東大寺 三月堂(法華堂)の歴史(由来)・建築様式(特徴)・大きさ・作った人・拝観時間を‥‥知りたぃ❓

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東大寺・三月堂(東大寺・法華堂)【国宝】

東大寺・三月堂の見どころ【その1】「2つの合体した建物」

創建年

  • 不明
  • 推定:733年頃(天平5年)※奈良時代
再建年

  • 1199年頃(正治元年)
  • 1900年(明治32年)※解体修理
  • 1937年(昭和12年)※屋根葺替え
  • 1961年(昭和36年)※第二室戸台風による復旧修理
  • 1972年(昭和47年)※屋根葺替え
  • 1983年(昭和58年)
  • 2010年(平成22年)
大きさ

  • 正面五間(約12m)
  • 側面八間(約14.5m)
建築様式(造り)

  • 正堂(前部分):入母屋造、平入
  • 礼堂(後部分):寄棟造、妻入
屋根の造り

  • 本瓦葺
重要文化財指定年月日

  • 1897年(明治30年)12月28日
国宝指定年月日

  • 1951年(昭和26年)6月9日
発願者

  • 聖武天皇
  • 重源上人※再建

三月堂(法華堂)の読み方

三月堂は「さんがつどう」、法華堂は「ほっけどう」と読みます。

”三月堂”の名前の由来

746年(天平18年)にはじめて「桜会(法華会/ほっけえ)」が行われるようになり、以降、旧暦の3月に定期的に執り行われるようになったことから「法華堂」または「三月堂」の通称が付されていると云われています。

また、日本で初めて華厳経(けごんきょう)が講義されたのはこのお堂だとも言われています。

ところで‥‥法華堂とは何をするところ?

法華堂とは法華三昧堂(ほっけさんまいどう)の略称であり、元来、天台宗における法華三昧(ほっけざんまい)と呼ばれる行を修するための道場とされる。

しかしながら、この東大寺法華堂のように法華会を厳修する仏堂も存在したり、鎌倉の源頼朝卿の墓に見られるような貴人の御霊を弔うための墳墓堂や納骨堂をも指すようになる。

三月堂の歴史

「三月堂」とも呼ばれる「東大寺・法華堂」は、いくつもある東大寺の堂舎の中では最も古く、創建は740年頃(奈良時代)と考えられています。

もともと創建当初から2つ堂舎が存在していたと考えられており、鎌倉時代の再建時に独立していた各堂舎を接合させて1つの堂舎したと考えられています。

この三月堂(法華堂)は、「国宝・不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん/ふくうけんさくかんのん)」をお祀りするためのお堂で、古くは「羂索堂(けんさくどう)」や「羂索院(けんさくいん)」と呼ばれていたようです。

東大寺の寺伝においては、聖武天皇の第一皇子「基親王(もといしんのう)」の御霊を弔う目的で造営されたと伝わっており、東大寺の前身でもある「金鐘寺(こんしゅじ)もしくは金鐘山寺(きんしょうさんじ)」の遺構の1つであるとも考えられています。

また、その金鐘寺には伽藍が存在し、なんとぉぅ!その中でも近藤くんに位置付けられていた・・おっと、金堂(本堂)!!に位置付けられていたとも考えられています。

その他、法華堂や二月堂が建つ小高い丘陵地帯は、東大寺境内の中でも古来、「上院(じょういん)」と呼称されており、東大寺境内の中でももっとも尊ばれている場所となります。

現在、この法華堂(三月堂)は、1951年(昭和26年)6月9日に国宝指定を受けています。

礼堂の再建年数

礼堂正面の妻側の屋根の軒下の部材である「大瓶束(たいへいづか)」と屋根の上の横木となる「棟木(むなぎ)」がありますが、大瓶束の方には、「文永元年 1264年」の刻字が見つかっており、当初はこれが再建年とも考えられたようです。

