意外な由来があった!奈良県・東大寺・二月堂 お水取り(修二会)の「見どころ・日程・意味・お香水の秘密」など

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意外な由来があった!奈良県・東大寺・二月堂 お水取り(修二会)の「見どころ・日程・意味・お香水の秘密」など

大きな松明で有名な東大寺二月堂の「お水取り(修二会)」。

どんな意味のある行事なのかご存知ですか?

まず、修二会の読み方から・・

東大寺の境内には難しい漢字で表記された仏像や堂舎などがありますが、修二会は「しゅにえ」もしくは「しゅしょうえ」と読みます。

この修二会は、752年(天平勝宝4年)から開始されて以降、現代に至るまで中断されることなく例年、続けられてきたとされることから「不退の行法(ふたいのぎょうほう)」とも呼ばれています。

しかし、開始当初から「修二会」と呼ばれていたわけではなく、開始当初は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と呼ばれていたようです。

東大寺・二月堂の「お水取り(修二会)」って何?「修二会の歴史」

東大寺(二月堂)の「お水取り」って何?「お水取り」は東大寺で行われる仏教の法会の一つ、「修二会(しゅにえ)」の通称です。

仏教発祥の地インドでは2月新年となり、それに倣い、東大寺の修二会も旧暦2月に行われることから、この名前がついており「二月堂」の名前もこれに由来します。

修二会は752年(天平勝宝4年/奈良時代)の2月1日から14日間の日程でここ東大寺・二月堂で初めて営まれました。

「修二会」とは、仏教の法会の一種の名前で「お水取り」は、東大寺の「修二会」を指します。

修二会は本来は旧暦2月に執り行われてきた「悔過法要(けかほうよう)」に基づき、「修二会」と呼称されています。

修二会が行われる場所(メイン会場)

修二会が行わるメイン会場は、この「二月堂」と二月堂の下に位置する「閼伽井屋(あかいや)」「参籠宿所(さんろうしゅくしょ)」「開山堂(かいざんどう)」になります。

他に参観する上で修二会とはあまり関係ありませんが「戒壇院の庫裡」も修二会の準備に使用され、1年でもっとも忙しい時期を迎えます。

閼伽井屋

閼伽井屋の井戸は若狭の小浜市にある「鵜の瀬」に通じていると言われる井戸です。

「鵜の瀬」には「若狭井」と呼称される井戸水が湧いており、この水が地下を通ってこの東大寺「閼伽井屋」まで流れつき、「お香水」として修二会で使用されます。

若狭から流れ着いた井戸水が最初に発見された時、ちょうど「2羽の鵜」が留まって飛び去ったところから井戸水が湧き出たという摩訶不思議な故事になぞらえて、現在でも「閼伽井屋」の屋根には「鵜の鬼瓦」が飾られています。

戒壇院・庫裡

後述する練行衆と呼称される修二会の儀式の執り行う僧侶たちは、修二会の約2週間前からこの戒壇院の庫裡に入って生活します。

修二会とは東大寺を代表する法要であり、奈良時代から続く神聖で重要な行事ということもあり、一切の俗界の穢れを断ち切らなければならないので、身体の内側まで清めるために約2週間、この戒壇堂の庫裡で清浄で慎ましい生活を送ります。

食事は1日に2回(1回はオマケ)、入浴は湯屋で沐浴(もくよく)を行い、言動にすら気を使い自らを戒めます。

参籠宿所(一般参観者は見学不可)

「参籠宿所」とは二月堂の舞台の真下にある建物です。

2月末日になるといよいよ明日本番に備えて、参籠宿所に練行衆が入ったのを見届けた後、参籠宿所出入り口に結界を張ります。

この結界により、邪気の侵入を退け、同時に様々な神々の降臨を促します。

これ以後、参籠宿所より二月堂の本堂は完全に結界が張られ、練行衆は修二会の期間中、この参籠宿所で生活することになります。

開山堂


「開山堂」とは、東大寺を開山した「良弁僧正」がお祀りされている堂舎です。

修二会が終了した後の3月15日に修二会が無事に終了したことのご報告を良弁僧正へ行います。

ちょうどこの日は後述する練行衆(れんぎょうしゅう)が参籠宿所から出て俗界に戻る日でもあり、通称「宿所祓い」を執り行う日でもあります。

この日は修二会に参加した「練行衆」や、練行衆の世話役をした「童子」も一堂に会し、お祈りと共にご報告をこの開山堂の前で行います。

尚、開山堂についての詳細は当サイトの以下の別ページにてご紹介しております。

奈良 東大寺(開山堂)・良弁僧正坐像【国宝】

練行衆

東大寺・二月堂の修二会は「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる例年、選ばれた東大寺の寺僧11人によって執り行われます。

