奈良 東大寺・鐘楼および梵鐘【国宝】

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奈良 東大寺・鐘楼および梵鐘【国宝】

創建年

不明
推定:奈良時代(天平期)

再建年

1206年(建永元年)から1210年(承元4年/鎌倉時代)

建築様式(造り)

入母屋造

屋根の造り

本瓦葺

大きさ

横幅:約6m
奥行:約6m
外側円柱(直径):84㎝

重要文化財登録指定年月日

1903年(明治36年)4月15日

国宝登録指定年月日

1951年(昭和26年)6月9日

発願者

栄西上人(ようさいしょうにん/鎌倉期)

東大寺「鐘楼」の読み方

東大寺・鐘楼は一般的には「しょうろう」と読みますが、「しゅろう」とも読みます。また別名で「奈良太郎(ならたろう)」や「勢の東大寺」とも呼ばれています。

古来、東大寺では「大鐘(おおがね)」とも呼んでいます。「奈良太郎」や「勢の東大寺」の名前の由来とは後述しています。ウフ

東大寺「鐘楼」の歴史

東大寺・鐘楼は東大寺境内の小高い丘「鐘楼ヶ丘」に建つ東大寺の鐘楼となります。752年(天平勝宝4年)閏3月7日に梵鐘の鋳造が完了し鐘楼に取り付けられています。こののち、4月9日に大仏開眼供養が執り行われています。

鐘楼が建つ周囲は広場になっており、俊乗堂や行基堂、念仏堂があります。

そしてこの東大寺の鐘楼は「日本三名鐘」と呼ばれるほどの名鐘です。

「日本三名鐘」・一覧

園城寺(おんじょうじ/三井寺/滋賀県大津市)の鐘楼(梵鐘)
神護寺(じんごじ/京都市右京区高雄)の鐘楼(梵鐘)
平等院(びょうどういん/京都府宇治市)の鐘楼(梵鐘)
東大寺

ここで疑問に思われたかも知れませんが、三名鐘とは鐘楼自体の威容感や梵鐘の音色などを評したものであり、実際には3つ以上存在します。

さらに南都八景の1つとも言われています。

南都八景一覧

  1. 春日野の鹿
  2. 佐保川の蛍 
  3. 猿沢池の月 
  4. 南円堂の藤 
  5. 雲居坂の雨 
  6. 轟橋旅人
  7. 三笠山の雪
  8. 東大寺の大鐘

実は過去に幾度も倒壊していた東大寺・鐘楼

この東大寺の鐘楼は実は過去に幾度も天災などで倒壊し、その都度再建されてきた歴史をもちます。もっとも古い記録では987年(永延元年/平安時代)8月13日に南大門などと共に大風によって倒壊しています。

他に記録に残っているものとして、1070年(承久2年)10月20日、および1096年(永長元年)10月にも地震が起こり梵鐘が転げ落ちてしまい倒壊しています。

また、1239年(延応元年)6月6日の午後6時頃、梵鐘の鐘の頭頂部分にある飾り(龍頭/りゅうず)が突如、切れてしまい、鐘が転がり落ちています。

しかし、9月30日に大鋳師・左兵衛 志延時以下、その弟子約20人が梵鐘および鐘楼の修理を執り行っており、翌月10月8日には梵鐘を鐘楼に懸け終わり、もとの状態に戻されています。

この時の修理では「修理銘」が鐘に残されており、東大寺に伝わる古書「東大寺要録」の記述と合致することから、確かに修理が行われたとされる有力な証拠につながっています。

なお、この龍頭に関しては昭和32年にもヒビが確認されており、これは危険だと言うことで、当時、参拝者たちに1撞き10円で撞かれていた鐘撞きも急遽、取りやめになったようです。

しかしちょっと冷静に考えてみてくださいな。

あんなクソデカい鐘が転がり落ちてくるワケです。巻き込まれでもすれば一溜まりもないでしょうな。オホ

東大寺「鐘楼」の建築様式(造り)

東大寺の鐘楼は基本的に大仏様(天竺様)を主として造営されていますが、所々に禅宗様が見られる稀有な建造物となります。

大仏様(だいぶつよう)は重源上人が中国(宋)から持ち帰ったとされる建築様式であり、大仏様を用いた代表的な建築としては境内の南大門大仏殿三月堂(法華堂)があります。

大仏様は貫(ぬき)を多用することで用材の量を減少させ工期を短縮し、最小限度の用材と工期で最高の強度を持たせることを実現した建築技法になります。

その貫を用いた建築の1つとして、この東大寺の鐘楼にも見ることができます。

ちょっと鐘楼を遠目から見てみてください。

柱が8本に見えませんか?