しかし、棟木から見つかった「棟札(むなふだ)」には「正治元年 1199年」の刻字が刻まれており、この刻字の年数の方が古いことから、これが正式な再建年数とみられています。

東大寺法華堂(三月堂)の創建年について

733年説

実はこの三月堂の創建年に関しては諸説あり、その中でも733年説が濃厚であると云われております。

この事実は東大寺に伝わる「東大寺要録」に記されていましたが、現在の調査では、733年より10年後に創建された説が濃厚とされてきました。

733年説の根拠となるものがご本尊が安置されている須弥壇(しゅみだん)に使用されている樹木の材質がなんと!「729年(天平元年)に伐採されたヒノキ材である」という事実が明らかにされたからです。

740年から743年説

上述した733年から10年後の創建説の根拠とは、法華堂の瓦を修繕した際、瓦を葺いたとされる人物の押印銘が残されています。

実はこのような押印銘は740年(天平12年)から743年(天平15年)の間に造営されたとされる「恭仁宮(くにのみや)」跡からも類似した押印銘が見つかっており、この事実から恭仁宮を廃して平城京へ遷都した後、恭仁宮の瓦をこの法華堂造営にために再利用したとする説が述べられています。

これらの事実から740年から743年頃にこの法華堂が造営されたとの見方もされています。

2011年(平成22年)の解体修理で発見された真実

この三月堂(法華堂)は1900年(明治32年)の他、昭和時代に2回、解体修理が実施されていますが、これらの解体修理ではどのような修理が実施されたのかが実際のところ詳細まで明らかにされておらず、平成22年の修理では明治期の解体修理がどのようなものであったのかを調査する目的も兼ねて、屋根の葺替えをメインとした修理が実施されています。

平成22年の修理は緊急に企画されましたが、この理由は三月堂の床下や須弥壇がシロアリに侵食されていたためです。床下がシロアリに食われているということは、その上に安置される仏像にも被害が及ぶということで、堂内の仏像をすべて奈良国立博物館などへ移動させ、以下の調査が並行して実施されています。

  • 仏像の修理・材料に使用された木材の年輪(ねんりん)鑑定による造立年判定
  • 須弥壇の地下の調査(非破壊探査と発掘調査)
  • 須弥壇の補強工事
  • 内部土壁の漆喰壁
  • シロアリ被害を受けた正堂床下および須弥壇の修理、シロアリ駆除
  • 束柱を2倍に増やしてして補強材とする
この修理で判明した事実

  • 八角須弥壇の構造材を年輪鑑定にかけたところ、なんと!729年頃(奈良時代)の木材が使用されていることが判明しており、この事実から729年創建説も浮上
  • さらに驚くことに、のぉあんと!床板の全面積の約半分近くにわたって創建当初の木板が使用されていたとのこと。
  • 蛍光X線調査では御本尊「不空羂索観音菩薩立像」の宝冠に付属されている約3割のガラス玉がなんと!古墳時代のものと判明!

なお、本修理は2011年(平成22年)から開始され、2014年(平成25年)までの3年間という長期間にわたって実施されています。

三月堂の内部図

現在の正堂には「出入口」および「拝観受付」兼「授与場所」があります。

礼堂には須弥壇があってその上に法華堂の仏像が安置されています。ただし、後述する「国宝・執金剛神像(秘仏)」のみ礼堂の最奥の厨子に安置されており、通常は一般参拝できなくなっています。(例年12月16日のみ一般公開)

⬆️法華堂の拝観受付窓口

三月堂の最大の見所や特徴は、まずはその建物の造りにあり、2つの建物がくっついたように見える個性的な形をしています。

これは創建当初、実は以下の2つの「寄棟造り(よせむねつくり)」のお堂が隣り合って建っていたからです。

  • 正堂(しょうどう)
  • 礼堂(らいどう)

