東大寺「辛国神社(天狗社)」の歴史(由来)・建築様式(特徴)・大きさ・作った人・見どころを‥‥‥知りたぃ❓

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奈良 東大寺「辛国神社(天狗社)」

創建年

  • 不明
  • 推定:1443年以前
建築様式(造り)

  • 春日造り
屋根の造り

  • 本瓦葺
御祭神

  • 韓国翁
関連行事

  • 天狗の妨害封じ

東大寺「辛国神社」の読み方

東大寺の境内には読みにくい名前のお堂や仏像が安置されていますが「辛国神社」は「からくにじんじゃ」と読みます。

東大寺「辛国神社」の歴史・由来

まず、辛国神社とは東大寺大仏殿の東側の「猫段」と呼ばれる石段の途中に建つ神社です。

「辛国」とは「唐国」あるいは「韓国」のことで、ここでは東大寺が建立された奈良時代当時、朝鮮半島から渡ってきた「渡来人」のことを指します。

ちなみに東大寺の創建の頃、朝鮮半島を治めていたのは「百済(くだら)」や「新羅(しらぎ)」と言う国家ですので、ここでの渡来人とは「新羅や百済の国民」と言う解釈になります。

後、百済は新羅に戦争で破れており、その際、一部の王族が日本へ逃亡をはかり、日本で官職に就き、最後は日本に骨を埋めています。

ちょうど東大寺が創建した頃の朝鮮半島は、新羅が統一しており日本との国交が開け新羅の皇太子を筆頭とした新羅使節団約700名あまりが東大寺の「大仏開眼供養会」に訪れ「大仏(盧遮那仏)」を参拝したと記録が残っています。




東大寺・辛国神社の御祭神「韓国翁」

辛国神社 入口⬆辛国神社の入口

辛国神社の御祭神である「韓国翁」は「からくにのおきな」と読み、この神様は東大寺の創建に携わった渡来人の方々を神として祭祀した祭神です。

渡来人は日本に様々な技術をもたらしたとされていますが、その中に「鍛冶職人」として大仏鋳造に貢献した人々もいました。

特に大仏の鋳造は「超」が付くほどの大規模国家プロジェクトであり、日本人以外に多くの渡来人が関わっていたと伝わっています。

大仏の鋳造には期間や人員も勿論ですが、ケタ違いの金額や材料も必要になっており、これらのいずれかが不足した時には、上述の日本の陸奥国へ移り住んだ百済の王族(陸奥国国司・敬福/きょうふく)などが資金提供を行ったり、陸奥の山々を切り崩して大仏の鍍金に使用する「砂金」などの材料を円滑に調達したとも云われます。

尚、東大寺の伽藍の建設には西洋や大陸の文化が大きく貢献しており、建設は主に「新羅国の文化」、大仏の鋳造には「百済の文化」が大きく関与していると云われます。

その他、大仏や伽藍の建設中には「中毒」や「病気」が蔓延し、多くの人が命を散らしています。

つまり、これら大仏の鋳造に携わった方々をお祀りしたお社であると言えます。

辛国神社に隠された秘密【その1】「天狗社」

実は、この辛国神社は古くは「天狗社(てんぐしゃ)」とも呼称されていたことはあまり知られていません。

「天狗社」と言う名前は、1443年(嘉吉3年/鎌倉時代)の古文書にも記述が見られ、明治36年まで使用されていたようですが、それ以後は奈良市阿字万字(あぜまめ)町の人々を中心に「辛国神社」とも呼称されるようになっています。

「天狗社」と呼称されるようになった由来とは、朝廷から送られてきた長官職である「東大寺初代別当(べっとう)」の「良弁(りょうべん)」が、東大寺建立の邪魔をする天狗を退治して改心させたことに由来しています。

