奈良県・東大寺の大仏と大仏殿を作った人・作り方・作った理由って??

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奈良県・東大寺の大仏と大仏殿を作った人・作り方・作った理由って??

奈良県・東大寺の大仏殿にとんでもない過去が!?大仏さんの「柱の穴・鼻の穴と屋根・瓦」 の「由来・意味・歴史」奈良県の東大寺は、天平15年(743年)に創建された、歴史あるお寺です。

つまり、今よりも1000年以上前に建てられたということになります。

しかし、謎となってくるのが、叫びたくなるようなこんな疑問です。

「誰が?」

「どうやって?」

「なぜこんなドデカイ大仏を作ったの??」

・・と、言う疑問です。

東大寺(大仏殿・大仏)が作られた理由

そもそも東大寺が造られたのは、主に以下のような理由があるからだと言われております。

  • 鎮護国家・・・仏さまに願えば、仏さまが国を守ってくれる
  • 差異思想・・・国に起きる洪水・干ばつ・日食・地震といった災害は国を治めている者の政治が悪いことに対する天からの罰である。

この2つの思想を、当時の天皇であった「聖武天皇」が持っていたからと言われています。

すなわち、どうか仏さまの力で国を守ってほしい、そして、天からの罰を受けないようにするため・・など、良い政治をしたい!と、いう考えがあったそうです。

東大寺・大仏殿を作った人

東大寺を造る計画立てた人は、奈良王朝初めての男性天皇だった「聖武天皇」と「光明皇后」だと言われています。

このお二人の間には子供がいました。

しかし、その子供が幼くして亡くなってします。

悲しみにくれたお二人は、皇太子を供養するためにお寺を建てることを考えます。

その建てたお寺の名前が「金鐘寺(こんしゅじ)」と言うお寺だそうです。

そして、この「金鐘寺」が、後に「東大寺」になったと言われています。

 

奈良王朝初めての男性天皇だった「聖武天皇」と「光明皇后」が幼くして亡くなってしまった、皇太子を供養するために建てた「金鐘寺」が東大寺の始まりと言われています


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東大寺の大仏を作った人

大仏づくりを指示したのも同じく、「聖武天皇」だと言われています。

しかし、実際に大仏造りの現場を指導したのは、「行基(ぎょうき)」だと言われています。

行基とは?

「行基(ぎょうき)」とは、高い身分の僧侶だった人です。

大仏を作った人当時の時代では比較的、僧侶と言う身分が、朝廷の力により優遇されていました。

しかし行基は、自らの権力や財力を、民の暮らしが良くなることだけにに使いました。

その結果、「民を見方に付けて、朝廷への反逆の企てがある!」・・などと、朝廷から目をつけられてしまいます。

そして、今度は自らを加護していた朝廷から弾圧を受けるのです。

しかし今度は民が、今ままで行基に受けた恩に報いるために結集し、行基を助けました。
この後、国中の民の力を背中に得た行基は、朝廷の力をねじ伏せてしまいます。

そして、やむなく朝廷(聖武天皇)は、行基に「大僧正(僧侶の最高位の位。行基が日本で最初に就任した)」を与え、行基と民と和解をします。

その後、行基は聖武天皇より、重要な国家プロジェクトである「奈良の大仏(東大寺)建立」の総責任者に任ぜられ、民の力を背景にした行基は、見事、東大寺が完成させることに成功しました。

この多大な功績により、行基は、東大寺の「四聖」として数えれ、現在に至ると言うワケです。

ちなみに、この奈良・東大寺の大仏を作り始めたのは743年、そして、752年に大仏建立の詔が出され、大仏が完成しています。しか行基は奈良県にある菅原寺と言うお寺で749年に、亡くなっています。

しかし、行基が没してから大仏完成までの3年間は、聖武天皇が行基の志を汲み、先導し、752年に見事、なら東大寺の大仏(盧遮那仏)は完成を迎えています。

ちなみに、東大寺の大仏様は、過去に2度も火災にあっています。

1180年と1567年に焼失してしまい、現在の大仏は1692年に修理したものです。

聖武天皇は民と共に大仏を作ろうと「一枝の草、一にぎりの土」と呼びかけたそうです。

なぜ、大仏を建物の中に入れたのか?(外でも良かったハズ)

もともと、東大寺の大仏の上に屋根を付けて、1つの建物にしようと計画されていました。

したがって、なぜ、建物の中に大仏を入れたのか?と言う発想には、食い違いがでてきます。

古来より、仏教において「十(じゅう)」という数字は、宇宙規模に拡大出来る特別の数字と言われていました。

すなわち、無限を表す数字です。

そんな理由から、仏像の基本寸法である「丈六(じょうろく)=4.85メートル」を10倍した寸法で、造る計画がされたのが主な理由となります。

しかし、東大寺大仏は、15メートルなのに、これを計算していくと40メートルを超えてしまうけど、いったいどういうこと??

15メートルと言う寸法ですか、当時の木造技術や予算・期間、それに人足の関係で、15メートル以上の大仏が造れるのかが、難しく簡単ではなかったと言えます。

しかし、寸法としては15メートルですが、意味合いとしては、無限大の大きさを表しているそうです。

つまり、無限大の大きさで苦しむ者を救うといったところでしょうか。

大仏作りに使った材料

  •  銅:499トン (4トントラッ約125台分)
  •  すず:8.5トン  (4トントラック 約4台分)
  •  水銀:2.5トン  (4トントラック 約0.5台分
  •  金 :440kg
  •  炭 :1194㎥

大仏作りに関わった人の数

  •  延べ260万人 (当時の人口の40%)

 

しかし、当時の日本の人口の少なさにも驚きまが、全人口の約半分もの人を、大仏を造るためだけに、自在に操れた天皇の力や、行基さんの力にも驚きます。

大仏を造るためにだけに、壮大な「一大・国家プロジェクト」とも言うべき規模の計画を立てています。

当時の日本にとって、大仏殿と大仏を造ると言うことが、本当に人々を救える、由一の道であると言うことが、いかに信じられていたのかが理解できると言うものです。

東大寺の大仏の作り方

大仏の作り方

 1.木で骨組みを作る

 2.骨組みに粘土を塗る

 3.原型にさらに粘土を塗って鋳型を作る

 4.原型の表面を少し削る

 5.削った分だけ原型と鋳型に隙間ができる

 6.隙間に銅を8回に分けて流し込む

 7.鋳型を外して、表面を磨き、金を塗る

 8.大仏が完成する

 

このような壮大な計画のもとで、造られた大仏様です。

このように歴史を知ってから、東大寺へ実際に行って見ると、随分と違った見方できるというものです。

といいますのも、自然に興味が湧いてきますので、観光する箇所も自然と増えてくるハズです。

せっかく旅行に来たのだから、旅行のプランも厚みがある方がイイに決まってますしね

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