奈良・東大寺の南大門の「見どころ(建築様式など)・歴史(年表)・大きさ・作った人(地図・写真つき)」

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奈良・東大寺の南大門の「見どころ(建築様式など)・歴史(年表)・大きさ・作った人(地図・写真つき)」

奈良・東大寺「南大門」【国宝】

創建年

  • 不明
  • 推定:752年(天平勝平4年)※奈良時代
再建年

  • 1161年(応保元年)
  • 1199年(建久10年/鎌倉時代初頭)※上棟
  • 1203年(建仁3年)※仁王像再建・安置
大きさ

  • 横幅:五間(約12m)
  • 礎石からの高さ:25.4m
  • 三戸(出入り口3つ)
建築様式(造り)

  • 二重門(※2階建ての楼門造り
  • 入母屋造(屋根が四隅へ垂れ下がる造り
屋根の造り

  • 本瓦葺
文化財指定年月日

  • 重要文化財指定年月日
    ・1897年(明治30年)12月28日
  • 国宝指定年月日
    ・1951年(昭和26年)6月9日
発願者

  • 聖武天皇※創建時
  • 俊乗房重源※鎌倉期再建

東大寺・南大門の読み方

南大門は「なんだいもん」と読みます。「みなみだいもん」でも間違いではありませんが、東大寺では「なんだいもん」と呼ばれています。なんだい?モンちゃん …。…。

「南大門」とは?

南大門とは、寺院の伽藍(がらん)配置において、一番外側の南側に造営された門の事を言います。

中門の1つ手前にある門でもあり、寺院の顔ともなる門です。寺院の「正門」ともなる門です。

ちょうど聖武天皇が東大寺を造営した頃は、伽藍において南大門より中門が重要視されていた時代であり、この頃の中門は入母屋造屋根と重層を持ち、豪壮感と威容を漂わせた門構えとなっています。

天平時代中期以降は寺院の顔として伽藍の一番外側の門である「南大門」が重要視されるようになり、以降、さらに時代を経る中で南大門は「仁王門」や「三門(山門)」という名前に変わっていきます。

東大寺・南大門の大きさ

  • 垂直に立つ大円柱18本は高さなんと!21m
  • さらに18本の柱の高さを均等にそろえている。
  • 門の高さは壇上25.46m

南大門はお寺の門としては国内最大です。門の大きさは創健の頃と同じと伝わっています。

正面中央に掲げられた「大華厳寺」の扁額(へんがく)は再建前の南大門に飾られていたもので、以前の南大門を踏襲する形で2006年(平成18年)に斎行された「重源上人八百年御遠忌法要」の時に新調されたものです。

正面中央に掲げられた「大華厳寺」の扁額

大華厳寺」の意味とは?

大華厳寺(だいけごんじ)とは、華厳宗の総本山である東大寺を指す言葉ですが、この言葉は現在の東大寺の前身である「金鍾山寺(きんしょうさんじ)」に大仏さんが造立されて安置されることが決定した、その時に考えられた名前のレパートリーのうちの1つです。

当時の金鍾山寺は国分寺でしたが、平城京の鎮守となる大仏さんが安置される寺院ともなれば、国分寺から格が上がって位置付けとしては「総国分寺」になります。

そこで従来の「金鍾山寺」ではなく、別の新たな名前が考えられることになりますが、以下のような名前の案が挙がりました。

  • 金光明四天王護国之寺
  • 大華厳寺
  • 東大寺

ここで最終的に”東の大きな官寺”ということで「東大寺」に決定し今日に至りますが、このときの「大華厳寺」という名前を受け継いだものと考えられます。

東大寺・南大門を作った人って誰?

