奈良 東大寺「木造 弥勒仏坐像(試みの大仏)」【国宝】※東大寺ミュージアム安置
造立年
不明
推定:平安時代初期
像高
39.0cm
造立方法
一木造り
材質
榧(カヤ)
発願者
良弁
作者
不明
重要文化財指定年月日
1901年(明治34年)3月27日
国宝指定年月日
2015年(平成27年)9月4日
安置場所
東大寺ミュージアム
「弥勒仏」の読み方
弥勒仏は「みろくぶつ」と読みます。この弥勒仏坐像は別名で「試みの大仏(こころみのだいぶつ)」とも呼ばれています。
「試みの大仏」の名前の理由や由来とは?
「試みの大仏」の名前の理由や由来とは、なんと!!あの東大寺大仏殿に座する巨大な大仏さんを造立する際に、試作として造られた仏像であることから、「試みの大仏」という別称が付されています。
「弥勒仏坐像」の歴史・由緒
この弥勒仏坐像はかつては三月堂(法華堂)で安置されていた仏像であり、三月堂内部の不空羂索観音立像と執金剛神立像の間の厨子に安置されていました。
かつては東大寺の初代住職である「良弁僧正」の念持仏であったと伝えられていますが、本像は平安時代初頭に造立された仏像であることが明らかにされています。
ここで疑問が生じてくるのですが、良弁僧正が生存した年代は奈良時代であるのに対して、本像の造立年は平安時代初期とされているので辻褄が合わなくなってきます。これは近年までの調査において、造立年が平安時代初頭であることが示唆されており、これを事実とするのであれば良弁僧正の念持仏という説は単なる俗説だということになります。
「弥勒仏坐像」の特徴
本像をギロッと睨みつけるほど見れば分かりますが、頭部と目、唇にはわずかに彩色が残りますが、それ以外は素木のまま使用されているのが分かります。なで肩や衣文の流麗な造形は平安時代に造立された仏像の特徴を示す典型といえます。
像容はお顔、体躯、手首など全体的に肉厚でプっくりと造られていますが、その割に膝部分が異様に小さく造られていることが分かります。
現在までの通説では、白鳳→天平→平安と、時代を経るごとに、より写実的な像容をもつ仏像が造られるようになりましたが、平安時代には個性を用いた造立方法が流行しており、本像にはそういった時代背景がよく反映されているように思われます。つまり、像の頭部・体躯の大きさに対して膝が小さいのは、作者が意図した個性というものが反映されているからだと捉えることができます。
弥勒仏坐像の印相
本像の手の部分に注目すれば「印」を組んでおり、右手は手の平を見せて左手は甲を見せています。これは「降魔印」もしくは「触地印」と呼ばれるものであり、お釈迦様がブッダガヤで降魔成道(ごうまじょうどう)したときの姿を反映したときの姿です。
内刳り
本像の分析結果によれば、底部分にわずかに内刳りが施されているようですが、それ以外の部位には内刳りが施されていません。通常、一木造りで造立する場合、乾燥によるひび割れを避けるために中身を空洞化させるのですが、本像は一木造りであるにも関わらず、内刳りが像の底部分にしか施されていません。これは上述したように作者が意図してわざと内刳りを施さなかったものだと考えられます。
東大寺ミュージアムの場所(地図)
東大寺ミュージアムは、南大門の左斜め前方にあります。東大寺ミュージアムについての詳細は以下の別ページをご覧ください。