今度は近づいて、間近で鐘楼の柱をみてください。よく見ると厳密には柱が全部で16本あるのが分かります。

  • 外側の円柱:4本
  • 外側の円柱に据えられた四角柱:8本
  • 内側の四角柱:4本

外側の直径84㎝もの図太い円柱の支柱として四角柱が2本充てがわれ、四隅の合計12本の柱で大屋根を支えています。

そして梵鐘を支えているのは内側の4本の柱が主となって、貫を通して四隅の12本の柱でも支えています。よって外側の図太い円柱は大活躍です。エッヘン

尚、この外側の円柱の足元の礎石(土台)は、軽度な修繕は行われているものの、奈良時代(天平期)の礎石がそのまま現存していると伝わっています。

鐘楼の特徴

軒反り

特徴としてはまず、屋根の四辺の「軒反り」が目に付きます。

軒反りに関しては一般的に知られている通例では、鎌倉期あたりか際立って見られる建築様式であり、近世に近づくにつれて角度が付きます。(より90度へ)

よってこの鐘楼の建築は少なくともまず、鎌倉期以降の建築であることの証拠の1つとなります。

屋根の裏側の「飛檐垂木(ひえんたるき)」の先端には「鼻隠し(垂木の先端に据える板)」が見え、これは大仏様をうかがわせます。

ハート型の懸魚

屋根の軒下に見える懸魚(けぎょ)の形状は古式となる「猪の目(いのめ)の形状」、つまりハート型ウフぅん..しており、これは奈良時代の建造物に見られる特徴の1つとなります。..こホンっ!

同様に軒下には手先の入った組み手が見え、腹(壁面)がよく見える造りになっています。

四手先でしょうか。このように中備にまで出組(斗栱)が入った鐘楼を見ることができるのも東大寺ならではと言えます

ちなみに、このような中備に組手が入る様式を「詰組(つめぐみ)」と言い、これが進化して後に禅宗様と呼ばれる様式になります。

尾垂木も大仏様では少し離れた箇所に出すのですが、禅宗様の尾垂木の出し方です。

内部の天井は化粧屋根裏式に小組式格天井が据えられており、貫の先端(木鼻)の部分の形状などは禅宗様のように飾り気がなく、大仏様の典型的な形状です。

ただし、大仏様の木鼻彫刻は時代を経るにつれて「象」などを代表例とした「動物」をモチーフとした様式が取り入れられはじめます。

屋根を支える部材となる肘木(ひじき)は挿肘木が用いられ、重源上人が伝えた大仏様の典型的な特徴であり、南大門でも見られる造りです。

これらの建築様式から汲み取れることは重源上人の後を引き継いだ栄西上人(えいさい/ようさい)の意気込みにも似た気持ちのようなものが伝わってきます。

栄西上人は臨済宗の僧侶であり、臨済宗の開祖とも云われている人物です。

重源上人と栄西上人の関係とは、お互い同時期に中国・宋に渡った同志であり、重源上人を敬愛していたと云われます。

その重源上人の意志を継承しつつも自らも大業を成したいといったような心意気がこの鐘楼の建築から伝わってきます。

えぇっ?!梁(はり)は「木五倍子(きぶし)」が用いられている?!

この鐘楼の大鐘を支える「梁」には「木五倍子」という樹木から切り出した用材が使用されていると云われます。木五倍子と言えば「お歯黒(おはぐろ)」の染料として使用される樹木として有名です。

江戸時代には「お歯黒をしただけでは、鐘は落ちない」という意味合いで「フシ(きぶし)なら鐘が落ちん」などという道化じみた話も出回ったようです。

奈良太郎

冒頭で述べたように東大寺の鐘楼には別名で「奈良太郎」という名前が付されています。ここで疑問に思う方も多いと思いますが、なぜ、”奈良太郎”と付されているかの理由です。

「もっとも大きい」という意味

”太郎”と付される理由は諸説あるようですが、一般的に古来、”太郎”という名前は「長男」を示す言葉であり、つまり、「もっとも大きい」という意味合いを持つと考えられています。

奈良中の鍋や釜が割れた?!