南大門を創建した人物は聖武天皇ですが、962年(応和元年/平安時代中期)8月13日に大風で倒壊しています。以降、200年間再建されませんでしたが、南大門の再建に取り組もうとした人物がいます。

その人物こそが、東大寺中興の祖として知られる「重源上人(ちょうげんしょうにん/=俊乗房重源)」になります。

東大寺は平安時代、火災や落雷で一部の建物(堂宇)を失っています。その上、平安時代末期、平清盛の五男である重衡(しげひら)に攻め込まれ、大仏殿はじめ多くの建物が焼失してしまいます。(南都焼討)

重源上人は、そんな東大寺を再興しようと「大勧進(寺院再建のリーダー)に就任して、自ら諸国を練り歩き浄財(資金)を集める活動を開始します。そして10年以上かけて新しい東大寺を完成させています。

以上、まとめると南大門を最初に作った人物は「聖武天皇」。再建した人物が「重源上人」となります。

東大寺・南大門の見どころってあるの?どこ?

大仏様(天竺様)

南大門は、「大仏様(だいぶつよう)」または「天竺様(てんじくよう)」という建築様式が採用されています。

大仏様(だいぶつよう)という建築様式は、重源上人が留学先の中国・宋から持ち帰って伝えたとされる建築方法です。

もともと「天竺様」と呼ばれていましたが、天竺、つまりインドから来た建築様式だという誤解を招くということで、現在は「大仏様」と呼ぶのが一般的となっています。

ただ、「大仏様」の名前の由来となった東大寺の大仏殿(金堂)は、江戸時代に大仏様を基本にしつつ、他の建築様式も取り入れて再建されていますので、この南大門は重源上人が造営した当初の純粋な大仏様を見られる、大変、貴重な建造物と言えます。

ちなみに重源上人が自ら手がけた大仏様を見られる現存する建造物は、この南大門と兵庫県小野市の「浄土寺(じょうどじ)」境内の「開山堂」のみです。重源上人は勧進活動の際に7カ所の東大寺別所を造営しており、そのうちの1つが浄土寺になります。

大仏様の特異なところは、門を丈夫にするため、柱を水平に貫通する「横木(貫/ぬき)」を多用している点と、化粧屋根裏天井のように天井に板が張られず、中の構造が見える様式になっている点です。

大仏様では柱に穴を開けて横木(貫)を支えるため、できるだけ図太い柱を多様します。これにより耐久度が格段に上昇し、風などによる倒壊から免れることができる確率が上がるというわけです。まさに重源上人の卓越した知識・アイディアの結晶とも言えます。

なお、重源上人が耐久度にコダわった理由の1つに、南大門が鎌倉期以前に過去2回にもわたって大風で倒壊してしまっている事実があるからです。

「貫(ぬき)」とは?

「貫(ぬき)」とは、柱に対して天井板を設けず、下図↓のように柱に対して「横の支え木」を設け、大天井(屋根裏)まで、吹き抜けの空間を形成する建築技法の1つです。

柱を水平に貫通する柱(「貫(ぬき)」)を多様している点

※ちなみに同時期に再建された大仏殿は、その後、戦国時代(室町時代)にも焼失してしまい、再び1709年(宝永6年/江戸時代)に再建されています。この江戸期再建後の姿が現在みることのできる大仏殿の姿となります。

南大門の屋根に注~目!

南大門に訪れた際、門の入口部分の真下から、真上を見てみてください。真上を見上げると屋根が見えることが分かります。

今度は少し離れて南大門を正面からご覧になってみてください。・・2階建ての門に見えやしませんか?

そうなんです。

実は南大門には「2階部分がない」のです。

外側から見ると2階部分があるように見えますが、実際は2階部分はなく、ただ、屋根のようなものがもう1つ付いているだけだということが分かります。いうなれば暴風対策に設けられた裳階(もこし)屋根になります。裳階は別名で雨打 (ゆた)とも呼称し、これは大仏殿にも採用されている建築様式です。

 

