奈良 氷室神社【奈良指定有形文化財】
創建年
推定:710年(和銅3年)
再建年
文久年間(1861年から1864年/江戸時代)
建築様式(造り)
三間社流造(本殿)
屋根の造り
檜皮葺(本殿)
奈良県指定有形文化財指定年月日
1953年(昭和28年)3月23日
御祭神
闘鶏稲置大山主命(中座)
大鷦鷯命(左座)
額田大仲彦命(右座)
例祭
5月1日(献氷祭)
10月1日(例祭)
氏子数
1200戸
境内面積
2600坪
氷室神社は奈良時代に平城京へ氷を献上する際の氷蔵(こおりぐら)、いわゆる氷室(ひむろ)を守護するために氷の神を勧請して創祀され、現在に至るまでに約1250年の歴史がある。
氷室神社の御祭神
氷室神社の御祭神は、大和国北東部を支配した古墳時代の豪族「闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)」や古墳時代の皇族(天皇)を祀る神社です。
ちなみに闘鶏国造の祖先は神武天皇の皇子である「神八井耳命(かんやいみみのみこと)」とされています。
闘鶏稲置大山主命(中座)
「闘鶏稲置大山主命」は「つげの おおやまぬし」と読み、大和国北東部の都祁村(つげむら/現在の奈良市)を中心に大和国北東部を支配した古墳時代の豪族「闘鶏国造(つげのくにのみやつこ・つげこくぞう)」の親玉(当主)です。
大鷦鷯命(左座)
「大鷦鷯尊」とは、「おほさざきのみこと」と読み、これは日本書紀に記された仁徳天皇(にんとくてんのう/第16代天皇)を指す名前です。社伝によれば860年(貞観2年)2月1日に鎮座されたとのことです。
額田大仲彦命(右座)
「額田大仲彦命」が、「ぬかた の おおなかつひこのみこと」と読み、応神天皇の皇子(息子)です。
上記、大鷦鷯尊(=仁徳天皇)も応神天皇の皇子なのですが、額田大仲彦命は仁徳天皇とは母親が違いますので、仁徳天皇の異母兄という位置付けになります。社伝によれば860年(貞観2年)2月1日に鎮座されたとのことです。
氷室神社の歴史(年表)
710年(和銅3年)に元明天皇の勅命によって創建
奈良氷室神社には「氷室神社縁起」なる書物が存在し、この書物に記された内容が今日に至るまでの由緒となっています。
この氷室神社縁起によれば710年(和銅3年)に元明天皇の勅命によって、御蓋山(みかさやま)の麓、吉城川の上流・下津岩根に氷室明神を祀ったことが創祀とされています。
「御蓋山」とは、春日大社の西側に位置する標高283mの小山のことで、一般的に周辺の山を含めて「春日山」と呼ばれています。
「吉城川」とは、奈良公園を流れる川です。
「下津岩根」とは、春日山遊歩道を歩いた先にある「月日磐(つきひのいわ)」のことです。月日磐とは、三日月と日の彫刻がある世にも珍しい石になります。
上記、氷室神社縁起によれば、かつて月日磐周辺に「下津岩根宮」という氷の神を祀った社が築かれたと記され、これが氷室神社の創建とされています。
711年(和銅4年)献氷祭が始まる
711年(和銅4年)6月1日に献氷祭が始まる。献氷祭は70年続いたそうですが、794年の平安京遷都によって廃止されています。
860年(貞観2年)現在の場所へ移動される
860年(貞観2年)の清和天皇の治世の時代に現在の場所に移されます。この時に左右に新たに2座の神様が祀られて、現在見ることのできる3座の様相になっています。
1217年(建保5年)献氷祭が再開される
1217年(建保5年)より春日大社の別宮となり、以降、献氷祭が再開されましたが、明治初頭に再び廃止。以降は氏子や氷関係の業者たちの支援によって復興されています。
ところで‥‥「氷室」はいつ頃できた?