練行衆に選ばれると2月20日から「別火(べっか)」と呼ばれる潔斎(けっさい/身を清める)の前行が開始されます。

別火を行う場所は「別火坊(戒壇院の庫裡/くり)」であり、全身を清浄にするために「潔斎(けっさい)」に入ります。潔斎とは、食事や行動を慎しんだ生活を行うという意味です。

食事は1日2食で夜は茶粥のみです。言動をも慎みます。身体を清める時は湯屋にて沐浴(もくよく)を行います。

始めて修二会を行う寺僧は「新入(しんいり)」と呼び、2月15日から修二会における所作などを練習する目的で先立って潔斎に入ります。

修二会が開始された直後では練行衆がもっとたくさんいたそうですが、現在では11人になっています。

また14日の内、前7日間と後7日間とで練行衆が代わっていたようです。

ただし、現在でも受け継がれているのは、前7日間では「大観音」を本尊として法要を行い、後7日間は大観音の背面の小観音を前面に出して本尊として法要を行います。

練行衆には役割があり、大導師(だいどうし)がその年の練行衆を総括する隊長で、和上(わじょう)、咒師(しゅし)、堂司(どうつかさ)が中心となって修二会における重要な役割を分担して執り行います。

これらの4人は修二会における重要な位置付けを持つことから「四職(ししき)」と呼称されます。

ちなみに四職以外を「平衆(ひらしゅう)」と呼びます。

修二会は密教と神道が混在した法要

また、修二会は以下のような修法が執り行われることから密教の要素を色濃くもった法要とも言えます。

  • 「咒師(しゅし)」をたてて呪文を唱える。
  • 道場を浄化する洒水(しゃすい)を行い龍王を降臨させる。
  • 道場に結界を張り巡らせて護法善神に守護を祈願する。

さらに二月堂を守護する鎮守社(境内の3神社:飯道社・遠敷社・興成社)に練行衆が参拝する法要(惣神所)もあるため、「神祇信仰(じんぎしんこう)」いわゆる「古神道(こしんとう)」といった「神道との密接な結びつきがある法要」でもあります。

つまり、法要を通り越した神仏が習合した「壮大な一大儀式」と言えます。

「修二会の目的」と「修二会の創始者」

ところで・・修二会を一番始めに開始した人物は誰??

修二会の創始者は「実忠(じっちゅう)」と言う東大寺の高僧です。

上述した通り、修二会は752年(天平勝宝4年/奈良時代)の2月1日から14日間の日程でここ東大寺・二月堂で初めて営まれています。

以降、平成の現代まで1度たりとも中断されることはなく続けられています。

「実忠(じっちゅう)」とは?

実忠という僧侶は一般的には「良弁(りょうべん)」という高僧の弟子にあたる僧侶です。

良弁に関しては当サイトのいくつかのページでご紹介しておりますが、東大寺の初代住職であり東大寺の開山した高僧でもあります。

実は東大寺の修二会は仏教的目線から見ると、仏教の法会というよりは民族的な儀式のようであるとも云われています。

では、そもそもなぜ修二会が開始されることになったのでしょうか?

修二会が開かれる2つの理由(目的)とは?

 1つ目の理由

この東大寺大仏殿や盧遮那仏(るしゃなぶつ)の造立の際、多くの人々が命を落としています。

またそれと同時に多くの人々の手助けによって完成を迎えています。

つまり修二会の目的とは東大寺の大仏の造立に関わった人々と、造立の際に命を落とした人々の成仏と遺徳に感謝の意を捧げる法会であると云われています。

 2つ目の理由

もう1つ目的があると云われており、この理由に関しては二月堂にて執り行われる84回にも及ぶ、「懺悔(ざんげ)」の法要から汲み取ることができると云われています。

修二会期間中は、この二月堂では毎日、「十一面懺過(じゅういちめんけか)」、通称「六時の行法」と呼称される法要が合計6回も1日のうちに執り行われています。

十一面懺過とは、その名前から察することができるように、二月堂の御本尊・「十一面観世音菩薩」の前でお祈りを捧げ、これまでの行いを悔い改め「懺悔」することです。

つまり、十一面観世音菩薩に対して、大仏造立に関わった人々への感謝の意を示した一方で懺悔も行い、国民すべての諸願が聞き届けられるように祈願するということなります。

そして、この懺悔こそが実は二月堂で修二会が開かれることとなった最大の理由に紐づくものでもあります。

東大寺・二月堂で修二会が執り行われるようになった真の理由とは?

