奈良 東大寺・大湯屋(鉄湯船)【重要文化財】
創建年
- 推定:701年から800年(奈良時代)
再建年
- 1239年(延応元年/鎌倉時代)
- 1282年(弘安5年/鎌倉時代)※修理
- 1408年(応永15年/室町時代)
- 1937年(昭和12年)
大修繕
- 1408年(応永15年/室町時代)
建築様式(造り)
- 入母屋造(正面)
- 切妻造(背面)
- 妻入
- 一重
屋根の造り
- 本瓦葺
大きさ
- 桁行八間(横幅:約14.5m)
- 梁間五間(奥行:約9m)
重要文化財指定年月日
- 1903年(明治36年)4月15日
東大寺・大湯屋の読み方
東大寺・大湯屋の読み方は「とうだいじ おおゆや」と読みます。以前は「温室院」とも呼ばれていました。
そのほか、「大湯屋」であることから「50人風呂」や「100人風呂」「1000人風呂」とも呼ばれていたようです。
東大寺・大湯屋の役割りと「風呂(入浴)の起源」
そもそも「入浴の起源」とは、日本に仏教が伝来したのと同時に、「仏教の構成要素の1つ」として伝来されており、寺院が「浴堂」と呼ばれる「身を清めるための施設」を設置したのが起源とされています。
その後、鎌倉時代に初めて「入浴料(金銭)」を取り、一般の庶民に湯屋を開放したのが現在の「銭湯の起源」と云われています。
東大寺に話を戻せば、奈良時代から平安時代にかけて、東大寺には約1万人にもの僧侶が在籍していたそうです。
その当時からのこの大湯屋は現存していたとされており、主に大事な法要の前に僧侶たちが「身体の垢(あか)」を落として「身を洗い清める場所」であったと云われております。
東大寺・大湯屋の中の構造
まず、この大湯屋の内部は3部屋構成になっており、中央に浴室の前室が備わり、東側に浴室があり、西側が土間になっています。
浴室には後述する「鉄湯船」と呼ばれる重要文化財指定の「鉄でできた湯船」が現存しています。
そして「別の釜で温めた湯」を、この湯船に入れて、湯の熱を利用して「垢」を落としたとされています。
ただし、鉄湯船にドっぷりと浸かるのではなく、鉄湯船の周りにスノコを設置して「沐浴(もくよく)」のような感じで身体に湯をかけていたものだと考えられています。
東大寺・大湯屋の歴史
東大寺の大湯屋は現存する湯屋としては「日本最古の湯屋」と云われる湯屋です。
奈良時代の「創建当初の大湯屋」は、1180年(治承4年)の「平家の南都焼討」によって、燃え尽きたようです。
しかし、その後「1197年(建久8年)」に「鋳物師の草部是助」の手によって「鉄湯船が奉納」されており、1239年(延応元年/鎌倉時代)」には「俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)」によって大湯屋が大改築されています。
また、1697年〜1705年(江戸時代)の間には公慶上人による大仏殿再建期間中に、この大湯屋と「念仏堂」および「地蔵菩薩坐像」が併せて修理されており、1704年(宝永元年/江戸時代中期)には重源上人の500年御御忌法要(ごおんきほうよう)が営まれ、施湯が行われています。
現在みることのできる大湯屋は鎌倉期再建時の材を部分的に残し、「1408年(応永15年/室町時代)」に新たに材を継ぎ足す形で僧・惣深(そうふけ)によって大修繕されたものです。
この大湯屋は、普段は一般非公開となっていますが、ぬぅあんとぉぅ!!2017年7月に初めて大湯屋の内部が一般公開されています。
奈良 東大寺・大湯屋「鉄湯船」【重要文化財】
引用先:http://www.fujiclean.co.jp/
鉄湯船の設置
- 1197年(建久8年/鎌倉時代)
鉄湯船の大きさ
- 直径:約2m30cm
- 深さ:73cm
上述したように1197年(建久8年)に重源上人の主導によってこの鉄湯船が製作されています。
現在は経年劣化のため見えにくいのですが、「造 東大寺大勧進」「大和尚南無阿弥陀仏」「建久八年丁巳潤」「豊後権守」との銘文が表面に刻まれています。
