東大寺・千手堂
- 造営年:不明(推定:1257年/正嘉元年〜1270年/文永7年)
- 再建年:慶長年間(1596年〜1615年/江戸時代)、2002年(平成14年)6月6日
- 建築様式:寄棟造
- 屋根の造り:本瓦葺
- 大きさ:五間四方(四辺各約10メートル)
- 発願者:圓照上人
千手堂の名前の由来
千手堂の名前は堂内に安置される御本尊「千手観音菩薩立像」に由来して「千手堂」と命名されています。
千手堂の歴史
この千手堂は「1257年/正嘉元年〜1270年/文永7年(室町時代)」の間に当代の東大寺大勧進の任にあった「圓照上人(えんしょうしょうにん)」の手によって造営された堂舎と伝えられています。
東大寺に伝わる古書「圓照上人行状」および、「戒壇院定置」によれば、この1257年〜1270年の間、圓照上人は千手堂以外にも東大寺境内の諸堂の造営修理に精力的に勤しんでおり、その一環でこの千手堂は同上人により、新造された堂舎であることが明らかにされています。
また、室町時代に制作された古地図「戒壇院指図」の記述によれば、大きさは五間四方に描かれており、これは現在の規模に一致するとのことです。
つまり、堂舎の大きさは創建当初と同じ大きさということになります。
千手堂は室町時代に一度、焼失しかけて‥‥結局、焼失した?!
「南都東大寺戒壇院略縁」という古文書の記録によれば1446年(文安3年/室町時代)に僧坊からの出火から派生した類焼により、隣りに建つ戒壇堂の主な堂舎は焼失したようですが、至近距離にも関わらず、奇跡的にこの千手堂は火難を逃れています。
まさに御本尊・千手観音のお力の為せる妙技と言わざるをえません。
しかしながら、東大寺の付近に建つ興福寺に伝わる「多聞院日記」の記録によれば、残念無念なことに1567年(永禄10年)の「東大寺大仏殿の戦い」にて、無残にも焼失したとあります。
多聞院日記とは、1478年(文明10年)〜1618年(元和4年)という140年間のできごとを日記調で、奈良興福寺の塔頭多聞院の僧侶・英俊を始め、三代の筆者がしたためた、かなり信ぴょう性の高い一級品と目される日記のことです。
現在の千手堂は意外にも平成時代に再建されたときの姿!
その後、慶長年間(1596年〜1615年/江戸時代)に、東大寺の寺僧・成秀の多大な尽力により再建された旨が堂の棟札銘(むなふだ)の刻銘により明らかにされています。
これが現在、見ることのできる堂舎の姿と言いたいところなのですが、‥‥‥、非常に残念無念なことに1998年(平成10年)5月に起こった火災により被災するに至ります。
このとき、奇跡的に重要文化財の愛染明王坐像などの仏像13体が救出され一命をとりとめたのですが、指が折れるなどの損傷があり、堂が再建されるまでに修復されています。
よって現在、見ることのできる千手堂の姿は2002年(平成14年)6月6日に以前の堂舎を復原する形で再建された姿です。
千手堂の特別一般公開は毎年あるのか?前回はいつ頃あった?
東大寺千手堂は普段は閉堂されており、扉がキッチリと閉じられていることから内部を見ることすら叶わず、堂外の扉の外側から遥拝するのみです。
堂舎の外側に縁側に賽銭箱が設置されており、その上に紐緒が吊られた鐘が据えられ、参拝者はここで参拝します。
また、千手堂に他の三月堂(法華堂)のように年に1回の特別一般公開日などは特に設けられていません。
なお、前回、千手堂が特別一般公開されたのは7年前になるとのこと。
だとすれば、キャナリ(訳:かなり)貴重な機会といえます。
千手堂の特別公開日はいつ?日程・拝観できる時間・拝観料金
- 公開日程:2020年7月4日(土)〜約3年間の日程(2023年まで)で特別に一般公開されます。(2月15日~3月5日は拝観停止)
- 時間:8時30分~16時(但し、毎月6日は法要後10時頃より)
- 料金:中学生以上600円、小学生(300円)
※公開日程は変更になる可能性も考えられます。詳細は下記、東大寺の公式HPにてご確認ください。
拝観できる仏像や宝物とは?
- 千手観音像【重要文化財】
- 四天王像【重要文化財】
- 鑑真和上像【重要文化財】
- 愛染明王坐像(鎌倉~南北朝時代)….etc
本尊の千手観音像は須弥壇上に安置される黒漆の春日厨子(鎌倉時代) の中に奉安される。
※但し、四天王立像は東大寺ミュージアムにて拝観可能。
厨子入千手観音像【重要文化財】
画像提供:東大寺
- 造立年:不明(推定:鎌倉時代後期)
- 造立方法:寄木造り
- 材質:ヒノキ
本像は、同様に重要文化財指定を受ける黒漆塗りの厨子に収められています。像容からして鎌倉時代後期の作とみられています。
黒漆塗りの厨子【重要文化財】
- 制作年:鎌倉時代
- 様式:春日厨子
- 製法:黒漆
千手堂の須弥壇上に安置されており、千手観音菩薩立像(鎌倉時代)を中央に配し、その脇の四天王立像(鎌倉時代)とともに安置されています。
春日厨子とは、正面の壁上に春日曼荼羅を描き,扉の内面に十六善神などを描いた絢爛豪華な厨子の様式のことを言います。
厨子の外観はゆるやかな勾配の屋根を有し、正面に観音開きの扉をつけ,二重基壇に据え,外側は黒漆塗りで周縁に朱漆が施されています。
特別一般公開される理由
千手堂が特別一般公開される理由は千手堂の隣りに建つ戒壇院(戒壇堂)が保存修理および耐震化工事のため、令和2年7月1日(火)より約3年間、拝観受付を中止されるので、その代わりの対処のようです。
つまり、戒壇堂が一度修理されると数十年間はもう今回のような拝観受付を停止するほどの大規模修理が執り行われないことを考えると、非常にレアケースだと言わざるをえません。
ある意味チャンスです! ヒュ〜
千手堂の場所(地図)
代表的な天平彫刻である「塑造・四天王像」を堂内に安置する戒壇堂(かいだんどう/戒壇院)の西側に位置します。
千手堂への行き方
千手堂は大仏殿からでも歩いて行けます。
大仏殿の拝観を終えたら手向山八幡宮の鳥居をくぐって、同神社の方角へ行くのではなく、大仏殿の背後にまわるようにして大仏殿の回廊沿いを歩いていきます。
- 東大寺大仏殿から千手堂まで徒歩約10分