鎌倉時代に「礼堂」を改築した際、この2つのお堂を現在のような形にしたと云われております。

尚、「礼堂の正面」と言うのは、2つのお堂が見える方向から見て「右側の側面」になります。(真向かいに手向山八幡宮の鳥居がある)

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三月堂の建築様式(造り)

全体的に見て堂舎の周囲は出組(一手先)で組まれており、彩色がない質素な造りの堂舎です。

向かって右側の堂舎には壁面を支える横木の長押(なげし)と、さらにその下にも横木があるのが分かります。

この横木は「貫(ぬき)」と呼称し、横木が2本で組まれていることが分かります。

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逆に向かって左側の堂舎は、長押のみで構築されているのが分かります。

つまり奈良時代と鎌倉時代とでは奈良時代の方が斗(と)が高く組まれており、鎌倉時代では斗が低く組まれていることが分かります。

これらは重源上人が考案した大仏様の組み方であり、この部分に重源上人の卓越した知識や技術を垣間見ることができます。

重源上人は鎌倉期に礼堂を再建する際、2つの堂舎の間に廊下の代わりになる「相の間」という小部屋を造っています。

この相の間を通じて長押などの横材を巧みに用い、違和感なく2つの堂舎を見事に接続させています。

正堂と礼堂が接続されている部分に注~目っ!!

他にもちょっと面白い物をお目にかけることができますので、併せてご紹介しておきます。

向かって右端から数えて4本目の柱、ちょうど双方のお堂が繋ぎ合わさっている部分に注目してみてください。

この4本目の柱の上だけは組物がなく、外側へ向けて木造の小さな水路である「雨樋(あまどい=雨水が流れる通路のこと)」が据えられていことが分かります。

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⬆️中央・雨樋部分にフタのような物が取り付けられているのが見える。

この雨樋こそが、その昔、正堂と礼堂が別々の堂舎であったことを物語っています。

また、上記の4本目の柱から向かって左側の足元部分には木柵が取り付けされているのに対して、左側の正堂には木柵がなく亀腹(かめばら)が見受けられます。

%e8%85%b0%e7%b5%84%e3%81%ae%e6%9c%a8%e6%9f%b5↑4本目の柱の下から木柵がないのが分かる。

これも別々の堂舎であった名残と言えます。

この腰組の上を左右のお堂を一周する形で縁(えん)と擬宝珠(ぎぼし)が乗った高欄(こうらん=手すり)が廻っていますが、これも左右で段差あり、もとは別々の堂舎であったことを物語っています。

また壁面の出組(一手先)の組物と組物の間には、間斗束(けんとづか)と呼称される中備(なかぞなえ)があります。

この間斗束を上下で2つ据えて組み上げるのも奈良時代の建築の大きな特徴と言えます。

ただし、間斗束は双方の堂舎にて組まれているため鎌倉期の再建において、奈良時代の様式を踏襲して組まれたものと考えられます。

また4本目の柱を境として中備の形状が異なっていることにも注目できます。

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改築した時期ははっきりとはわかりませんが、いずれにせよ創建から数百年後のことです。

時代も建築様式も違う2つの堂舎が見事に融合した稀有な華麗美は必見です!

一早く中に入りたい気持ちを押さえて、是非!ジックリと外観を見学してみてください。

三月堂の「西側」に注目!!

