隠れた見どころ満載!氷室神社の歴史(年表)・しだれ桜・ひむろしらゆき祭・氷みくじなど
氷室神社は奈良時代に平城京へ氷を献上する際の氷蔵(こおりぐら)、いわゆる氷室(ひむろ)を守護するために氷の神を勧請して創建され、現在に至るまで約1250年の歴史があります。
古来、氷にまつわる歴史を持つ古社であることから、境内には奈良県内屈指の見どころが所狭しと存在しており、例を挙げれば「献氷祭」や「樹齢100年のしだれ桜」がこれに該当します。
以下では、氷室神社境内の見どころと併せて歴史(年表付き)もご紹介しています。
項・一覧
- 1 隠れた見どころ満載!氷室神社の歴史(年表)・しだれ桜・ひむろしらゆき祭・氷みくじなど
- 2 氷室神社の境内地図
- 3 枝垂れ桜(しだれ桜)
- 4 「おみくじ」ではなく『氷みくじ』??
- 5 ひむろしらゆき祭
- 6 献氷祭
- 7 氷の献灯
- 8 本殿【奈良県指定文化財】
- 9 宝庫
- 10 子社
- 11 表門(四脚門)【奈良県指定文化財】
- 12 東御廊・西御廊
- 13 氷室神社では神前結婚式が挙げれる?
- 14 奈良氷室神社の参拝料金・営業時間など
- 15 氷室神社の歴史(年表)
- 16 氷室神社の御祭神
- 17 ところで・・「氷室」はいつ頃できた?
- 18 奈良(都祁)で氷が盛んに作られた理由
- 19 ところで・・「氷室」は誰が考えた??
- 20 氷室で貯蔵された天然かき氷が食べれる地域がある!
- 21 【補足】神戸や京都にも氷室神社がある??
- 22 奈良氷室神社へのアクセス(行き方)
- 23 氷室神社のお問い合わせ先
氷室神社の境内地図
引用先:奈良氷室神社
以下ではこれらの境内案内図に基づいて各所をご紹介していきます。
枝垂れ桜(しだれ桜)
- 桜の種類:江戸彼岸桜
- 樹齢:約100年
氷室神社の境内には樹齢約100年の「奈良一番桜」とも言われるほどの、ちょっとした有名な「枝垂れ桜(しだれ桜)」が自生しています。
境内には数本、しだれ桜が自生していますが、奈良一番桜と呼ばれる枝垂れ桜は、四脚門手前の枝垂れ桜です。
種類は春日野の在来種である「江戸彼岸桜(エドヒガンザクラ)」で、開花時期は例年、3月20日前後となっており、よく見かける「ソメイヨシノ」よりもおおむね1週間ほど早く咲きます。
3月27日頃から4月一週目にかけて見頃を迎えますが、4月一週目を過ぎればすぐに散ってしまいますので注意が必要です。
他に「ハクモクレン(白木蓮)」などの種類の木々も自生しており、例年、しだれ桜と共に氷室神社の春の訪れを告げています。見頃時期はしだれ桜と同じく4月上旬となります。
なお、奈良氷室神社のしだれ桜の見頃時期に関しては、氷室神社の公式ホームページや、宮司さんの公式フェイスブックでも確認ができます。
氷室神社の枝垂れ桜が枯れるぅ??
近年、このしだれ桜の成長が止まっていることから詳しく調査したところ、根っこの部分に悪性の腫瘍が見つかったそうです。現在はその腫瘍がある根っこを取り除いて、栄養補給のために土の入れ替えを行ったり、鹿よけ対策をしてなんとか成長促進を促しているようです。そのために費用がかさむようなので氷室神社では寄付を1口1000円で募集されています。応募すれば漏れなく撤饌の御神酒を授与していただるそうです。
問い合わせは氷室神社社務所(0742-23-7297)まで。
「おみくじ」ではなく『氷みくじ』??