上述では「懺悔」のことをチラホラとお話しましたが、実はこの懺悔こそが二月堂で修二会が執り行われてきた最大の理由であると云われています。

実はこの東大寺の創建に貢献した高僧がもう1人いた事実はあまり知られていません。

そしてこの高僧に対して懺悔して、悔い改めることこそが、実は修二会が営まれる最大の目的であったとも云われています。

この高僧の名前、誰だかお分かりになりますでしょうか?

この高僧の名前を「親王禅師」と呼称し、つまりは皇族が出家した僧侶ということになります。

この高僧は皇族の血を利用して、様々な利害関係から東大寺造営の進行を守り、東大寺完成に導いた功労者でもあります。

また皇族の血に甘えることなく、親王禅師という地位を活かして上述した良弁と対等な立場で東大寺の造営に関しての意見を重ね合い、また実忠も親王禅師を慕って弟子のように接していたと伝えられています。

後に良弁は親王禅師の器量を認め、「自らの後継者として東大寺の住職になって欲しい」とまで告げた云われており、このことは東大寺に伝わる古文書「東大寺要録」に記されています。

しかしその後、順風満帆には立ち行かず、親王禅師も皇族であるが故に王位継承争いに巻き込まれることになります。

つまり、僧侶という立場から狩り出され、再び皇族(皇子)として王位継承者の地位に就くことになります。

その後、皇子となった親王禅師もやはり権力者争いに巻き込まれてしまい、挙句、謀反の罪を陰謀によってきせられてしまい、処刑されてしまいます。(7日間水と食事抜き=餓死の刑)

ちなみに、この親王禅師とは後世では祟神(たたりがみ)として恐れられ、祟りの力で天変地異を巻き起こし、長岡京を滅ぼしたとも伝えられる「早良親王(さわらしんのう)」のことです。

後の世では、早良親王の祟りを鎮めるために国を挙げて「鎮魂の儀式」が幾度となく執り行われています。つまりはこの早良親王(親王禅師)を鎮めるための儀式こそが、この修二会ではないか?・・とも云われております。

ちなみに、この修二会、2017年度で何回目かお分かりになりますか?

2017年度で1266回目を迎えます。

「修二会(お水取り)」の概要「見どころと日程・開始時間など」

「修二会(お水取り)」の見どころ東大寺の修二会は、当初、「旧暦2月1日から15日まで」でしたが、今では、「新暦の3月1日から14日(15日未明)まで」行われています。

法会は期間中、毎日続きます。

しかし、特別な内容になる日や時間もあるので、見に行く場合は予習しておきましょう。

「大中臣祓」

「大中臣祓」は「おおなかとみのはらい」と読みます。

正式には、大中臣祓の開始をもって、東大寺・二月堂「修二会」が開始されます。

大中臣祓は二月の末日から開始される法要であり、神事でもあります。

練行衆(れんぎょうしゅう)が明日本番の修二会を前にして身体全身を清めるための儀式です。

食堂の前に練行衆が集合して整列し修法が行われます。のちに祝詞(のりと)があげられます。

「悔過作法」

すでに上述しておりますが、悔過作法は二月堂で1日6回行われる儀式です。別名で「六時の行法」とも呼ばれます。
各回それぞれ違った内容を唱え、所作にも決まりがあり、この6回とは以下のように呼称されます。

  • 「日中(にっちゅう)」
  • 「日没(にちもつ)」
  • 「初夜(しょや)」
  • 「半夜(はんや)」
  • 「後夜(ごや)」
  • 「晨朝(じんじょう)」

修二会の期間中は合計で84回もの悔過作法が営まれます。

「お松明」

松明を二月堂の舞台で振り回す「お松明」は、期間中毎晩行われます松明を二月堂の上堂(舞台)で振り回したり、童子が重さ75kg、直径70cm、高さ8メートルもの大きさの「籠松明(かごたいまつ)」と呼ばれる松明11本を持って舞台を走ったりします。

