奈良県・東大寺の大仏殿の「屋根・瓦・鴟尾」と、柱の「由来・意味・歴史・輸送方法」など

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奈良県・東大寺の大仏殿の「屋根・瓦・鴟尾」と、柱の「由来・意味・歴史・輸送方法」など

東大寺大仏殿の屋根の重さは、3020トンもある?!

東大寺大仏殿の屋根の重さは、3020トンもある?! (2)

東大寺の大仏さんを雨風から守っている大仏殿の屋根の総重量はなぁんと!3020トンもあるそうです。

さらに瓦の総合計枚数はなんとぉぅぉぅ!!11万枚!!もあるそうです!オラぁ、オったまゲタばい。ばぃばぃ

さらに、なんとぉぅぉぅぉぅぉ..ゴホっ。..ぅぉぅぉっ!!瓦だけの重量で1500トン!!もあると言うじゃ・・ア~りませんか!

また、東大寺の屋根には、江戸時代の再築の際に、「鳥衾瓦(とりぶすま)」を、金色の「鴟尾(しび)」に変えたと言われています。

鳥衾瓦(とりぶすま)とは?

東大寺大仏殿の屋根の重さは、3020トンもある?!鳥衾瓦(とりぶすま)とは、鬼瓦の上などに付ける、反るような形の、長く突き出した円筒状の瓦のことを言います。

この鴟尾が最上階に設置されているのは「火除け」として用いられているそうです。

魚が水面から飛び上がり、尾っぽを水面に出したもので、屋根が水面だとすると、水面下にある建物は燃えないと考えられているようです。

鴟尾(しび)とは?

東大寺・鴟尾・尿瓶鴟尾(しび)とは、屋根の中央部にある「大棟」と呼ばれる、屋根を支える太い木の両端に付けれれた「飾り」です。

有名なのが、名古屋城にある「金のシャチホコ」です。

鴟尾は中国大陸から伝わったもので、中国では鴟尾を水の象徴でもある魚の形にして、「火除け(=防火)の御守り」としたそうです。また「鯱(しゃち)」という水を自在に操ることのできる「伝説の怪魚」が中国では古くから伝承されており、この鯱に由来しているとも云われています。名古屋城の「シャチホコ」もこの鯱(しゃち)の名前になぞらえたものです。

そして、大仏殿の屋根を支える2本の「虹梁(こうりょう)」は、それぞれ23.5メートルの「アカマツ」が使われています。

虹梁(こうりょう)とは?

虹梁(こうりょう)とは、屋根を支えるために、木を支えられる形に加工したものです。

その形が、虹(にじ)のように反りがあることから、虹にという名前に由来しています。

高さの違う屋根を均一に支えるために、屋根に合わせてこのような形になったと思われます。

虹梁(こうりょう)とは?

3020トンの屋根を支える必要があるため、強度があり耐久性の高いアカマツが使われているそうです。

えぇっ?!東大寺は本当は存在していなかったかもしれない?!

1709年(宝永6年)の江戸期の東大寺再建において、構想が持ち上がった当初、当時の建造物で3020トンもの屋根の重量を支えきれるだけの用材(木)や技術がありませんでした。

しかし1704年(宝永元年)にやっとの思いで探し当てることができたのが大きな大きな巨木でした。

この巨木があれば、技術がそれほどなくても、支えることができるだろうと言う想定で、東大寺の建設計画が始まりました。

その巨木の種類は「アカマツ」と言う種類の木で、日向国(宮崎県)にある霧島山の白鳥神社の付近に群生していたアカマツになるそうです。

巨木の種類は「アカマツ」と言う、種類の木で、1704年に日向国(宮崎県)にある霧島山の白鳥神社の付近に育っていたいたそう

しかし、ここで問題が持ち上がります。

この巨木を九州から、山々に囲まれた奈良県まで、どうやって運ぶのか?と、言うことです。

このようなことから、当時では輸送できるのかが危ぶまれていました。

そんな暗雲が立ちこめる中、輸送の計画は進み、アカマツの切り出しから開始されることとなりました。

1本目のアカマツ


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切り出されたアカマツの長さ(大きさ)

  • 全長約24m
  • 横幅:直系約1.3m
  • 重さ推定:23.2トン

アカマツを切り出すまでに必要だった人の人数

  • 木こり90人

アカマツを切り出すのに消費した日数

  • 4日間

2本目のアカマツ

切り出されたアカマツの長さ(大きさ)

  • 全長約24m
  • 横幅:直系約1.2m
  • 重さ:推定:20.4トン

アカマツを切り出すまでに必要だった人の人数

  • 木こり:100人

アカマツを切り出すのに消費した日数

  • 3日間

切り出すの消費したアカマツ1本分の値段

  • 2000両(現在の価格にして2億5000万円)

日向国(宮崎県)から大和国までアカマツを輸送した経路

宮崎県の山奥から、奈良県までの輸送は、難航を極めるものでした。

輸送の道中で命を落としたり、行方不明となる者も数多く出ました。

1703年1月7日「霧島山・白鳥神社」を(陸路)出発

↓(1日860人と牛40頭の力で引きずりながら輸送)

薩摩湾岸・国分新川口港に到着

ここまで輸送距離
  • 98.2 km
到着まで消費した日数
  • 115日(約4ヶ月)

国分新川口港
(「千石船」全長30メートルほどの大型船へアカマツを乗せて海路を輸送開始)

↓鹿児島湾
↓日向細島港
↓豊予海峡
↓瀬戸内海
↓兵庫港(兵庫県)

大阪伝法川口(港)

ここまでの瀬戸内海航海期間
  • 約2か月

大阪伝法川口港から川で輸送を開始

↓淀川をのぼり
↓木津川を下り

奈良坂

奈良坂から陸路

東大寺

ここまでの陸路でかかった日数
  • 約2か月

総・輸送距離

  • 3338 km

総・輸送期間

  • 約8か月

日向国(宮崎県)から大和国までアカマツを輸送した経路このアカマツの輸送中、大勢の方がお亡くなりになりました。

東大寺の柱は、たくさんの方々の命や血と汗、色んな思いが詰まった柱です。

東大寺へ行かれた際は、大仏だけではなく、どうかこの柱もじっくりと見学して
大勢の英霊の方々へ、ご冥福をお捧げください。

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