この三月堂の正面は「南側ですが、2つのお堂が繋がった様子が確認できるのは「西側です。

三月堂の西側は大仏殿から歩いて正面に当たる側になります。

東大寺・三月堂の「西側」に注~目!!!⬆️西側(二月堂側)から見れば屋根が重なって見える

この西側から見た場合、以下のようになります。

  • 向かって左半分が奈良時代の「正堂」
  • 右半分が鎌倉時代の「礼堂」




東大寺・三月堂(法華堂)の見どころ

【見どころその1】東大寺・三月堂の「仏像」

東大寺・三月堂の中には最近まで18体もの仏像がありましたが、現在、その一部が東大寺ミュージアムに移され、10体がお堂に残っています。

ほとんどは奈良時代の制作で参拝者は秘仏である「執金剛神像」以外の仏像はいつでも見られます。

執金剛神像は、年に1回、12月16日のみ拝観することができます。

執金剛神像に関しては当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。

 奈良 東大寺 法華堂(三月堂)執金剛神立像【国宝】

【見どころその2】「ご本尊・不空羂索観音菩薩立像」【国宝】

東大寺・三月堂の見どころ【その2】「ご本尊・不空羂索観音立像」

造立年

  • 不明(推定:710年–794年/奈良時代)
造り

  • 脱活乾漆造
像高

  • 約362cm
国宝指定年月日

  • 1952年(昭和27年)3月29日

東大寺・三月堂のご本尊は「不空羂索観音立像」です。読み方は「ふくうけんさくかんのん」と読みます。

「不空羂索観音立像」は、三月堂創建の頃の制作で、その高さはなんと362cmもあります!

三目八臂(3つの目と8本の腕)」で、更にきらびやかな光背をまとった、大変、印象的なお姿です。

それに加え、頭上の宝冠も、歴史的工芸品としてとても価値の高いものとなります。(”世界三大宝冠”の1つと云われています。

不空羂索観音立像の宝冠の大きさ・特徴など

  • 銀製
  • 88cm
  • 2万個以上の瑠璃
  • 真珠
  • 水晶

宝冠は以上のような宝石で飾られ「透かし彫り」も見事です。

時代へ経て今や色褪せていますし、362cmの仏像の頭上まで肉眼で、つぶさに観察するのは普通の人の視力では難しいかもしれません。

三月堂に参拝に行った際は、是非、細かいところまでチェックしてみてください!

尚、現在みることのできる「不空羂索観音像」は、1906年(明治39年)に仏像修繕師・岡倉派の新納忠之介によって簡易修繕されたものです。

不空羂索観音像に関しての詳細は当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 奈良 東大寺・「乾漆 不空羂索観音立像(法華堂・三月堂)」【国宝】

その他にも「帝釈天立像」という仏像も奉安されています。

 東大寺・法華堂(三月堂)「梵天・帝釈天立像」【国宝】

【見どころその3】三月堂の御朱印

三月堂でも御朱印を授与していただくことができます。

中央に「法華」の文字の御朱印

中央に「不空羂索観音」と書かれた御朱印

中央に「執金剛神」と書かれた御朱印【12月16日良弁忌・限定授与】

三月堂の御朱印の詳細については以下の別ページでご紹介しております。

 奈良・東大寺(二月堂・三月堂など)の御朱印の「種類・値段・購入場所」

【その4】大黒天

あまり目がいきませんが、実は法華堂の裏側、二月堂の石階段の登口の前には大黒天が祀られています。

二月堂の舞台に上がる前に是非!参拝にお越しください。

なお、東大寺には他に二月堂の南茶所龍美堂というお茶屋さんの店内にも大黒天がお祀りされています。お茶をいただくついでに龍美堂の大黒天にも是非!お参りください。

龍美堂に大黒天が祀られている理由は以下の別ページにてご紹介しています。

東大寺法華堂の仏像配置図

法華堂の仏像配置図に関しては以下のページをご覧ください。

奈良・東大寺三月堂の見学所要時間

通常拝観での所要時間

上記の法華堂内部図をご覧になって理解が深まったかと思いますが、法華堂は拝観入口から入って、靴を脱いで右端から内陣へ入ると、目の前に須弥壇があってまず、金剛力士像(吽)が正面に出てきます。

その中央に御本尊「不空羂索観音菩薩立像」が安置されていますので、受付から徒歩20秒ほどで須弥壇に到達できます。

よって最短の所要時間は約5分。じっくりと拝観するのであれば30分〜1時間くらいです。(人によりけり)