尚、このお松明は修二会のもっともなる見所でもあり、最大のクライマックスの瞬間です。

お松明は修二会の期間中、毎晩行われますが最大のクライマックスは12日のお松明です。

この松明の火の粉を浴びることで健康や幸福が訪れると言われています。

お松明の日程

お松明の日程 お松明の時間(所要時間) お松明の本数
3月1日〜4日 19時〜(20分間) 10本
3月5日 19時30分〜(20分間) 10本
3月6日 19時〜(20分間) 10本
3月7日〜11日 19時〜(20分間) 10本
3月12日 19時30分〜(45分間) 11本(籠松明)
3月13日 19時〜(20分間) 10本
3月14日 18時30分〜(10分間) 10本

この中でも特に12日のお松明は「籠松明(かごたいまつ)」と呼称され、他の日のお松明より、ひときわ大きな松明になります。

籠松明の大きさ(長さ・重さ)

重さ70kg、直径70cm、竿の長さ8m

3月12日のお松明は、お水取り(修二会)のメインとなります。したがって、大混雑します。

特にココ最近は、「お松明」の燃えカスを持ち帰る人が後を立ちません。

「燃えカス」を持ち帰る理由は、「無病息災」のご利益があるからです。

したがって、「燃えカス」を持ち帰る場合は、最前列の場所を確保しないと持ち帰ることが難しくなります。

最前列の場所を確保するには、3月12日の15時30分くらいまでに陣取る必要があります。(15時付近から序々に混雑が始まります。)


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「過去帳の読み上げ」

修二会の中でも、シュール(非現実的)な儀式がこの過去帳の読み上げです。

非現実的とはどういうことかと言いますと、なんと!「女性の幽霊の名前が読み上げられる」からです。

例年、3月の3日、5日、12日には、東大寺の大仏造立に携わった人物など、1694年(元禄7年/江戸時代)まで東大寺に縁があった人物の名前が読み上げられます。

東大寺に伝わる古文書の1つ「二月堂縁起」によると、承元年代(鎌倉時代)の修二会において参籠中の2月5日の夜に僧侶・集慶(じゅうけい)が過去帳を読み上げていた際、「青い衣を羽織った女の幽霊」が現れ、こう告げたそうです。

「私の名前がなぜ、過去帳にないのだ〜!!」

その声の恐ろしさに、声を聞いた僧侶たちは恐れおののき腰を抜かしてしまい、その場で尻込みしてしまします。

しかし、集慶だけは動じずに読みあげを続けます。

そして女の名前を読む変わりに「青衣の女人」と過去帳に付け加える形で読み上げたそうです。

すると、スっと女は消えたそうです。

それ以後、修二会の際にも女は二度と姿を見せることがなかったとのことです。

・・と、このような経緯があり現在でも「青衣の女人」と読み上げられています。

「お水取り」

お水取りは、二月堂でもっとも有名な儀式です。12日深夜に行われる儀式です。

お松明と並んで二月堂の最大の行事と言えます。

咒師が上堂から下る石階段にて松明に火を灯します。その後、水取衆と共に石階段を下り「悶伽井屋」に入りお水取りを行います。

悶伽井屋に入るのは咒師と堂童子のみです。

庄駈士(しょうくし)と呼ばれる人が、汲み上げた「悶伽桶」を運びます。

この後、水取衆に警護されながら再び堂内に戻ります。

尚、悶伽井屋内でも儀式が執り行われていますが、いっさい不明とされ、覗き見厳禁の秘儀とされています。

なんで「修二会」を「お水取り」と呼ぶの?その理由って何?

「修二会」のことを一般的に「お水取り」と呼称しますが、正しくは、お水取りとは「修二会の中の1つの行事」のことです。

「お水取り」と呼称する理由は、この行事の最中、井戸にお水を汲みに行き、その「お水(お香水)」を「十一面観音」にお供えする習わしに由来するものです。

修二会で使用される「お水(お香水)」の水源と「こんな秘密」

あまり知られてはいませんが、東大寺の境内へ流れるお水(お香水)はの水源は、なんと!

