そもそも夜の鹿たちはどうしている❓
奈良公園の鹿たちは、夜は周辺の林に10頭〜30頭ほどのグループを作って寝ています。
鹿がグループを作って寝る理由は、仮に敵が接近してきても群の中の1頭が気付くことで身を守れるからです。また、仲間が多ければ相手が野犬や狼でも対抗できます。
1692年(元禄5年/江戸時代)、将軍・徳川綱吉公の治世の頃、「生類憐みの令」によって奈良市街に急激に野犬が増加し、たくさんの鹿が食われた背景もあってか、その遺伝子を引き継ぐかのように寝るときはグループを作って寝ています。
これに関しては実際に明治初頭まで奈良公園には、鹿を捕食するために「狼」までもいたそうです。
鹿たちは1日中、寝床にはいない
春日大社・参道や東大寺・南大門付近でオヤツをねだる鹿たちも朝から晩までいるわけではなく、参拝客がいなくなる頃、自分たちも寝床、つまり「巣」に帰ります。
概ね17時頃になると寺社の拝観時間も終了し、参拝客もポツポツと帰り始めることから、春日大社・興福寺周辺付近の鹿は、概ね夕方17時〜18時になる頃には気付けばいなくなっています。
ただ、東大寺・南大門前は年中、19時頃でも人がまだいることから、それに合わせるかのようにわずかですが鹿もいます。
夏時期は日暮れが遅く、人間の活動時間も長くなりますので、それに比例して鹿たちの寝床へ帰る時間も遅くなります。
以上、鹿たちが寝床へ帰る平均的な時間としては17時30分頃です。太陽の傾き具合や気温、もしくは人数の減少具合を見計らっているのか、夕方になれば鹿たちも自分たちの寝床へ群で移動し始めます。
鹿たちは群ごとに休憩や食事の場所もおおよそ決まっており、寝床とそれらを毎日行き来しているようです。
夜行性の鹿もいる
現在でも民家が近い場所を寝床にしている鹿の中には人が寝静まった夜に活動する鹿もいます。
つまり、観光客に鹿せんべいをネダる鹿たちではなく、朝昼は寝床で休み、夜に活動するタイプの鹿です。
夜行性の鹿は、夜中に民家に忍び込んで食べ物を探したり、畑や田んぼに入って作物を食べます。実際に現在でも奈良の鹿愛護会には、鹿による農作物の被害に関しての問い合わせも寄せられるようで、職員の方がそのクレーム対応をしておられます。
奈良公園付近に宿泊している方はぜひ!夜の奈良公園を散歩してみよう!
3社寺(春日大社、興福寺、東大寺の)の拝観は夕方17時頃までですが、奈良公園周辺で宿泊しているのであれば散歩がてら、ぜひ!奈良公園へ夜20時頃、お出かけしてみましょう。そして、奈良公園内の林の中をソぉ〜っとのぞいて見て下さい。
鹿たちがたくさん寄り集まって寝床を形成している様子が観察できるかもしれません。
アっ!見つけた際は、くれぐれもお休みの邪魔をしないように。ソぉ〜っと。ソぉ〜っと。
奈良公園の鹿たちは雨の時はどうしているの❓
鹿だって濡れるのは嫌なハズです。
小雨程度なら元気にモリモリと芝生や雑草を食べている鹿も多いのですが、土砂降りだと雨宿り派が多くなります。
雨の日は観光客が少なくなるので、鹿せんべいの売店の数も減ってしまいますが、いつもとは違う鹿たちの様子を見られるかもしれませんよ。
奈良公園内で雨の日に鹿がいそうな場所
- 木の下
- 観光案内図の屋根の下
- 東屋(あずまや)
- 町のお店の軒先(入店してしまう鹿さんも・・・)
- その他、春日大社や興福寺の各建物の下にも。
この中でももっとも多いのが、やはり木の下です。東大寺南大門では、参拝客と場所の取り合いになることも。
それとお店の軒先でも多く見かけられます。奈良公園の売店の方々も鹿に対しては、ひときわアツい気持ちがあるようで、お気に入りの鹿には名前を付けて可愛がっているようです。