一説では、後述の怪力武者「朝比奈三郎」が鐘を撞くと、奈良中の民家の鍋や釜が割れたそうです。その様子を例えて上述、「長男=太郎」の意味合いから「奈良太郎」と付されたとも考えられています。

勢の東大寺

「勢の東大寺」とは、奈良太郎に等しく、古今東西、もっとも大きな鐘であり、もっとも残響時間が長く、もっとも遠くまで鐘音が聞こえるといった意味合いを持ちます。

この説に関しては裏付けがあり、なんでも鎌倉時代に「猛将で怪力」と謳われた朝比奈三郎義秀(あさひなさぶろうよしひで)が、この鐘の前に立ち鐘を撞いたところ、なんと!三日三晩、鐘の残響が続いて鳴り止まなかったことが由来となり、「勢の東大寺」と呼ばれる由来ともなっています。

さらに1596年から1615年(慶長年間/江戸時代)以前までは国内最大の大きさであったことも「東大寺の勢いを示す鐘」として「勢の東大寺」の名前の由来に挙げられます。

東大寺の大梵鐘は「撞座」の下を撞く?

上述、朝比奈三郎が鐘を撞いた後、鐘音の残響が三日三晩続いたことから、以降は撞木をブラ下げている綱(紐)を少し下げて「撞座(つきざ)」の少し下に命中させるように撞木を移動したそうです。

現に奈良太郎とも呼ばれるこの鐘は、撞座の少し下の部分が撞かれています。

なお、現在みることのできる鐘楼の姿は、1206年(建永元年)から1210年(承元4年/鎌倉時代)に再建された時の姿になります。


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東大寺・鐘楼「梵鐘」【国宝】

⬆梵鐘の裏側(手前側に刻銘が見える)
造営年

752年(天平勝宝4年)

大きさ

総高3.86m
口径2.71m

重さ

重量:26.3t

撞木(棒)の大きさ

長さ:4.48m
直径:30cm
重量:180kg(金具含め200kg)

国宝登録指定年月日

1951年(昭和26年)6月9日

撞木(しゅもく/鐘を撞く木の棒)

大きさ

長さ:4.48m
直径:30cm

重さ

重量180kg
約200kg(金具の重量込み)

材質

ケヤキ材

東大寺・鐘楼「梵鐘」の読み方

東大寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、梵鐘は「ぼんしょう」と読みます。

東大寺・鐘楼「梵鐘」の特徴と造り

この梵鐘はなっなんとおぅ!オぅイェ~・・「東大寺の創建時期から存在する」と云われています。

東大寺の寺伝では752年(天平勝宝4年)に鋳造された重さ26.3トンの梵鐘であると伝わり、同時期にこの鐘楼に収められた梵鐘であると伝えられています。

また、この鐘の材質の分析が行われた所、なんと!「極めて高純度な銅」が使用されていたことが明らかにされています。

通常の銅であれば不純物が多少は交じるものなのですが、この梵鐘には「熟銅(じゅくどう)」が使用されています。

「熟銅」は加工を用いない自然に採石できる高純度な銅であり、当時では技術的にも採石するのが極めて困難であったと伝わっています。

この事実からも察することができるように大仏建立がどれほどの意義を成すものであったのか、もしくは聖武天皇の意気込みや気迫のような気持ちが伝わってきます。シンミ〜リ

ちなみにこの梵鐘に使用された塾銅の量ですが、いったいどれくらいの量かお分かりになりますか?

なんと!52680斤(31608キログラム/=約3.1トン)という桁違いの高純度な銅が使用されていることになります。

熟銅が使用された理由

このように熟銅が使用された理由としては、上述したように鐘音をより遠くまで響かせるのが目的であるのと、残響時間を長くするための工夫の1つだと考えらます。

その証拠に、この鐘は残響時間と音の響きを良くする目的で通常の梵鐘よりも下部の口径が大きく作られています。

ところで・・東大寺の鐘は今も撞かれて(突かれて)いる??

昼間に東大寺の鐘楼を訪れると売店が出店していて、周囲の長閑な雰囲気と合わさり世界遺産となった現在は鐘は撞かれていないような印象を受けます。

しかし実はなっなんと!現在もこの鐘は現役で撞かれていると言えば驚かれますでしょうか?