福井県の「若狭湾」に、ほど近い「若狭(福井県小浜市若狭)」だといいます。

詳しくは、若狭を流れる一級河川・「遠敷川(おにゅうがわ)」の、さらに上流に位置する「鵜の瀬(うのせ)」から湧き出た「湧水」が水源だと云われております。

東大寺では、この「鵜ノ瀬」からのお水(お香水)が流れ来る井戸を「若狭井」と呼び、毎年、修二会のお水取りの儀式で、この「若狭井」の井戸水(お香水)を汲み上げ、菩薩様の御前に、お供えしています。

一方、逆に「鵜ノ瀬」の湧水近くに建立されている「若狭神宮寺」では、東大寺へお水を送る儀式(お水送り)を行っています。

若狭神宮寺のお水送りの儀式

  • 3月2日(お水取りの10日前。=「10日後にお水が奈良へ着くという由来。」)

 

尚、お水取りに関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

奈良 東大寺・二月堂の修二会(お水取り・お松明)の「混雑状況(待ち時間)・交通規制・服装」など

「走りの行法」

3月5日から7日と12日から14日の「後夜(ごや)」勤行と呼ばれる勤行の後に執り行われます。

5回目の悔過法要の前に、須弥壇の周りを回りながら行者が礼堂に出て、一人ずつ独特の所作で礼拝をする行法です。

走りの行法の意味と由来と「走る理由」

修二会を始めた実忠が笠置寺の龍穴に入り、天界の兜率天(とそつてん)にある「常念観音院」で天人たちが集い、十一面悔過を行っていたそうです。

天人たちから十一面悔過を教わりたいと考えますが、何せ天上界の1日とは地上界の400年に相当するので無理だということになります。

そこで少しでも期間を縮めるために走りながら行法を行なったのが、走りの行法の起源であり、催される理由になります。

「達陀(だったん)」と「だったん帽子いただかせ」

達陀

「達陀(だったん)」は3月12日から3月14日の3日間、後夜の咒師作法が終了した後に二月堂で執り行われる儀式です。

達陀での練行衆は8人が選抜され「錫杖(しゃくじょう)」と「鈴」を手に持ち、頭には「金襴地(きんらんじ)」の帽子をかぶり、鳴り響く「法螺貝(ほらがい)」の音に呼応しながら、踊るように「香水」や「ハゼ」 という粒を床に撒き散らします。

もっともな見どころとなるのが、修二会で最大の大きさとなる松明を抱えた火天の役の練行衆が水天の役の練行衆と共に、内陣の須弥壇の周りを踊るようにして繰り返し礼堂(らいどう)へ向かって突き出す仕草をします。

その後、咒師(しゅし)の「はった(発咤)」という号令と共に、火天の役の練行衆は手に持った松明を礼堂の床に激しく繰り返し叩きつけます。

これを二月堂の下から観覧すると、二月堂の舞台が炎に包まれているように見え、修二会最大のを見どころを迎えます。

達陀が始められた理由と達陀の由来と意味

ある時、実忠和尚の前に兜率天から八天が舞うように降臨してきたそうです。

その舞う様を表現したものが「達陀」であると云われています。

八天の加持を表現するために、水天のごとく礼堂にお香水を蒔いたり、火天のごとく火粉を蒔いたりします。

こうして八天の加護を得ることができます。

また、咒師が発する「はった(発咤)」とは、インドのサンスクリット語で「物事の終わり」を意味し、「だったん」とは後述しますが、「焼き尽くされる」の意味合いがあります。

だったん帽子いただかせ

3月14日の朝には「だったん」行事で使われた「金襴(きんらん)の帽子」を幼児に被せる儀式「だったん帽子いただかせ」が執り行われます。
この帽子を被らせてもらった子どもは健康に育つと言われます。

この儀式には、親子連れがたくさん訪れます。

「だったん」って何?「だったんの意味と由来」について

だったん」とは、聞きなれない言葉ですが、正式な日本語ではなく、由来はインドのサンスクリット語になります。

この「だったん」は、「仏教・三大仏典経典」の1つ 「パーリ経典」に記述されている「パーリ語」の「ダッタ(焼き尽くす)もしくは(滅する)」の意味を取って、これを由来として「達陀(だったん)」という言葉ができあがっています。