氷室神社に入って四脚門をくぐれば分かりますが、拝殿にはなんとぉぅ!おぅっ!イエぃ!「ドでかい氷」が置いてあります。
この氷は何に使うのかと言いますと、氷室神社オリジナルの「氷みくじ」に使用される氷になります。
- 氷みくじの値段:200円
氷みくじのやり方
- まず、社務所に行きます。
- 社務所窓口の右側には、「おみくじを引く筒」と「回転台」が乗った「台」があって、その手前にはお金の投入口がありますので200円を投入します。
- おみくじ台の上に設置してある「筒」を振って籤(くじ/=木の棒)を出します。
- 筒をもとに戻して、隣にある「回転台」から籤に書かれた番号のおみくじを自分で選んで引き出します。
- この時、不思議なことに紙には何も書かれていないので驚きますが、上述した拝殿前に置かれている氷の上に乗せることによって摩訶不思議なことに「おみくじ」の内容が浮き出てくるというわけです。
- 完
ちなみに、このおみくじは乾くと再び浮き出た文字が消えます。おみくじは境内に結ぶのも良いですが、珍しいおみくじなので持ち帰ってクソが飛び出るほど自慢するのも良いと思います。
普通のおみくじとは異なり、浮かび上がるまでのドキドキ感が味わる氷室神社特製の氷みくじです!東大寺ご参拝の折はぜひ!氷室神社へもお立ち寄りください。ウフ
ひむろしらゆき祭
ひむろしらゆき祭は、2015年(平成26年)から開催された祭典で、毎年、5月のGW期間中のおおむね最終日の2日間に開催されるイベントです。
たった2日間にも関わらず約1万人もの人が訪れる、氷室神社の中では大祭に位置付けられる恒例行事でもあります。
期間中は奈良県内のかき氷の有名店、およそ15店舗ほどが境内に集い、参拝者へ提供します。
販売されるかき氷の種類
- 奈良の抹茶を使用したかき氷
- きなこ金時氷
- ロイヤルミルクピーナッツ氷
- エスプーマ(スペイン語の”泡”という意味)が上に乗ったぶどうのかき氷
- はちみつレモンレアチーズ…etc
これらのかき氷は毎年、メニューが変わります。あくまで一例です。
ひむろしらゆき祭の場所が変更になった?!
ひむろしらゆき祭は、2015年に開催されて以降、年々来場者が増加の一途をたどり、ついに氷室神社の境内だけでは対応しきれなくなっています。
そこで現在は、大昔、氷を作っていたとされる「氷池」付近の「春日野国際フォーラム甍 別館」の「会議室」や「レセプションホール」を解放して、およそ20店舗近くのお店が出店する大イベントになっています。(入場無料)
スケールアップして大イベントになったことから、奈良県内のかき氷店だけではなく、他県の有名かき氷店までもが出店するようになっており、なんとぉぅ!行列ができるまでになっています。
行列が発生すると必然的に会場内は大混雑しますので、各有名店では行列の発生を回避するためにYahoo! JAPANが運営する「passmarket(パスマーケット)」にて整理券を配布しているほどです。
ちなみに神事自体は氷室神社の境内で午前8時から執り行われています。
出店店舗(2018年の例)
5月5日 | |
岐阜県(前売り券販売あり) | 茶屋赤鰐、ブルーリバーカフェ、hau |
大阪(前売り券販売あり) | COCOO CAFE、山口果物 |
奈良県(前売り券販売あり) | おちゃのこ、氷匠ル・クレール |