東大寺の鐘が突かれる時間

東大寺の梵鐘の音色は一般参拝者でも聞くことができますのでご興味のある方は耳をすませて聞いてみてください。

上述したように東大寺の梵鐘は天平期に鋳造されたものですが、残響時間が今現在に至っても衰えず、創建期の東大寺の荘厳さあふれる威容感を偲ばせています。

東大寺・鐘楼の御朱印

この鐘楼でもなんと!御朱印をいただくことができます。

⬆️中央に「大梵鐘」の墨書きがあり、さらに「梵鐘」の押印がされた御朱印
東大寺・大梵鐘(鐘楼)の御朱印の値段:300円

授与場所は鐘楼の内部の売店になります。鐘楼の御朱印を授与される際の注意点は東大寺の他の諸堂とは異なり、開店時間が遅いのと閉店時間が早いということです。

⬆鐘楼内部の売店(20時の鐘撞き担当のオっちゃんが店主も兼ねる)

鐘楼の売店の営業時間は、概ね朝9時頃〜15時30分頃までとお考えください。

東大寺の御朱印・一覧は以下の別ページにてご紹介しております。

 奈良・東大寺(二月堂・三月堂など)の御朱印の「種類・値段・購入場所」

【補足】東大寺の除夜の鐘の申し込み方法(整理券)と料金

例年、年末年始になると日本各地の寺院では「除夜の鐘突き(撞き)」が行われます。

ここ東大寺の梵鐘(鐘楼)でも同様に除夜の鐘突きが行われます。

東大寺・除夜の鐘の開始時間

1月1日 0時~

鐘つきの料金

無料

鐘を突くための条件

当日、22時30頃から配布される整理券(縁起物)を所持していること。

東大寺の除夜の鐘の整理券と申込み方法

東大寺の除夜の鐘つきに参加するには事前申し込みは特に必要ありません。

ただし、12月31日の22時半頃から整理券代わりとなる縁起物(印刷された券)が先着順で配布されますので、鐘を撞きたいのであれば必ず受け取る必要があります。

この印刷された券が鐘つきの整理券代わりとなり、約800人分用意されています。

すべて配布し終わった段階で終了となりますので、大晦日(12月31日)は22時前には東大寺に到着しておく必要があります。

東大寺・梵鐘の鐘の撞き方

東大寺の梵鐘を突く木の棒(撞木)の長さは約4.5メートルもあることから、先着順で8人が選出され、1つの組みとなってそれぞれの手に綱を持って突きます。

綱は除夜の鐘突きの時のみ、小さな綱が8本付けられていますので、それぞれ1本綱を手にとって突くことになります。

ご存知の通り、古来、除夜の鐘を突く理由としては「人間のド頭に108あるとされる煩悩を梵鐘の音色によって打ち祓うため」とされ、清々しい気持ちで新年をスタートするといったことが鐘を突く理由となります。

鐘を突く際の注意点

整理券を所持していても、前の人やその前の人が鐘を突き終わるのを待つために行列ができます。

その際、例えば以下で挙げる例のように、一時的に列から離れて再び鐘つきが終了した頃に戻ってきた場合、整理券を所持していても鐘は突けません。

  • 並び疲れてシビレを切らて列から離れた
  • 膀胱がMAX状態に至り、ションベンに行くために列から一時的に離れて迷子になった
注意

梵鐘を傘などでたたいたり撞木(鐘を突く木)をゆらしたりしないようにお願いします。 by.東大寺

東大寺の除夜の鐘撞きに関しての詳細は以下の別ページにてご紹介しています。

 関連記事:東大寺で除夜の鐘が撞ける!【場所・人数・時間など】

東大寺・鐘楼の場所と行き方(地図)

東大寺・鐘楼は東大寺大仏殿前の中門を三月堂へ向かい、途中の石階段をのぼった先に位置します。中門から徒歩約5分の距離です。

この鐘楼が建つあたりはかつて「金鐘寺(こんしゅじ)」もしくは「金光明寺(こんこうみょうじ)」と呼ばれた東大寺の前身とされる寺院の伽藍があった場所です。敬称として別名で「上院地区(じょういんちく)」とも呼ばれます。

もしくは大仏殿再建の折、棟木(むなぎ)を引き上げた場所でもあることから、「綱引き山(つなひきやま)」とも呼ばれています。

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