【重要文化財】東大寺南大門「石獅子像(狛犬像)」の年代(歴史)や造立方法・作者を‥‥‥知りたぃ❓

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奈良 東大寺「南大門・狛犬像(石獅子像)」【重要文化財】

向かって右の狛犬像

  • 造立年:推定:1196年(建久7年)
  • 像高:180.5cm
  • 材質:砂岩(水成岩/近畿地方産)
  • 作者:宇六郎(中国宋・石工)

向かって左の狛犬像

  • 造立年:推定:1196年(建久7年)
  • 像高:160cm
  • 材質:砂岩(水成岩/近畿地方産)
  • 作者:宇六郎(中国宋・石工)




南大門・狛犬像の歴史

この南大門の裏側(大仏殿側)には、ぬぅあんと!!「石獅子像(狛犬)」が安置されています。

南大門を通る方は目の前の大仏殿に目がいっていますので、後ろを振り返る人はなかなかいないと思いますが、南大門を通る際は、そっと後ろを振り返ってみてください。

”ぅワっ!!”」・・などと、脅かすような友人がいたらスミマセン・・。

しかし、脅かされてもくじけることなく、どうかその先の狛犬をみてください。この狛犬は「くじける」に耐えてまで見る価値があるからです。

その価値とは、なんとぉぅぉぉおおお!!ぅおおおおお!!・・「重要文化財の指定を受けている狛犬」だからです。

・・。

さらになんとぉぅぉぅぉぉおお!!お?「日本国内において、造立された年代が不明だけれども、とにかく最古の狛犬像」でもあります。

これら2体の狛犬像(石獅子像)は、造立当初は「中門」に安置されていましたが、大仏殿の戦いが勃発した1567年(永禄10年)までには現在の南大門に移動されたものと考えられています。

使用されている石材の一部は日本ではなく、中国(宋)で産出された石材であることが明らかにされており、目当ての石材が日本では採石できなかったものと考えられています。

ちなみに、これは余談ですが、京都・清水寺の仁王門の狛犬は、なんと!この東大寺南大門の狛犬がモチーフとされています。

東大寺南大門「狛犬像(石獅子像)」の特徴

2体とも口がカパっと開けている「阿形像」

狛犬像はこの東大寺のような寺院以外にもたとえば、奈良で言えば「ならまち」の御霊神社の出入口の両脇にも安置されています。

通常の狛犬は口を閉じた”吽形(うんぎょう)”と阿形(あぎょう)がセットで門を守るように境内入口に置かれていますが、この東大寺南大門の狛犬像は門を守ってはいるものの、なんとぉぅ!両像ともに阿形像になります。

日本最古の狛犬像!

この狛犬像を調査した結果、なんと!現存する日本最古の狛犬像だということが明らかにされています。狛犬は飛鳥時代に大陸から日本へ伝来した獅子(しし)が起源とされ、およそ平安時代以降から、この狛犬像のように2体で像容が少し異なる像が造像されはじめています。

これはすなわち、元来、獅子像のみが2体置かれていたものが、およそ平安時代を境として片方が狛犬像として造立されはじめたのが、今日まで踏襲され続けているという解釈になります。

以上、まとめると本来は「片方が獅子像」で「もう片方が狛犬像」ということになります。したがって像容がそれぞれで異なっていても何ら不思議ではないということになります。

正面から見るとわずかに傾いている

南大門を通りすぎるときに横目で見る方がほとんどなので、正面から見る機会は少ないと思いますが、なんと!正面から狛犬像を見れば分かりますが、わずかに傾いている像容がうかがえます。

「狛犬像(石獅子像)」の作者

疑問が生じてくるのが、この狛犬像の作者はいったい誰なのか?ということですが、なんとぉぅ!作者が「中国・宋の石工」だと聞けば驚きますでしょうか。中国の石工であるとされた理由の1つとして、石獅子像の台座の彫刻の模様が挙げられます。

彫刻が消えかかっていて視認しにくいのですが、当時、宋で流行していた牡丹を中心に動物唐獅子、天女などが彫られており、台座下には細かな雲模様まで描かかれています。

また、造立当初は極彩色が施されていたことが明らかにされています。

⬆️天女のレリーフ

⬆️唐獅子のレリーフ

この他にも、これらの彫刻を中心として時代分析調査が行われ、その結果、鎌倉期に東大寺再建のために日本へ招聘されていた「中国・宋の石工4人」が造立した事実が明らかにされています。

中国・宋の石工4人の正体

この頃、東大寺大仏および大仏殿、その他、伽藍の再建に関わったのが陳和卿(ちんなけい)と当人が率いた技術派集団たちでした。その陳和卿は中国から他にも「伊 行末(い ぎょうまつ)」と呼称される石工とその集団を呼び寄せており、この伊 行末によって大仏殿の石壇が完成しています。

伊 行末は、大仏殿の工事を終えたのを機として、大仏殿を守護する中門にこの狛犬像を奉納(安置)したとされており、この事実は同じ奈良市の般若寺境内にある「笠塔婆」に伊 行末の息子である伊 行吉が刻んだとされる次のような銘文が残されています。

父伊 行末 文応元年(1260) 没

般若寺の寺伝によれば伊 行吉が父・伊 行末の没後、一周忌に一基の笠塔婆を造立して奉納したとされています。

ちなみに余談ですが、この笠塔婆は二基存在し、もう一基は伊 行吉が母親の延命長寿を祈念して造立した後に奉納した笠塔婆だと伝えられています。




【補足】奈良般若寺「笠塔婆」【重要文化財】

南側の笠塔婆

塔高(高さ):4.46m

材質:花崗岩(かこうがん)

北側の笠塔婆

塔高(高さ):4.76m

材質:花崗岩(かこうがん)

伊 行吉のその後としては、父親のあとを継いで日本において石工集団まとめあげ、のちに「伊派」と呼ばれる集団の礎をつくったとされています。

ご興味のある方は是非!般若寺(はんにゃじ)まで足をのばしてみてください。

奈良般若寺の場所

「狛犬像(石獅子像)」の安置場所

「狛犬像(石獅子像)」は東大寺南大門の仁王像の裏側に安置されています。

両像とも周囲には鉄網と木柵で囲いがされていますので、間近まで移動して見ることは叶いませんが、それでもなんとか台座も文字が見える距離までは近づくことができます。

南大門は東大寺ミュージアムの南側に位置する東大寺の正面玄関ともなる門です。

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