奈良県(前売り券なし) | 鶴屋徳満、パパドウルスの丘の上食堂、千壽庵吉宗千壽茶寮、絵図屋、バンブーノ、ブタとエスプレッソと、K-COFFEE |
5月6日 | |
岐阜県(前売り券販売あり) | 茶屋赤鰐 |
神戸(兵庫県/前売り券販売あり) | こおり屋 bambu |
名古屋(愛知県/前売り券販売あり) | A.cocotto |
大阪(前売り券あり) | 氷とお芋の専門店らんらん、COCOO CAFE |
奈良県(前売り券あり) | 氷匠ル・クレール、デルベア |
奈良県(前売り券なし) | 鶴屋徳満、萬勝堂、パパドウルスの丘の上食堂、ブタとエスプレッソと、cafe fukubako、春日野窯、平宗法隆寺店 |
なお、近鉄奈良駅の付近周辺には、かき氷のお店が20店舗以上ありますので、参拝帰りにでも立ち寄ってみてください。ウフ
献氷祭
献氷祭は「けんぴょうさい」と読み、この神事では川と海を代表する魚として「鯉(コイ..恋?ムフ♥)」や「鯛(タイ)」が封じ込められた高さ1メートル、横幅60㎝、重さ135kgの氷柱が川と海とで1基ずつ、ご神前に奉納されます。
ちなみに、この恋は、・・鯉!!は、もぅエエ 株式会社ニチレイロジスティクス関西によって例年、奉納されるものです。
- 献氷祭 :5月1日午前11時~
- 神事は:5月1日13時〜
大勢の参拝者が見守る中、神事は執り行われ、向こう1年の平穏無事と事業の繁栄を祈願します。
「献氷祭」とは?
正倉院の宝物の中に「東大寺山堺四至図」という756年(天平勝宝8年)に作成されたとされる古絵図があります。この古絵図内に吉城川の上流に「氷池(ひいけ)」という名前の池が記されており、当時はこの池に張った氷を平城京に届けたいたそうです。
届ける時期は例年、春先となる4月1日から、夏終わりとなる9月30日までだったようで、割合、長期間にわたって届ける必要があったことから、氷室が当地に築かれてここに氷を貯蔵していたようです。
平城京に氷を届ける際は盛大にお祭りが執り行われたようですが、平安遷都後は廃絶してしまい、1912年(明治45年)に関西の老舗・龍紋氷室と大阪氷業界の奉賛の手で復興されて今日に至っています。
氷を届ける祭典とは、かつての宮中には旧暦6月1日に「氷の節会」「氷室の節会」「氷の朔日」と呼ばれる氷を食べる風習があり、これが現在の献氷祭に該当します。
献氷祭は朝廷(宮中)へ清められた氷を運び入れるための重要な儀式とされてきました。現在もこの名残を受け継いで、この日に正月についた餅を食べる風習が残る地域もあります。
その他、奈良の当地ではこの日、「歯固め」と言う「寒餅」や「凍餅」を焼いて神仏に供えたのち、虫歯予防、健康長寿を祈願して食すという風習もあります。
献氷祭では、毎年、名物になっている「かき氷の奉納」も執り行われます。
舞楽の奉納
氷室神社には「南都流舞楽」という舞が踏襲されていますが、この南都流舞楽を同じ奈良県の「南都晃耀会」に方々によって舞われます。
舞は午後13時より、拝殿の舞台で舞い始められ終日、舞われます。
舞台を向いてみ右脇には関係者の座席や、一般参拝者でも自由に座ることができる座席も設けられており、座りながらゆっくりと舞を観ることができます。
ただし、境内は飲食禁止ですので、ご注意ください。
タダ(無料)でかき氷が食べられる!