門の内部にはこれら2重の屋根を支えるために「18本もの巨大な柱」が据えられています。

この18本の柱を「通し柱」として屋根部分まで通して直接支えているのが分かります。

おそらく再建ということで「2度と倒れないよう」にと、そんな思い入れをもってこのような組み方が実現されたものだと考えられます。

これらの組み方1つ1つが先人の卓越した知恵の結晶と言えます。

南大門の特徴と入口正面に見える「六手先の組物」

この南大門の正面入口に見える斗きょう(ときょう)は6重に積み重ねられて組まれているのが特徴的です。

6重になっていますので、屋根が上に上がった格好になり、腹(木の壁)の部分がよく見えます。

斗きょうとは、斗(ます)と肘木(ひじき)を組み合わせたものです。

肘木というのが、軒下から地面に向かって段階的に短くなるように配されている部分で、屋根(軒)の重みを支える役割を果たしています。

肘木の間に挟まっているパーツが「斗」です。

大仏様ではさらに貫の延長が貫通して斗きょうの一部となっており、このような組み物を、特に「挿肘木(さしひじき)」と言います。

大仏様の挿肘木は単に貫が貫通しているというだけでなく、一般的な出組(でぐみ)のように横に広がらず、手前方向のみに伸びていることも、特徴の1つです。

出組とは、壁側から手前に向かって組まれている組物のことを指し、この部分が6重(6段)に組まれていることから、東大寺南大門の斗きょうは「六手先(むてさき)の出組」と呼ばれます。

六手先の出組は大仏様の特徴であり、南大門の他では大仏殿の軒下でも見ることができます。

東大寺大仏殿の建築の特徴については、当サイトの以下のページでご紹介しています。

 奈良・東大寺の大仏殿の「屋根・瓦・鴟尾」と、柱の「由来・意味・歴史・輸送方法」など


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金剛力士像(仁王像)【国宝】

南大門の表側入口左右には、金剛力士像(仁王像)が安置されています。この仁王像は962年(応和2年)に暴風によって倒れています。

その後、上述の南都焼討(1180年/治承4年)で南大門もろとも焼失してしまい、1203年(建仁3年/鎌倉時代)に再建(造立)されています。

また、1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)にかけて大規模な解体修理が執り行われています。

南大門の仁王像の解体修理に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。

 奈良・東大寺南大門の金剛力士像「歴史・大きさ(高さ)・作者(作った人)」

石獅子像(狛犬)【重要文化財】

この南大門の裏側(大仏殿側)には、ぬぅあんと!!「石獅子像(狛犬)」が安置されています。

南大門を通る方は目の前の大仏殿に目がいっていますので、後ろを振り返る人はなかなかいないと思います。

南大門を通る際は、そっと後ろを振り返ってみてください。

”ぅワっ!!”」・・などと、脅かすような友人がいたらスミマセン・・。

しかし、脅かされてもくじけることなく、どうかその先の狛犬をみてください。この狛犬は「くじける」に耐えてまで見る価値があるからです。

その価値とは、なんとぉぅぉぉおおお!!ぅおおおおお!!・・「重要文化財の指定を受けている狛犬」だからです。

・・。

さらになんとぉぅぉぅぉぉおお!!お?「日本国内において、造立された年代が判明だけども、とにかく最古の狛犬像」であり、その上、二体とも”阿形”で口を開いた一風変わった石獅子像になるからです!(通常の狛犬は口を閉じた”吽形(うんぎょう)”と阿形がセット)

・・。

つまり、調査をして最古であるのは間違いない。だけれども現存する日本最古の狛犬だイヨぉぉぉ〜ン!ということになります。

・・。

東大寺・南大門「石獅子像」【重要文化財】

向かって右「石獅子像」

  • 造立年:推定:1196年(建久7年)
  • 像高:180.5cm
  • 材質:砂岩(水成岩/近畿地方産)
  • 作者:宇六郎(中国宋・石工)
向かって左「石獅子像」

  • 造立年:推定:1196年(建久7年)
  • 像高:160cm
  • 材質:砂岩(水成岩/近畿地方産)
  • 作者:宇六郎(中国宋・石工)

これら2体の狛犬像(石獅子像)は、造立当初は「中門」に安置されていましたが、大仏殿の戦いが勃発した1567年(永禄10年)までには現在の南大門に移動されたものと考えられています。

作者が「中国・宋の石工」であるとされた理由の1つとして、石獅子像の台座の彫刻の模様があります。

彫刻が消えかかっていて視認しにくいのですが、ここには当時、宋で流行していた牡丹を中心に、動物などが彫られています。

これらの彫刻には、造立当初は極彩色が施されていたようです。

後世にて、これらの彫刻を元にして調査が執り行われ、鎌倉期の東大寺再建のために日本へ招聘されていた「中国・宋の石工4人」が造立したこともまでもが明らかにされています。

