鹿格子(法蓮格子・奈良格子)とは?|由来と歴史

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鹿格子とは?

「鹿格子」とは、杉丸太を二つ割りにして窓や柵、あるいは縁葛(えんかずら)の前に固定する形で設置した奈良町特有の格子。

数は素敵に減ったが、奈良町では民家や商家の玄関先で今でも見られる♡

↑ならまち格子の家の鹿格子

「法蓮格子」とも呼ばれる

町家型農家が多い法蓮町の農家では、格子が数多に見られたことから、いつしか「法蓮格子」とも呼ばれるようになった。

「奈良格子」とも呼ばれる

‥以上のように奈良町に多く見られる特徴的な格子だったことから、いつしか「奈良格子」とも呼ばれ始めたのだった。

鹿格子が奈良町の民家に数多に設置されている理由

1672年に奈良奉行の溝口信勝によって始められた「鹿の角きり」は、現在、鹿苑の角きり場で行われているも、当初は興福寺、東大寺内で行われていた。

当時は「角伐(かくばつ)」とも呼ばれ、他にも木町、高天町、中筋町のほか、餅飯殿町、橋本町などの奈良町の六ヶ町で催されていたらしく、奈良奉行所の立ち会いのもと輪番制で担当していた。

それぞれの町の民家ではツノ切りの概ね10日前から木戸を閉めて鹿を追い込む準備を行なった。

これらの町の民家では、まず町内を格子と竹矢来(たけやらい/竹を交差させて作った囲い)で囲み、鹿をその町内へ追い込む。

そして一頭ずつ傷を負わせないようにして、町内の空き地(餅飯殿町の大宿所、東向会所など)に追い込んで封じた。

特に盛況だったのが、奉行所前の広場に設置された檻。奉行所前広場の檻には、奈良公園でもっとも大きな雄鹿が入れられた。

そして、いざ角きりが開始されると、放たれた鹿は町中を駆け回り、角を切る役目の若者は鹿を追いかけまわし、捕まえたらノコギリでツノを切り落とす。

一方、見物人らは概ねどの家庭でも日本全国から親戚という親戚を呼び寄せ、正月並みに酒肴を用意して出迎える。そして、鹿追いやツノ切りの様子を木戸を閉ざした町屋や店の中から楽しんだ。

解き放たれた鹿を追いかける若者たち、民家の中から親戚らと共に鹿を追いかけ回す若者たちの様子を観ながら、歓喜に沸き立つ人々‥。

奈良伝統の鹿のツノ切りとは、まさに年内屈指の盛大なお祭りだったのであった。

↑江戸時代の角切りの様子を描いた版画「南都神鹿角伐之圓(版元 南都 三笠山麓 東栄堂)」

‥以上、今でも、角きりの時に鹿が暴れまくる姿は痛々しくも迫力があって、ワッ!と歓声が上がるたびに興奮が沸き立つ。

しかしながら、もし道端に立って見物した場合、興奮した鹿の猛突進を受けて一歩間違えれば命を落とす危険性もあったかもしれない。

まさに命懸けの見物となったわけだが、このような鹿格子が奈良町で、きわめて素敵に多用されるようになったのも、角切りの見物、鹿の保護のためだったのであ〜る。

昭和初頭から鹿苑のツノ切り場所で行われるようになった

どうやら角きり行事は明治初期に一時中断したらしいが、明治中頃になって、春日大社の参道や境内地で再び行われるようになった。

そして、1929年(昭和4)から、現在の鹿苑の角きり場で催されるようになった。

その後、太平洋戦争の戦時中に再び一時中断されたが、現在まで古都奈良のシンボリックな年中行事として連綿と続けられてい‥申す。ひょ

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