派で勇ましい。

20.大直身相(だいじきしんそう)
比べるモノがないほどに、身体が果てしなく大きい。

21.肩円好相(けんえんこうそう)
肩の形が丸い。この形は円満と言う心根に由来する。

22.四十歯相(しじゅうしそう)
40本もの歯を持っている(人間の限界は32本)。
その歯一つ一つは、白く光輝く。

23.歯斉相(しさいそう)
歯が健康的でどれも大きい。そして歯並びが美しい。

24.牙白相(げびゃくそう)
40本の歯以外にも、犬歯が生えている。その犬歯の鋒は鋭く、剣をも砕く。

25.師子頬相(ししきょうそう)
頬の形が、獅子の王のように膨らんでいる。これは豊かであることを示す。

26.味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)
どんなモノを食べても、最上級の味を味わえる。

27.大舌相(だいぜつそう)
舌は、広く長く、顔全体を覆うことができる。そして舌の先端は髪の生え際まで届く。

28.梵声相(ぼんじょうそう)
声は細く小さいが、世界の果までも声を響かせることができる。その声は梵天と言う仏のような、美しい声をしている。

29.真青眼相(しんしょうげんそう)
目の色が青く瑠璃のように透き通り、青蓮華のように美しい。

30.牛眼睫相(ぎゅうがんしょうそう)
まつ毛は、牛の王のごとく長い。そして乱れることはない。

31.長髻相(ちょうけいそう)
頭の形は。女性が髪を束ねたように、緩やかに盛り上がっていて丸みを帯びている。

32.白毛相(びゃくもうそう)
眉毛と眉毛の間に、右巻きの白い毛が生えている。この毛は白く光輝き、伸ばすと4.5メートルもある。

80の特徴(一例)

  • 福耳=耳が肩まで届く程垂れ下がっている。
  • 耳たぶに穴が空いている。
  • のどに3本のシワがある。
  • 眉毛が長い。
  • 鼻の穴が見えにくい。
  • ヘソが深く、そのヘソは右回りに渦を巻いている。

【補足】東大寺・大仏さんの大清掃!「お身拭い」について

この盧遮那仏、すなわち大仏さんは年に1回、真暑の夏い時期に大掃除が執り行われています。

この大掃除を「お身拭い」と呼称し、以下の別ページにてご紹介しています。

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