これはつまり「建久八年(1197年)」にこの大湯屋に収められたとされる証拠の1つとなります。
銘文の「豊後権守」というのが上述の「草部是助」のことを示すようで、この事実は東大寺別院として現在の山口県に造営された阿弥陀寺境内の銭宝塔に「豊後権守・草部是助」の銘が刻まれていることから同一人物として考えられています。
奈良時代の創建当初は、現代のように水を温めて湯にすると言ったような「発想や構造」がなく、別の場所にある釜で温めた湯を鉄湯船に注いでいたようです。
しかし、この鉄湯船は大きさがあるので、想定内の大きさの釜で水を温めて注いでいたのではキリがありません。
そこでまず約1000リットルもの水を貯めておける、クソでかいコノヤローなほど大きな釜を用意して炊き上げて湯にします。
その大量の湯水を桶(おけ)に汲み入れて1回1回往復したか、バケツリレーのような形式で湯を注いでていたものと考えられています。
一方の鉄湯船は約20000から30000リットルも入るほどのクソでかい容量を持っていましたので、おそらく湯を貯めるのにかなりの時間と人手が必要になったものと考えられます。
東大寺・大湯屋「鉄湯船」の構造
内部には大きな唐破風造りの浴室があり、その中に鉄湯船が収められています。
この浴室は江戸時代に造営されたものと云われ、鉄湯船は地面に埋められる形式で使用されていたようです。
また、鉄湯船の湯水を沸かすための釜に関しては、大湯屋内の土間部分に釜を並べて湯を沸かして湯水を注ぎ足していたようです。
しかし、カンの良い方であればここで以下のような素朴な疑問に思い当たると思います。その疑問とは・・
「このクソでかい鉄湯船にクソほど湯を貯めて、クソほど使用した後の湯(水)はどうやって誰が抜くのか?」
・・についてですが、実はこの「鉄湯船」の底には、ポっカリと約15㎝ほどの穴が開いており、そこに「木製の栓」で、水漏れを防ぐ構造になっています。
つまり、「木の栓」をポンっと抜くだけで、水を簡単にキレイさっぱり抜くことができるといったことになります。
同時に「栓」がある時点でこのクソでかい湯船が「釜」ではないことが理解できます。
大湯屋の建物の特徴
大湯屋の外観を遠目で観た時、屋根の上にさらに屋根が据えられた小さな「腰屋根(こしやね)」という屋根が載っているのに気づきます。
この屋根は別名で「煙抜き」とも言い、設置された理由は「内部の湯気を外部へ逃がすため」です。
数ある東大寺の堂舎でもこのような建造物はこの大湯屋と二月堂の湯屋だけです。
大湯屋の外側の木に注意!!
大湯屋の堂舎入口付近には御垣に囲まれた「池」がありますが、この池の畔に1本の木が生えています。
この木の根元付近をよく見れば、なんと!「ミツバチ営業中」と書かれた摩訶不思議な看板が掲げられています。さらにこんな説明もあります。
『この木でミツバチが営巣していますのご注意ください』といった看板が見れます。
大湯屋を見学される際はミツバチはっちンに充分ご注意を。オホ
東大寺・大湯屋「鉄湯船」の場所【地図】
大湯屋は鐘楼エリアの行基堂の奥、二月堂手前のお土産屋さん前の道を降りていった先にあります。(付近に池があります)
実は東大寺の湯屋は2つあり、1つは「二月堂の大広場の前、二月堂側の裏参道の入口付近」にもあります。
終わりに・・
東大寺が日本最古の銭湯だった?!
実は、この東大寺の大湯屋ですが、上述のとおり僧侶だけではなく一般の庶民にも開放されています。
つまり、金銭をいただき、これを「浄財」として一般に庶民に湯屋の使用を許可していることから「現存する日本最古の銭湯」とも云われているようです。
ただ、一説では、ならまちの元興寺(がんごうじ)の修理費を集めるために建てられたとされる「岩井銭湯(いわいせんとう)」が起源とされる説もあるようです。
東大寺へ訪れた際は、ぜひ、この大湯屋にも訪れてみてください。ウフ