この日は大阪の氷問屋が訪れていることもあり、「純氷」をふんだんに使用した何とも贅沢なかき氷が来場者全員に振る舞われます。
「純氷」とは、不純物を取り除くために濾過(ろか)しまくった水を、‐10℃前後の冷凍室で48時間以上かけて凍らせた氷のことです。
このように不純物を取り除いた水を時間をかけてじっくりと凍らせていますので、完成した氷は透明・無臭で、その上、溶けにくく、フワッとした舌触りを与えてくれます。
氷室神社ではこの純氷のかき氷を終日、振る舞っていますが、氷がなくなり次第終了です。雨天であれば気温が低いこともあり、食べる人も少ないのですが、晴天の日は食べる人が増えますので15時頃には無くっているかも知れません。
それと、この日を待ちに待ったボンビーには申し訳ないのですが、かき氷は1人1つです。おかわり自由ではありませんのでご留意のほどを。オホ
氷の献灯
氷室神社では、毎月1日(月によっては15日や30日もある)に氷の献灯という神事が執り行われています。この神事では、氷の中にロウソクを灯し境内の参道に並べられます。
開催時間
- 平常時:日没から21時頃まで
- 元旦(1月1日)のみ:午前0時から午前4時まで
氷でできた器の中にロウソクが灯りますので、日常ではなかなか見ることのできない幻想的な情景を見ることができます。
本殿【奈良県指定文化財】
創建年:710年(和銅3年/奈良時代)※社伝による
再建年:1863年(文久3年)
建築様式:三間社流造
屋根の材質:檜皮葺
千木の形状:雌千木
鰹木の数:5本
後述していますが、氷室神社の社伝によれば創祀は710年(和銅3年)、平城京の氷を貯蔵しておくための氷室京介を守護する・・アレ?あイヤイヤ、氷室(ひむろ)!!を守護するために春日山に鎮座されたとあります。BOØWYサイコー
本殿の床下には両開きの板戸が設置された2室の部屋があるそうです。
2009年(平成21年)に氷室神社境内から旧社殿に関して資料が発見され、これによれば859年から877年(貞観年間/平安時代)に現在の場所に遷(うつ)されてきたことが明らかにされています。
さらに、春日大社と同様に式年造替が執り行われるなど、著しく繁栄を極めた神社であったことも明らかにされており、記録では1215年(建保3年)までその姿を留めていたとされています。
平安時代の氷室神社の本殿の姿
平安時代の氷室神社本殿は、八幡造りのように社殿が並立して造営されおり、屋根上には伊勢神宮の御正殿を彷彿させる水平型の雌千木(めちぎ)や鰹木(かつおぎ)までもが据えられた豪壮感ただよう社殿だったようです。
なお、現在みることのできる氷室神社は江戸時代末期に式年造替によって建て直された姿とされています。
宝庫
氷室神社には神宝を安置しておくための宝庫がありましたが、近年解体されて装い新たに新造されています。
現在の氷室神社の宝庫には、平安時代の氷室神社本殿を復元した現物の35分の1の木造模型が置かれています。
この復元模型によれば伊勢神宮を彷彿させる豪壮感がプンプンプンっ!と漂う気品に満ちた社殿であったことが分かります。それだけ篤い崇敬が寄せられていたという証でもあります。
子社
舞光社
- 建築様式(造り):一間社春日造(見世棚付属)
- 御祭神:狛光高公の御霊
狛光高(こまの みつたか)は付近の興福寺に所属した平安時代中頃の雅楽家のことです。当時、朝廷には三方楽所(さんぽうがくそ)と呼ばれた雅楽のプロたちの集団が、朝廷お抱えの雅楽家として宮仕えしており、その一翼を担ったのが、なんと!南都方と呼ばれた雅楽集団でした。”なんと”!”南都”…。..。..ふぅ