12月16日「特別一般公開日」の混雑具合と見学できる所要時間

三月堂(法華堂)は毎年12月16日に開山堂で執り行われる「良弁忌」と同じ日に足利義満など稀代の権力者が拝観しに訪れたという国宝・執金剛神立像が特別一般公開されます。

この日は通常閉ざされている御本尊「不空羂索観音菩薩立像」の裏側に行くことができます。この裏側の厨子(ずし/豪華な入れ物)の中に上記の秘仏「国宝・執金剛神立像」が安置されています。

さらに、このときは拝観者が増加するため、堂内は込み合います。

すなわち見学所要時間が平常時よりも増えることになりますので、留意が必要です。

  • 12月16日の見学所要時間:約20分

なお、国宝・執金剛神立像の前は大混雑するため、数十人が一度に拝観できるために階段が設置されていますが、この階段に滞在できる時間が限られています。すなわち次から次に拝観者が入場してくるので、執金剛神立像を観れる時間が有限だということです。(時間にして約5分)

5分以上経過すれば、「後ろでお待ちの方にお譲りください」などのアナウンスがあります。

奈良・東大寺三月堂の拝観料金(入場料金)

こちらのページでご紹介する料金などは変更になっている場合がありますので、最新情報は公式ホームページなどでご確認ください。

この三月堂(法華堂)は2013年5月まで、修繕工事が執り行われており、なんと!3年間という期間をかけて行われました。

現在は修繕工事も無事に済み、再び拝観可能となっています。

気になるのは拝観料金ですが、修繕前と変更なく以下の通りになります。

東大寺・三月堂の拝観料金

  • 大人500円(個人の場合)→2018年より600円
  • 小学生は300円(個人:300円・団体200円)となります。

尚、東大寺では大仏殿、法華堂(三月堂)、戒壇堂に拝観料金が必要になります。

拝観料金は各それぞれ必要になります。

この他、上記以外の堂舎にての特別開扉時にも別途、拝観料金が必要になります。

東大寺・三月堂の「拝観料金割引適用媒体」

団体割引(30名以上)

大人(大学生以上):450円
高校生:400円(教職員は無料)
中校生:300円(教職員は無料)
小学生:200円(教職員は無料)

※追記※

2018年1月度より以下のような理由で拝観料金が値上げになっています。

  • 東大寺では七重塔を含めた東塔院跡の調査、発掘のため
  • 増加する参拝客の場内整理のための人員、資材確保のため

奈良・東大寺、三月堂(法華堂)の拝観時間(営業時間)

東大寺の三月堂の拝観時間(開門・閉門時間)も同じです。

季節(月) 拝観できる時間
11月から2月 8時から16時30分
3月 8時から17時
4月から9月 7時半から17時30分
10月 7時半から17時

季節により変わりますから、気をつけてくださいね。

※追記※

拝観時間も2018年1月度より以下の時間帯に変更になっています。

東大寺・三月堂の「新・拝観可能時間(2018年~適用)」

  • 4~10月は開門午前7時半、閉門午後17時30分
  • 11~3月は開門午前8時、閉門午後17時

東大寺・三月堂(法華堂)の場所と行き方(地図)

東大寺・三月堂(法華堂)の場所は、二月堂のすぐ南側。四月堂の目の前です。

大仏殿からだと中門(回廊)を正面に見て、大仏池を右に進むと鐘楼念仏堂三昧堂(四月堂)がある上院エリアが出てきます。上院エリアを通りすぎると四月堂と三月堂が視界に入ってきます。大仏殿から三月堂まで徒歩約10分。

ちなみに三月堂(法華堂)が建つあたりはかつて金鐘寺(こんしゅじ)もしくは金光明寺(きんこうみょうじ)と呼ばれた東大寺の前身とされる寺院の伽藍があった場所です。この伝承を敬う意味合いで別名で「上院」と呼ばれているエリアになります。

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