【重要文化財】東大寺・四月堂(三昧堂)の歴史(由来)・建築様式(特徴)・大きさ・作った人・見どころを‥‥‥知りたぃ?

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奈良 東大寺・四月堂(三昧堂)【重要文化財】

創建年

1021年(治安元年/平安時代)

再建年

1282年(弘安5年/鎌倉時代)※修理
1681年(延宝9年/江戸時代)※修理

建築様式(造り)

二重・寄棟造※初重もこし屋根付き

大きさ

四辺:約6m

屋根の造り

本瓦葺

ご本尊

十一面観音菩薩※現在の御本尊(2013年より)
千手観音菩薩立像(※旧・御本尊)
普賢菩薩立像(※千手観音の前のご本尊)

脇侍

阿弥陀如来坐像
薬師如来坐像
普賢菩薩像(像の上に乗る)

重要文化財登録指定年月日

1903年(明治36年)4月15日

発願者

仁仙法師
助慶上人

東大寺・四月堂(三昧堂)の読み方

東大寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の堂舎や仏像がありますが、三昧堂は「さんまいどう」と読みます。

また別名で「四月堂(しがつどう)」とも読みます。この「四月堂」という名前は比較的、近世で呼ばれはじめています。

また、「普賢菩薩立像」を祀っていたことから東大寺では「普賢堂」とも呼ばれるようです。

「三昧堂」の名前の由来

1021年(治安元年)に仁仙大法師と助慶上人の2人が「普賢三昧会」を行う際に創建されたのが三昧堂(四月堂)であり、この「普賢三昧会」が堂舎の名前の由来になっています。

「法華三昧」とは法華経の経典に基づいて「悟りの境地に至るための修法のこと」です。悟りの境地に至るために法華経の経典をひたすら読経する修法になります。

「四月堂」の名前の由来

四月堂の名前の由来としては以下の2つの由来があるとされています。

【その1】仁仙大法師と助慶上人が修行に入った月

1021年(治安元年)に、仁仙大法師と助慶上人が修行に入ったのが4月であったことから別称「四月堂」の名前が付されたとされています。

【その2】例年、4月に「普賢三昧会」が行われた

上述、普賢三昧会がこの四月堂で例年、4月に執り行われたことから、知らぬ間に「四月堂」と呼ばれるようになっていったとされています。

東大寺・四月堂の歴史・由来

東大寺・四月堂の歴史は不鮮明な部分が多く、現在に至っては1021年(治安元年/平安時代)の創建と伝えられています。

創建したのは仁仙大法師と助慶上人の2人です。いずれも天台宗の僧侶であると考えられます。

現在みることのできる堂舎は1681年(延宝9年/江戸時代)に再建された時の姿になります。

堂舎の材質の年代判定から再建の際に鎌倉期・室町期の廃材を使用して再建されたものだと考えられています。

東大寺・四月堂の建築様式(造り)

ちょっと四月堂の屋根に注目してみてください。一見すると2階建の建物に見えますが、これは屋根が2重になっています。この屋根は初重部分が裳階(もこし)になっているので屋根が2重に見えるのです。

ちなみにこのような裳階(もこし)屋根は、実は南大門や大仏殿、他に戒壇堂でも見ることができます。(南大門や大仏殿は2階部分がありません)

1681年(延宝9年/江戸時代)に改修されていますが、このとき、鎌倉時代と室町時代の古材を利用して以前の姿をそのまま踏襲する形で改修されたと考えられています。

四月堂の仏像

千手観音菩薩立像【重要文化財】

2013年(平成25年)以前の四月堂の御本尊は「千手観音菩薩立像」でした。しかし現在は南大門前の東大寺ミュージアムへ移されて展示されています。

千手観音菩薩立像に関しての詳細は以下の別ページにてご紹介しています。

木造 阿弥陀如来坐像【重要文化財】

像高:85㎝
造立年:不明(推定:平安時代)
造立方法:一木割矧造
材質:ヒノキ

「一木割矧造」とは、「いちぼくわりはぎづくり」と読み、これは一材から切り出した材木をさらに頭部から体躯に分けて切り出し、割った面を内刳り(うちぐり)にして再び接合する造立方法となります。この造立方法は一木造りから→寄木造りの過程の造立方法であり、「一木割矧造」と出てくるだけでおおむね平安時代の仏像に位置づけられます。