三方楽所一覧
- 京都方
- 天王寺方
- 南都方
ただし、正式に南都方が三方楽所に名前を連ねたのは鎌倉時代以降になってからです。この頃には狛光高公はすでに他界していますので、跡を継いだ者たちが志を受け継いだことになります。
なお、疑問に思った方もいると思われますが、氷室神社で南都の雅楽家が祀られている理由は、古来、当神社の祭典で南都雅楽が舞われるからです。
ちなみに当神社にて舞楽に使用した面「陵王」は国の重要文化財の指定を受けており、現在は当神社にはありませんが、この社に納められていたそうです。(現在は向かいの奈良国立博物館に収蔵)
「見世棚」とは、殿となる部分の前に井楼組み(せいろう)で組んだ井形の木を積み上げて「棚」とした呼称のことです。通例であればこの棚は神饌(しんせん)をお供えするための棚になります。
住吉神社(祓戸社)
境内の入口となる門をくぐって進むと左側に鎮座している神社です。小さな社殿ですが、以下の7柱が合祀されています。
- 底筒男命(そこつつのおのみこと)
- 中筒男命(なかつつのおのみこと)
- 表筒男命(うわつつのおのみこと)
一般的にこれらの神様は3柱まとめて、大阪・住吉大社で祭祀されている「住吉大神」で知られています。
- 瀬織津比売(せおりつひめ)
- 速開都比売(はやあきつひめ)
- 気吹戸主(いぶきどぬし)
- 速佐須良比売(はやさすらひめ)
これらの神様は祓戸大神(はらえどのおおかみ)として、日本各地の神社の入口でお祀りされていることがほとんどです。参拝の正しい順序として、手水舎で身を清め、祓戸大神で祈りを捧げて穢れ(けがれ)を清めます。(順番は逆でも構いません。)
氷室神社はこの住吉神社の後方に手水舎がありますので、忘れずに手を清めてから表門をくぐり抜け、本殿へご昇殿ください。
表門(四脚門)【奈良県指定文化財】
創建年:不明
再建年:1402年(応永9年)
建築様式(造り):切妻造、本瓦葺
門の形式:四脚門
かつて禁裏(きんり/=御所)にあった日華門(にっかもん)とされていますが、1402年に禁裏が再建されたのち、廃材を当社がもらい受ける形で移設されています。その際、日華門以外にも御輿宿(御旅所)も下賜したようです。
「日華門」とは天皇が政務を執り行う場所である「紫宸殿(ししんでん)」の南側のさらに東側の門になります。
1402年といえば南北朝時代という天皇が2人も君臨した時代がようやく終焉を迎えた後になりますが、この頃、足利義満が朝廷を牛耳り、事実上、日本国のすべてを動かしていた時代でもあります。
その後、1642年(寛永19年)に執り行われた禁裏再建時にも、今度は日華門の扉を下賜されています。この再建の時には、これまで御所で使用されたいた建造物を近隣各所へ寄付する形で下賜しています。
この事実は日華門から見つかった棟札に「1642年 内裏の日御門扉および金子金5枚を寄付して修理」といった記載が残されていたとのことです。これはつまり内裏の日御門の扉を氷室神社で移設して金子5枚でこの扉をハメ込んだという解釈になります。
日御門とは、内裏を取り囲んだ築地塀の東側に接続された門のことです。
東御廊・西御廊
創建年:不明
建築様式(造り):切妻造、本瓦葺
上記、表門に接続する形で設けられているのが、廻廊ならぬ廊下になります。氷室神社では回廊とまでは行かないので「御廊」、つまり廊下の表記になっています。
なお、氷室神社の東御廊(向かい見て東側)の裏側は社務所(お守り・御朱印の授与所)になっています。
氷室神社では神前結婚式が挙げれる?
