奈良 東大寺 法華堂(三月堂)・金剛力士立像【国宝】
像高
- 阿形像 326.4cm
- 吽形像 306.0cm
素材・造り
- 脱活乾漆像
造立年
- 710年から794年(奈良時代)
安置場所
- 東大寺・法華堂(三月堂)
「金剛力士」とは?
金剛力士像とは、仏の智慧により煩悩を打破したり、仏敵を倒したりする「金剛杵(こんごうしょ)」という聖なる武器を持った、仏教界の守護神です。
1尊の時は執金剛神(しゅこんごうしん)と呼称します。
本来は執金剛神であり、つまり2尊そろうと「仁王像」になります。
祈りを捧げることで「健康・健脚のご利益がある」とも言われています。
一説には、古代ギリシャなどの神々のイメージが具現化された像(アポロン、ヘラクレスなど)が起源とも云われております。
後にインドや中国の仏教文化と融合し、それが日本へ流入し、現在観ることのできる仁王像の姿になったと言う説もあります。
また、仁王像の口に注目すれば、「阿形/口開き」はあらゆるものの始まりを、「吽形/口閉じ」は終わりを表すとされています。
これは、サンスクリット語が「ア」という音で始まり「ン」という音で終わるためです。
日本語の五十音の「あ」と「ん」だと思いがちですが、日本語の五十音はこのサンスクリット語が元になっているのです。
金剛力士像の特徴・見どころ
あちこちで見かける金剛力士像ですが、主に門に安置され雨風にさらされることが多く、どうしても傷み生じてしまうため、日本国内で国宝指定を受けている仁王像はわずかに東大寺法華堂の2体を含め、3対のみです。
金剛力士像は通常、上半身裸の筋骨隆々の姿で現されますが、東大寺法華堂の金剛力士像は、鎧(よろい)を身に着けています。
また、阿形像の髪が逆立っているのも特徴的です。
吽形像は金剛杵を持っていますが、阿形像は持っていません。
振り上げた右手に持っていたものを、無くしてしまったのかもしれません。
金剛力士像の立ち位置が逆?!
東大寺の南大門の金剛力士像の立ち位置が通例の金剛力士像とは逆になっている話は有名ですが、実は法華堂内の本像も立ち位置が逆になっています。
理由は明らかにされていませんが、南大門の金剛力士像の配置はこの法華堂の金剛力士像の配置に倣ったものだと考えられます。
金剛力士像の配置が逆になっている理由として、次のような理由が述べられます。
一般的な仁王像の配置
向かって左側:吽形像
向かって右側:阿形像
東大寺仁王像の配置
向かって左側:阿形像
向かって右側:吽形像
本像が左右で逆になっている理由に関しては、奈良時代創建の法華堂の内部の金剛力士像がすでに造立当初から左右逆向きになっていたことを鑑みれば、以下のような理由が推測されます。
- 東大寺における宗教的な位置付け
- 奈良時代の仁王像は左右逆向きに配置された
その他の理由としては、奈良時代では仁王像のような2体で対になった像を造立した際、左右の位置はあまり考えずに適当に配置していたとの見方もされています。
- 関連記事:東大寺南大門「金剛力士像」【国宝】/東大寺南大門
三月堂(法華堂)の仁王像が「東大寺の七不思議??」
この金剛力士が実は東大寺における七不思議とも囁かれています。その理由は、南大門の仁王像を含めて東大寺の仁王像は、なぜか左側に阿形像、右側に吽形像が置かれているからです。(通例では、おおむね右側に阿形像、左側に吽形像が置かれる)
三月堂や南大門に訪れた際は、是非!ご覧になってみてください。オホ
【補足】東大寺・法華堂(三月堂)の仏像配置図
法華堂内の仏像配置図に関しては以下のページを参照してください。
東大寺・法華堂(三月堂)の場所とアクセス(行き方)
東大寺法華堂の場所とアクセス(行き方)については当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。