四月堂の阿弥陀如来座像は頭部、さらに両耳中央を通る線で前後に割り出され、頭部がすべて内刳りにされて組み上げられています。

目ん玉部分に玉眼(ぎょくがん)が据えられていますが、これは後補と言われ、実際は彫り出された痕が残っています。(一般的に仏像に玉眼を用いるのは鎌倉時代以降の特徴とされる)

平行状態の衣紋や肩の下がり具合などは平安時代の仏像の特徴でもあります。

なお、後頭部の蓋板、表面の漆箔などは後の時代で付けられたものだと考えられています。




四月堂でも御朱印をいただけます!

四月堂は料金は無料で拝観できます。堂内に入ると出入口の右側に窓口が先あるため、御朱印帳を預けてから内部を拝観することができます。拝観&お参りが終わった後、御朱印帳を受け取れます。(御朱印だけいただくのはNGです)

四月堂は堂舎が小さいのでできるだけ、次に並ぶ人のことを考えて御朱印帳を先に預ける方が邪魔にならなくて無難です。ただ、本来はお参りが先だという認識を強くもってください。

四月堂の御朱印の種類

四月堂では現在以下の4種類の御朱印がみられますが、現在、すべての御朱印を授与されているかは不明です。(直接、お聞きください)御朱印はおおむね以下の要件にあてはまる時は変更になることがあります。

  • 書き手の方が引退された
  • 朱印がスリ減って押印できなくなった
  • 御本尊が変わってしまった

四月堂は上述したように2013年以降、御本尊が変わっていますので、現在の御本尊である「十一面観音菩薩」と付随する形で「お普賢さん(普賢菩薩)」の朱印がいただけるようです。

四月堂で現在、授与されている御朱印

四月堂の過去の御朱印

東大寺でもらえる御朱印の種類一覧は以下のページをご参照ください。ウフ

四月堂にかつて置かれていた「良弁石」

四月堂の敷地の角には、江戸時代まで大きな石が置かれていました。この石は江戸時代まで二月堂の「良弁杉」と合わせて「良弁石」と呼ばれており、かつて良弁僧正がこの大石の上に座して都(平城京)へ向けて「金輪聖王天長地久(きんりんしようおうてんちょうちきゅう)」と唱えたとされています。

「金輪聖王」とは天皇のことを指し、「天長地久」とは、天地が永久不変なものであることに例えて、「物事がいつまでも変わらずに永遠に続くこと」を意味します。すなわち「天皇の治世が永遠に変わらずに続く」という解釈になります。

四月堂の入堂料金・拝観時間・定休日など

入堂料金

四月堂は無料で拝観できます。堂内もそれほど広くはなく、出入口から御本尊「十一面観音菩薩立像」や「受付窓口」が目視できます。

 

拝観料金が必要な大仏殿、三月堂、戒壇堂のように立って移動するのではなく、靴を脱いでお堂に上がれば畳敷きの空間が広がっています。

すなわち、田舎にある小ぢんまりとしたお寺のように正座をしてお参りする格好になります。(受付も小さいです。)

拝観可能時間

8時〜16時まで

定休日

年中無休

東大寺・四月堂の場所とアクセス(行き方)

東大寺・四月堂は、大仏殿から所要時間にして徒歩約6分ほどの場所に位置します。

詳しくは中門を向かいみて右手方角へ歩き、鏡池を過ぎて手向山八幡宮の一の鳥居をくぐり直進した先に位置します。目の前に法華堂(三月堂)があります。

ちなみにこのあたりは東大寺の前身寺院となる「金鐘寺(こんしゅじ)」があった場所で、尊崇の念を込めて特別に「上院地区(じょういんちく)」と呼ばれているエリアです。
向かいには「絵馬堂茶屋」という東大寺境内のカフェ店があります。

四月堂へのアクセス(行き方)については以下の別ページをご覧ください。

 奈良・東大寺 二月堂の「アクセス(車・バス・電車・タクシー)・駐車場・住所・場所・電話番号」(地図付き)

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