氷室神社では、神前結婚式を挙げることができます。申し込み方法は下記社務所まで連絡の上、予約ができます。
- 挙式料金:10万円
なお、結婚式の衣装などは氷室神社では用意していないとのことですので、事前に衣装をレンタルしてくれるお店を探しておく必要があります。
また、結婚式後の食事会に関しても同様に付近で予約しておく必要があります。(浮見堂近くの「料理旅館 江戸三」を利用される方が多いようです。)
奈良氷室神社の参拝料金・営業時間など
- 参拝料金:無料
- 営業時間(開門閉門時間):
午前6時〜午後18時(4月~10月)
午前6時30分〜午後5時30分(11月~3月)
氷室神社の歴史(年表)
奈良・氷室神社【奈良指定有形文化財】
創建年
推定:710年(和銅3年)
再建年
文久年間(1861年から1864年/江戸時代)
建築様式(造り)
三間社流造(本殿)
屋根の造り
檜皮葺(本殿)
奈良県指定有形文化財指定年月日
1953年(昭和28年)3月23日
御祭神
闘鶏稲置大山主命(中座)
大鷦鷯命(左座)
額田大仲彦命(右座)
例祭
5月1日(献氷祭)
10月1日(例祭)
氏子数
1200戸
境内面積
2600坪
氷室神社の御祭神
氷室神社の御祭神は、大和国北東部を支配した古墳時代の豪族「闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)」や古墳時代の皇族(天皇)を祀る神社です。
ちなみに闘鶏国造の祖先は神武天皇の皇子である「神八井耳命(かんやいみみのみこと)」とされています。
闘鶏稲置大山主命(中座)
「闘鶏稲置大山主命」は「つげの おおやまぬし」と読み、大和国北東部の都祁村(つげむら/現在の奈良市)を中心に大和国北東部を支配した古墳時代の豪族「闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)」の親玉(当主)です。
大鷦鷯命(左座)
「大鷦鷯尊」とは、「おほさざきのみこと」と読み、これは日本書紀に記された仁徳天皇(にんとくてんのう/第16代天皇)を指す名前です。社伝によれば860年(貞観2年)2月1日に鎮座されたとのことです。
額田大仲彦命(右座)
「額田大仲彦命」が、「ぬかた の おおなかつひこのみこと」と読み、応神天皇の皇子(息子)です。
上記、大鷦鷯尊(=仁徳天皇)も応神天皇の皇子なのですが、額田大仲彦命は仁徳天皇とは母親が違いますので、仁徳天皇の異母兄という位置付けになります。社伝によれば860年(貞観2年)2月1日に鎮座されたとのことです。
710年(和銅3年)に元明天皇の勅命によって創建
奈良氷室神社には「氷室神社縁起」なる書物が存在し、この書物に記された内容が今日に至るまでの由緒となっています。
この氷室神社縁起によれば710年(和銅3年)に元明天皇の勅命によって、御蓋山(みかさやま)の麓、吉城川の上流・下津岩根に氷室明神を祀ったことが創祀とされています。
「御蓋山」とは、春日大社の西側に位置する標高283mの小山のことで、一般的に周辺の山を含めて「春日山」と呼ばれています。
「吉城川」とは、奈良公園を流れる川です。
「下津岩根」とは、春日山遊歩道を歩いた先にある「月日磐(つきひのいわ)」のことです。月日磐とは、三日月と日の彫刻がある世にも珍しい石になります。
上記、氷室神社縁起によれば、かつて月日磐周辺に「下津岩根宮」という氷の神を祀った社が築かれたと記され、これが氷室神社の創建とされています。
711年(和銅4年)献氷祭が始まる
711年(和銅4年)6月1日に献氷祭が始まります。献氷祭は70年続いたそうですが、794年の平安京遷都によって廃止されています。
860年(貞観2年)現在の場所へ移動される
860年(貞観2年)の清和天皇の治世の時代に現在の場所に移されます。この時に左右に新たに2座の神様が祀られて、現在見ることのできる3座の様相になっています。
1217年(建保5年)献氷祭が再開される
1217年(建保5年)より春日大社の別宮となり、以降、献氷祭が再開されましたが、明治初頭に再び廃止。以降は氏子や氷関係の業者たちの支援によって復興されています。
ところで・・「氷室」はいつ頃できた?
