奈良 東大寺・勧進所

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奈良 東大寺・勧進所

創建年

1686年(貞享3年)※江戸時代

建築様式(造り)

八幡殿:八幡造、平入、正面向拝付
公慶堂:入母屋造、平入、正面向拝付
阿弥陀堂:入母屋造、妻入、正面向拝付
経蔵:寄棟造、校倉造、平入

屋根の造り

八幡殿:本瓦葺
公慶堂:本瓦葺
阿弥陀堂:本瓦葺
経蔵:本瓦葺

重要文化財登録指定年月日

1906年(明治39年)9月6日

発願者

公慶

法要(転害会/手掻会)

4月12日
10月5日

東大寺・勧進所の読み方

東大寺の境内には難しい漢字の表記で読みにくい名前の仏像や堂舎がありますが、勧進所は「かんじんしょ」と読みます。東大寺では門が赤い色ことから「赤門」と呼んでいるようです。

勧進所の言葉の由来は勧進職に就いた人物(公慶上人)がこの勧進所を建てたこと、もしくは自らの僧房として使用していたことに由来します。

またこの勧進所は別名で「観化院(かんげいん)」や「龍松院(りゅうしょういん)」とも呼称します。

東大寺・勧進所の歴史

東大寺勧進所の大きな特徴として、境内では珍しいひときわ目を惹く赤い門が据えられている堂舎になります。

この勧進所は上述した公慶上人が造営したものです。

公慶上人は、1567年に勃発した「東大寺大仏殿の戦い」の戦火にて焼失した東大寺を再興すべく、1684年(貞享元年)に江戸幕府に勧進活動(かんじんかつどう)を行う許しを得ます。

「勧進活動」とは日本全国をめぐって浄財(お布施)を集める活動のことです。

公慶上人は勧進活動を行うに際してまず、活動の拠点となる場所を造りました。

それが現在の東大寺勧進所の前身となる「龍松院」になります。そしてこの龍松院を中心として日本全国への勧進活動を行う拠点にします。

また、この龍松院では公慶上人が観化していたことから(教えを説いていたことから)別名で「観化院」とも呼称されるようになっています。


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東大寺・勧進所の境内の建造物・一覧

この勧進所の境内には以下のような建造物があります。

  • 八幡殿
  • 公慶堂
  • 阿弥陀堂
  • 経蔵
  • 鐘楼

八幡殿

東大寺・勧進所の境内は八幡殿を中心として、諸堂が立ち並びます。

その八幡殿には「僧形八幡神坐像【国宝】」がご本尊として安置されています。

もとは東大寺の境内の一部となる「手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)」で安置されていましたが、明治初頭に発令された神仏分離令によって勧進所に遷されています。

僧形八幡神坐像【国宝】に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 奈良 東大寺「勧進所・八幡殿」・僧形八幡神坐像【国宝】

公慶堂

公慶堂は上述した公慶上人を祀る堂舎になります。
この堂舎の内部では、公慶上人坐像【重要文化財】が安置されています。公慶上人坐像は慶派の仏師の作で、他の仏像とは一線を画す造りの仏像になります。

公慶上人坐像【重要文化財】についても以下↓の別ページにてご紹介しております。

 奈良 東大寺・勧進所「公慶堂・木造公慶上人坐像」【重要文化財】

阿弥陀堂

  • 創建年:不明/推定:鎌倉時代

同様に勧進所の境内には、阿弥陀堂と呼称される堂舎があります。この阿弥陀堂のご本尊にも有名な仏像が安置されており、名前を「五刧思惟阿弥陀如来【重要文化財】」と呼称します。

この仏像の造立年は不明となっており、東大寺寺伝では重源上人が中国・宋から渡航してきた際に持っていたとされています。つまり鎌倉時代ということです。

しかし近年における調査結果から材質にヒノキ材を使用されており、これは重源上人が持ち込んだ宋の仏像にならって「鎌倉時代に日本で造像された説が濃厚」と考えられています。

五刧思惟阿弥陀如来の大きな特徴として盛り上がった実にオカン(お母)なアフロヘアをしています。

まるでオカンがキレそうな顔をしながら朝、ゴミを出しに行く時ような頭をしています。

是非、間近でご覧になってみてください。

関連記事: 五刧思惟阿弥陀如来

経蔵

  • 創建年:不明。推定:794から929年
  • 大きさ:横幅:約6m/奥行:約6m

東大寺勧進所の経蔵(きょうぞう)は、重要文化財の指定を受けている建造物であり、創建年は奈良時代から平安時代と考えられています。

経蔵」とは経典を収蔵しておくための倉庫になります。

造りが天平建築の大きな特徴でもある「校倉造(あぜくらづくり)」となっており、これは目と鼻の先に位置する正倉院(しょうそういん)と同じ造りの建造物になります。

経蔵には立ち入ることはできません。外から見学ができますが年数を経て老朽化してきている木材を目の前で見ることができます。歴史を感じずにはいられません。お~フェ

正倉院に関しては当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 奈良・東大寺「正倉院」の「歴史・由来・建築様式(構造)・大きさ・建てた人物」など

東大寺・勧進所は普段は非公開!

この東大寺・勧進所は普段は一般非公開となっていますが、「転害会/手掻会」の期間中にのみ特別に一般公開されます。

転害会」とは別名で「手掻会」とも書き、「てがいえ」と読みます。これは東大寺・大仏建立と聖武天皇に由来する祭事となり、以下のような経緯が発端となって開始されています。

当時、大仏を建立するという大事業は困難を極め、断念する話も浮上しました。

しかし、聖武天皇は大仏建立を見守る守護神を勧請してこれを祀ることで大仏建立を成功に導こうと考えます。

そこで勧請されたのが、九州・福岡に鎮座される宇佐八幡宮の主祭神「八幡大神(宇佐八幡)」です。

聖武天皇が宇佐八幡を勧請した理由とは、大仏に使用する金が採取できなくなった時に夢枕に宇佐八幡が立ち、「大仏建立は必ず成功するでしょう」と告げたそうです。

その夢のお告げを信じた聖武天皇は早速、宇佐八幡を手向山八幡宮へ勧請します。

この後、予想外に金が採取できたり、金を加工する方法などが考案され、大仏建立計画がうまく動き出したということです。

そこで宇佐八幡を境内に招き入れる際、盛大にパレードを行い、境内の入口とも言える転害門から招き入れています。

この時の盛大なパレードを再現したものが、上述した「転害会」になります。

なお、この当時の手向山八幡宮は、大仏殿の前の鏡池東側に位置しており、現在の場所とは異なります。

しかし1180年(平安時代)に勃発した南都焼討によって焼失し、現在の場所に移築する形で再建されています。

転害会/手掻会の期間と特別一般公開の日程については当サイトの以下↓の別ページにてご紹介しております。

 奈良・東大寺の「仏像(秘仏)」特別一般公開(御開帳)の日程と時間・拝観料金・一覧

東大寺・勧進所の場所とアクセス(行き方)

東大寺・勧進所は東大寺大仏殿から奈良駅の方角へ歩いた先に位置します。所要時間にして約3分から5分程度です。

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