びんずる尊者像|東大寺 大仏殿 外陣

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造立年:1840年(天保11年)8月

像高:約3メートル(台座ふくむ)※国内最大の大きさ

作者:山本印慶子光恒、河内屋利兵衛

大工:辻弥兵衛

発願者:神南邊大道心隆光、泉州堺新在家町・茶屋七兵衛

施主:同中之町、河内屋利平衛、大仏師職、山本印慶子光恒、辻弥兵衛(大工)

由緒(歴史)

大仏殿を順路に従って見学し、外に出ると左側(大仏殿の出入り口の向かって右側)に、赤い頭巾を被った像が安置されています。

これは、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像です。造立当初は現在とは逆の位置に置かれていたようです。

怖い顔をしていますが、自分が患っている場所を撫でると病気やケガが治るという「なで仏」として信仰され、「おびんずるさん」「おびんずるさま」などと呼ばれて、日本各地で親しまれています。

これは賓頭盧さんが修行に入る前は医者だったことから、後の時代に「撫でた箇所が完治する」という賓頭盧信仰(撫で仏信仰)が生まれたためです。

東大寺では大仏殿の他、指図堂の前にもいらっしゃいます。

ところで・・「びんずる尊者」って??

びんずる尊者とは、釈尊の弟子の一人と伝えられ、仏閣ファンであれば良く耳にする「五百羅漢(ごひゃくらかん)」の一人でもある。

五百羅漢とは、インド仏教の境地に立ち、未だまだ見ぬ境地を極めるために、日々、苦しく険しい修行をする尊い500人の僧侶たちのこと。

びんずる尊者は、仏像を初めて造立したとされる古代インドのヴァンサ国のウダヤナ王(優填王/うでんおう)の大臣の息子であり、一説には優填王に釈尊の信仰を説いた人物とも云われます。

しかし後に出家して厳しく苦しい修行を行うことになり、やがて人知を超越した存在にまで上り詰めます。

厳しい修行の成果なのか、説法に長け、他人に反論の余地を与えず、まるでライオンのようだということで、「獅子吼(ししく)第一」とも呼ばれました。ガオ〜っ …。

しかし、羅漢の中でも一際センスがあった「びんずる尊者」は、修行の末に特別な力・・つまり「神通力」を身に付けるのですが、自らの力を過信してしまい、己の欲求を満たすために神通力を使ってしまいます。

それを見ていたお釈迦さまは、大変ご立腹されたと言う伝記があります。

そこでびんずる尊者は、功徳を積み、自らの行いを改めるために、人々の願いを叶えるべく鎮座されているのだそうです。

賓頭盧さんが建物(お堂)の外で見かけることが多い理由は、お釈迦様への懺悔のため、もしくは未だ修行中の身であるからとも云われています。

びんずる尊者は酒飲み!?

びんずる尊者の像は、一般的に白髪、長眉(ちょうび)、そして赤っぽい色の体で表現されます。

体が赤いのは、なんと!五百羅漢の1人ともあろう者が酒を飲みすぎてお釈迦様の怒りに触れ、一時は破門されたといエピソードが伝わっているからだとも言われています。

ただしこれは俗説で、本当のところは赤い体は修行が極まり、体中に生命力が満ち、生気がみなぎっている状態を表しているともされています。

その他の説としては、外陣に置かれることが通例なので雨(酸性雨)で溶けないように朱漆が体表に塗装されているからだという説もあります。

大仏殿の近くにも有名な「びんずるさん」がいる!

このような”びんずる像”は、意外にも大仏殿近くのお寺でも見られる。

どこだかお分かりになるだろぅか?

その場所というのが……「興福寺」。

興福寺 南円堂の前でも、パンツちら見え級に”びんずる像”が見られる。

関連:賓頭盧尊者坐像|興福寺 南円堂手前

関連:南円堂【重要文化財】|興福寺

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