その後、天狗は改心させられ「仏法の守護」を誓い、この神社を建立したと伝えられています。

ちょっと辛国神社の神紋(神社の紋)をよくご覧になってみてください。

天狗が持つ「草うちわ」が神紋になっているのに気づくハズです。

辛国神社・提灯東大寺で大きな法要の前日に行われる「蜂起の儀」の際には、この辛国神社の神前で「天狗の妨害封じ」が祈念(きねん/祈りのこと)されています。

「蜂起の儀」とは「無事に法要や行事が終えることができますように・・」と言う祈願のことです。

辛国神社に隠された秘密【その2】「力比べの伝承」

辛国神社には、もう1つの伝承が残っています。

奈良時代、魔法のような不思議な力を使える「辛国」と言う名前の「行者(ぎょうじゃ)」がいました。

行者とは、広義では修業中の者ですが、この時代の行者とは、主に仏教の修行中の者のことを指します。

辛国は同じような力を持つという噂の東大寺の良弁と力比べをしたいと考えていたところ、天皇に召されてそれが実現することになりました。

力比べが開始されるやいなや、辛国はいきなり良弁に向かって「蜂の大群」を放つのです。

しかし良弁はこれに臆することなく、なんと!「鉄の鉢」を投げ飛ばして辛国の蜂をあっという間にツブしてしまったと言います。

力比べに負け、恥をかかされた辛国はその後、東大寺の敵となり悪さをしようとしたということで、この伝承が先述した「良弁が天狗を退治する話」に内容がスリ代わり、後世に伝わったと考えられています。

ただ、この行者の「辛国」の名前が、現在の”辛国”神社の名前に由来に関与したのかどうかと言うのは定かではありません。

伝記上ではあくまでも上述のとおり「明治36年頃から」と言うことになっています。

辛国神社の見どころ

摩訶不思議な「御みくじ(おみくじ)」

⬆おみくじとおみくじの結果が入った木箱「月」「太陽」を示すような穴が開けられている

辛国神社には、なんとも”摩訶不思議な「おみくじ」”が置かれています。この「おみくじ」なんと!無料で引くことができます。

「おみくじ」が入っている木箱の形状は伏見稲荷大社の奥社に設置されているような「おみくじ箱」のように、古さを感じながらもシッカリとした造りの「おみくじ入れ」です。

それでこのおみくじの何が摩訶不思議なのかといいますと、「おみくじ」を振って棒を出して、棒に書いてある番号を確認するところまでは通常の「おみくじ」と変わらないのですが、なんと!棒に書いてある番号に該当する結果を、自分で探す必要があるということです。

番号の結果は別の木の棒に書かれているのですが、おみくじが設置されている下にもう1つ木箱が置かれていて、その木箱の穴の中に手を突っ込んで自分で探す必要があるのですが・・ここでふたたび問題が出てきます!

なっ、なんとぉぅ〜!その結果は木の棒に書かれているのですが、木の棒がクソほど乱雑にブチ込まれている上、あまりにも数が多すぎて取り出すまでに途方もない時間がかかってしまうのです!

おそらく猫坂の脇のさらに奥に位置することから、ほとんで見向きもされず通り過ぎる人がほとんどなのでしょう。したがって、苦情を言う人もおらず、あまり管理が行き届いていないという現状がシンミ〜リと伝わってくるのです。

なお、この辛国神社は、中世では身近で何か不幸な事件が起こった場合は、すぐさま上述の「蜂起の儀」が執り行われたほど重要視されていたようです。

奉納者の名前がズラリ!

”西岡さん”という方が奉納したと書かれた紙が貼り付けられています。ひょっとすると法隆寺の宮大工「西岡常一」先生のご子孫の方なんでしょうか?

東大寺・辛国神社の場所

東大寺・大仏殿の脇にある鐘楼へ続く階段(猫段)の途中に位置します。「金堂(大仏殿)」の東側になります。東大寺・辛国神社の地図

  • 所在地:奈良市雑司町406
  • TEL:0742-22-5511(東大寺寺務所)
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