氷室がいつ頃できたのかは謎とされているようですが、氷室が初めて日本の歴史上に登場したのは、8世紀頃の日本書紀の記述によるものですので、少なくとも8世紀以前にはすでに存在していたことになります。
この記述によれば、大和国の都祁氷室(天理市福住町)で作られた氷を平城京へ運び入れる際、一旦、神前に置いて供進(きょうしん/=供える)ために造営されたのが、この奈良氷室神社であると云われています。
奈良(都祁)で氷が盛んに作られた理由
かつて「都祁村」と呼ばれた大和盆地の天理市福住町、山田町を合わせた東側地域一帯では、氷を作るために使用されたとされる氷池や、氷室跡だと思われる大型の洞穴の遺構がいくつか発見されています。
都祁で氷が盛んに作られた理由は、都祁の地域一帯が、現在の奈良市が位置する「奈良盆地」と比較すれば比高差が約400m、 温度差も約3~5度もあり、冬季の氷作りの適地であったと考えられています。
ところで・・「氷室」は誰が考えた??
氷室を誰が考案したのかは謎ですが、上述の日本書紀に記されていた氷室のことであれば明らかにされています。
日本書紀に記されていた内容
額田大仲彦命が狩りへ向かう途中、闘鶏(つげ/=都祁村)にさしかかった時、キラキラと光を放つ、大きなワラ葺き庵(いおり)を見つけます。その庵の中には大きな穴ボコが空いており、その穴ボコの中から光輝くものが見えるのです。
気になった額田大仲彦命は、「この土地の支配者を連れて来い」と配下に告げます。
そこで登場したのが、闘鶏稲置大山主命です。
額田大仲彦命は早速、闘鶏稲置大山主命へ「あの庵の中の大穴と、その中の光輝くものはなんなのか?」と聞きます。
すると闘鶏稲置大山主命はこう答えます。
「光輝くものは氷で、大穴は室(むろ)です。室は冬に出来た氷を保存して夏に利用できるようにしておくための窟です。」
それを聞いて驚いた額田大仲彦命は、すぐさまその氷をもらいうけ朝廷へ持ち帰ります。
この一件以来、朝廷では毎年、冬(師走)が到来すると、貯水池に水を貯めて出来た氷を切って貯蔵し、春が到来する頃に使用するようになったとのことです。
氷室で貯蔵された天然かき氷が食べれる地域がある!
ぬぅあんとぉぅっ!日本には今でも氷室が現存している有名な地域が存在します。この地域では冬季に氷の池に天然水を貯めて、できた氷を適当な大きさに切って氷室へ貯蔵しています。
毎年、夏になると氷室に貯蔵されている天然氷を使用したかき氷が食べられます。詳細は以下のページをご覧ください。
【これ7選!】日光 天然かき氷(徳次郎・他)美味しい・人気おすすめランキング!
【補足】神戸や京都にも氷室神社がある??
実は「氷室神社」という名前の神社は現在、日本全国に5社あります。
- 氷室神社 (富士川町) – 山梨県富士川町
- 氷室神社 (京都市) – 京都市北区
- 氷室神社 (神戸市) – 兵庫県神戸市
- 氷室神社 (天理市) – 奈良県天理市
- 氷室神社 – 奈良県奈良市
この中でも神戸の氷室神社は「愛の手紙」や「愛のポスト」なるものが存在し、縁結びのご利益で有名です。神戸へ行かれた際には是非!
奈良氷室神社へのアクセス(行き方)
JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス「市内循環バス」へ乗車。乗車所要時間:約5~10分。「氷室神社・国立博物館前」下車すぐ。
あるいは「ぐるっとバス」の奈良公園ルートへ乗車して「国立博物館前」で下車。

アクセスに関しての詳細は以下のページを参照してください。
奈良・東大寺へのアクセス(行き方)『市バス(奈良交通)・高速バス(夜行バス)』
徒歩でアクセスできる!奈良県・東大寺への行き方「奈良駅(JR・近鉄)から東大寺まで(地図つき)」
氷室神社のお問い合わせ先
住所:奈良市春日野町1-4
電話番号:0742-23-7297
定休日:なし(年中無休)
URL:http://www.himurojinja.jp