氷室がいつ頃できたのかは謎とされているようですが、氷室が初めて日本の歴史上に登場したのは、8世紀頃の日本書紀の記述によるものですので、少なくとも8世紀以前にはすでに存在していたことになります。
この記述によれば、大和国の都祁氷室(天理市福住町)で作られた氷を平城京へ運び入れる際、一旦、神前に置いて供進(きょうしん/=供える)ために造営されたのが、この奈良氷室神社であると云われています。
奈良(都祁)で氷が盛んに作られた理由とは❓
かつて「都祁村」と呼ばれた大和盆地の天理市福住町、山田町を合わせた東側地域一帯では、氷を作るために使用されたとされる氷池や、氷室跡だと思われる大型の洞穴の遺構がいくつか発見されています。
都祁で氷が盛んに作られた理由は、都祁の地域一帯が、現在の奈良市が位置する「奈良盆地」と比較すれば比高差が約400m、 温度差も約3~5度もあり、冬季の氷作りの適地であったと考えられています。
「氷室」は誰が考えた??
氷室を誰が考案したのかは謎ですが、上述の日本書紀に記されていた氷室のことであれば明らかにされています。
日本書紀に記されていた内容
額田大仲彦命が狩りへ向かう途中、闘鶏(つげ/=都祁村)にさしかかった時、キラキラと光を放つ、大きなワラ葺き庵(いおり)を見つけます。その庵の中には大きな穴ボコが空いており、その穴ボコの中から光輝くものが見えるのです。
気になった額田大仲彦命は、「この土地の支配者を連れて来い」と配下に告げます。
そこで登場したのが、闘鶏稲置大山主命です。
額田大仲彦命は早速、闘鶏稲置大山主命へ「あの庵の中の大穴と、その中の光輝くものはなんなのか?」と聞きます。
すると闘鶏稲置大山主命はこう答えます。
「光輝くものは氷で、大穴は室(むろ)です。室は冬に出来た氷を保存して夏に利用できるようにしておくための窟です。」
それを聞いて驚いた額田大仲彦命は、すぐさまその氷をもらいうけ朝廷へ持ち帰ります。
この一件以来、朝廷では毎年、冬(師走)が到来すると、貯水池に水を貯めて出来た氷を切って貯蔵し、春が到来する頃に使用するようになったとのことです。
氷室で貯蔵された天然かき氷が食べれる地域がある!
ぬぅあんとぉぅっ!日本には今でも氷室が現存している有名な地域が存在します。この地域では冬季に氷の池に天然水を貯めて、できた氷を適当な大きさに切って氷室へ貯蔵しています。
毎年、夏になると氷室に貯蔵されている天然氷を使用したかき氷が食べられます。詳細は以下のページをご覧ください。
【これ10選!】日光 天然かき氷(徳次郎・他)美味しい・人気おすすめランキング!
【補足】神戸や京都にも氷室神社がある??
実は「氷室神社」という名前の神社は現在、日本全国に5社あります。
- 氷室神社 (富士川町) – 山梨県富士川町
- 氷室神社 (京都市) – 京都市北区
- 氷室神社 (神戸市) – 兵庫県神戸市
- 氷室神社 (天理市) – 奈良県天理市
- 氷室神社 – 奈良県奈良市
この中でも神戸の氷室神社は「愛の手紙」や「愛のポスト」なるものが存在し、縁結びのご利益で有名です。神戸へ行かれた際には是非!
奈良氷室神社の場所と交通アクセス
- 氷室神社の所在地:奈良市春日野町1-4
- 定休日:なし(年中無休)
- URL:http://www.himurojinja.jp
JR奈良駅・近鉄奈良駅から奈良交通バス「市内循環バス」へ乗車。乗車所要時間:約5~10分。
「氷室神社・国立博物館前」下車すぐ。
あるいは「ぐるっとバス」の奈良公園ルートへ乗車して「国立博物館前」で下車。