使用されている石材は日本ではなく、中国(宋)で産出された石材であることが明らかにされており、目当ての石材が日本では採石できなかったものと考えられています。

ちなみに、これは余談ですが、京都・清水寺の仁王門の狛犬は、なんと!この東大寺南大門の狛犬がモチーフとされています。

東大寺・南大門の歴史

奈良時代、聖武天皇は全国に国分寺と国分尼寺を配置しました。国分寺・国分寺尼寺とは、分かりやすく言いますと、東大寺の系列のお寺のことです。

それらの総本山として建立されたのが東大寺であり、南大門はその正門として、推定752年(天平勝平4年/奈良時代)に建てられています。

平安時代になると幾度となく倒壊したとの記録があり、明確に記録に見えるものが962年(応和2年)8月に台風によるものであり、1161年(応保元年/平安時代)に再建されています。

1180年(治承4年/平安時代)に起こった「南都焼討」の戦火で焼失したとされたとされていますが、実際のところ確実な証拠がなく明らかにされていません。

その後、大仏殿の再建と併せて1199年6月(建久10年/鎌倉時代初頭)に重源上人によって再建されたものが、現在見ることのできる南大門の姿になります。

1203年(建仁3年)10月3日に総供養が執り行われ、1203年(建仁3年)7月24日には、仁王像の造立が開始されています。仁王像はそれから僅か69日という短期間で完成を迎え、10月初旬に門両脇の間口へ安置されています。

東大寺南大門は、1951年(昭和26年)6月9日に国宝指定を受け、2014年10月からは平成に入って2度目の修理が実施されています。

南大門の歴史(年表)

962年(応和元年)8月30日、大暴風雨により南大門が倒壊(東大寺要録・別当次第に記載)
987年(永延元年)8月13日、ふたたび大風により南大門が倒壊(東大寺要録・別当次第に記載)
1180年(治承4年)平重衡の南都焼討により東大寺伽藍ほぼ全焼
1181年(養和元年)8月、重源上人、大勧進に就任。大仏殿・大仏再建を計画する
1199年(正治元年)6月、南大門上棟式が斎行される
1203年(建仁3年)10月3日、南大門金剛力士像の開眼供養が斎行される
2014年(平成26年)10月、南大門の修理が執り行われる

東大寺・南大門の場所(地図・マップ)

東大寺の南大門は東大寺大仏殿と同じく、東大寺を象徴する観光スポットの1つです。南大門の場所は、東大寺の境内の「大仏殿の真南」、「東大寺ミュージアムの真横」に位置します。

東大寺へ参拝へ訪れた際は、ぜひ、じっくりとこの南大門を見学してみてください。

東大寺・南大門を見学する際の注意点

南大門を見学するときは、周辺の「鹿(しか)」に注意してください。鹿の中には、大変、気の荒い鹿がいて「ケツ穴」を角でブッ刺されます。

人間、「ケツ穴」を刺された直後、無意識に「アっはぁぁぁんっ」・・と、思わず口からポロっと出てしまうことがあります。

この”アハ”が思わずポロっと飛び出てしまった場合、すぐさま注意しなければならいのが周囲に人がいないか?です。

万が一、”アハ”を他人に聞かれた場合、方向修正が極めて困難であり、これはヘタをすれば「末代までの恥さらし」にもなってしまいかねません。くれぐれも細心のご注意を。 オホ

なお、東大寺のホームページによれば、南大門周辺の鹿の糞尿処理に困っているとアナウンスされていますので、南大門の周辺で鹿に煎餅(せんべい)などの食べ物をあげたりはしないでください。

なにせ、南大門の周辺には売店が多く、その売店でお菓子などの食べ物を販売しているため、それを知っている鹿たちが南大門周辺付近にたくさん集結してくるためです。国宝は皆で守りたいものですね。ウフ

南大門の金剛力像に関しては以下の別ページにてご紹介しております。

 東大寺南大門の金剛力士像「歴史・大きさ(高さ)・作者(作った人)」

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