そして、「達陀(だつたん)」とは、「修二会」で行われる「火の行法」のことです。

この「だったん」の儀式ですが、仏教の儀式とは少しかけ離れたものが感じられるため、一説によると中国の韃靼国(だったんこく)から伝来した儀式だとも考えられています。

「達陀」の見どころ

勢いよく火の粉が飛び散る場面が一番の盛り上がりところです。

歓声が「ドッ」と湧き立つ瞬間でもあります。

達陀の行法で使用した「帽子」を子供の頭に被せる儀式があります。

子供がこの帽子を被ると、以下のようなご利益(効果)があるとされています。

  • 除災
  • 聡明
  • 健康
「陀羅尼」と「牛玉札」

その他の見どころとして、あまり知られていないのが「陀羅尼(だらに)」と「牛玉札(ごおうふだ)」です。

達陀の最中、練行衆が「香水」と「牛黄(ごおう/=漢方薬)」を混ぜ合わせて墨汁を作り、この墨を用いて「陀羅尼と牛玉札」が作成されます。

実は、この「陀羅尼と牛玉札」は、行が終わった後、皇室に献上されるほどのものでもあります。

【補足】実は「お香水」には種類があった?!!

12日の「お水取り」の儀式で、堂司の役の方から、井戸から汲み上げられたお水は以下の2種類に分類されます。

  • 「根本香水」
  • 「次第香水」

「根本香水」

根本香水は、須弥壇(しゅみだん/本尊を安置している場所)の下の石敷きに、「根本香水」用の「甕(かめ)」が埋め込まれており、これに1年後(1年毎)のお水取りの「お香水」によって継ぎ足します。

これは「奈良時代の天平勝宝年」から、継続して継ぎ足され続けているそうです。

「次第香水」

「根本香水」同様に、「次第香水」を入れるための専用の「甕(かめ)」が、須弥壇の下にいくつか埋め込まれています。

お水が少なくなった「次第香水の甕」は、別の「甕」に移し、空にしていきます。

そして、お水取りの行事を迎える日までに、空になった「甕」を掃除をしておきます。

この掃除はお水取りの前日である11日に行われ、この時、「甕(かめ)」から汲み出された水は、「二月堂の湯屋」へ注ぎ入れ、残ったお香水は参拝者の方へ授与されます。

お香水には種類があった?!!さらに、その後の18日に行われる二月堂の「寺役法要」で堂司の役により、再び、お香水が井戸から汲み出されます。

参拝者へ授与しているお香水

一般の参拝者へ授与しているお香水は、多数の方に授与するため、数に限りが出てきます。

したがって、二月堂の湯屋の井戸水を汲み上げて、その井戸水を少し混ぜた「次第香水」が一般の参拝者へ授与されています。

お香水は腐らないの?

このお香水は、御本尊の御霊がお宿りしている「霊水」なので、腐ることはないそうです。

お香水の授与される場所

  • 二月堂受納所
お香水のご利益(効果)

汲み上げたお香水は、「万病に効果」があります。
古来、薬があっても、買うことができなかった時代、このお香水を飲んだら、たちまちのうちに、健康を取り戻したことから、健康増進・病気平癒の(ご利益)を授かることができるそうです。

お水取り以外で、お香水が授与される行事

このお香水はお水取り以外でも、二月堂の行事「走りの行(五日、六日、七日)」のあとでも、一般の参拝者にこの、お香水が2、3滴ずつ授与されています。

【補足】誰も知らない「お水取り」が東京の東大寺であるぅ??

実は、あまり知られていないのですが、東大寺には「誰にも知られていないお水取り」があります。

これは例年、東京・日本橋にある「奈良まほろば館」で行われています。

【補足】誰も知らない「裏・お水取り」があるって知ってた?

誰も知らない「お水取り」の内容

「誰にも知られていないお水取り」は、東大寺の歴史や見どころの紹介をしています。

他に、東大寺のお水取り起源や、行法(作法)などの紹介や、お水取りに関しての話を聞くことができます。

つまり、大々的に宣伝もなく、ひっそりと開催されていますので、これが「誰も知らないお水取り」の由来といったことかもしれません。

誰も知らない「お水取り」の日程(開催されている期間)

  • 例年12月下旬〜1月中旬まで開催。

奈良まほろば館へのお問い合わせ先

住所:東京都中央区日本橋室町1丁目6-2 日本橋室町162ビル1F・2F
電話番号:03-3516-3931
営業時間:10時30分~19時00分
定休日:12月31日~1月3日

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