夏には水浴びさせてやったり、年中通して店先には鹿用の水飲み器まで置かれています。
一方の鹿もそれを知ってか、決まった店に顔を出すそうです。
本当に不思議なところです。この奈良公園というところは。オホ
奈良公園の鹿が減少してしまう原因と理由
奈良公園の鹿は、1822年(文政5年/江戸時代)と明治初頭に全滅の危機に瀕しています。
もっとも減少したのが1822年の生類憐みの令の廃止後です。数は定かではありませんがこの頃、鹿の角切りが15頭しかできなかったと記録されています。その後、明治維新の混乱の中で38頭まで減少し、二度目は太平洋戦争時の食糧難により79頭まで激減したといいます。
つまり、わずか数十年で、ここまで数が回復したのは本当にすごいことですね。
鹿が減少した主な理由(明治6年11月調べ)
- エサが充分にもらえなかった
- 疾病の伝染
- 野犬・狼による咬殺
- 狭い柵の中に閉じ込められたこと
逆に鹿が急激に増えた理由(明治11年12月記録)
明治6年頃になると急激に鹿の頭数が減りますが、やがて絶滅に危機感を持ったり、異を唱えたりする者が増え始め、明治7年になると鹿の管理が春日神社(現・春日大社)へ移管され、春日神社では奈良の神鹿を保護する団体「白鹿社」が結成されます。
これに端を発し、密猟対策として、さらに「神鹿殺傷禁止区域」までもが設置されます。
神鹿殺傷禁止区域の範囲
- 東端は芳山(ほやま/若草山のさらに奥)
- 南端は岩井川(奈良佐保短期大学)
- 北端は佐保川(正倉院・奈良女子大のライン)
- 西端は中街道(現在の平城宮あたり)
そして明治13年に奈良公園が設立され、明治24年には春日神鹿保護会が設立されます。この流れが好転し、鹿の数は第二次世界大戦(太平洋戦争)頃まで増加の一途をたどることになります。
太平洋戦争中に鹿が激減した理由は、食糧難や資金難が原因とされる密猟の多発です。鹿を保護する条例はあったものの頭数管理ができていないことから、夜な夜な密猟者が出没したからです。
資金難で鹿を獲る理由は、「鹿の角」や「袋角」が良薬になるからです。「鹿皮」も高値で売れます。しかし戦後の高度経済成長を迎える頃には人の生活水準も向上し、比例して密猟を行う者も減少したことから再び頭数も増加しています。
以上、鹿の頭数の増減は人類の生活基盤の安定と比例しているといえます。生活基盤が安定していれば鹿を獲らなくても良いわけです。
【補足】鹿の年間増加率
ここまで読み進めてきて、「では鹿は一体、何年で何頭ぐらい増えるのか?」といった疑問も出てくるものです。
これについては諸説あって定まったものはありませんが、奈良公園の奈良鹿を例にとった場合、およそ15%〜20%くらいの比率が算出されています。
これを年数に置き換えた場合、およそ4年〜5年で頭数が倍になる計算になります。
現在の奈良鹿は1300頭もいますので、1000頭で計算しても年間150頭〜200頭も増加していることになります。
その上、奈良鹿は国の天然記念物指定を受けることから、保護を受けています。したがって減少率も少なく、2019年段階で年間約90頭の鹿が落命しているとしても毎年60頭〜100頭近くが増加していることになります。
増えすぎるというのも逆に別の問題が生じてきそうですが、果たしてこのあたりをどうコントロールして行くのか?まだまだ問題は山積しているといったところでしょう。
子鹿に要注意!
奈良の鹿愛護会の方でも周知されていますが、子鹿は可愛ぅぃ〜い♥ので、ついついサワサワしたくなりますが、子鹿のそばには大抵、母鹿がいて子鹿を見守っています。
子鹿を不用意に触ろうとすると母鹿を怒らせる結果につながりますので、子鹿と触れ合う際は少し慎重に接してください。(母鹿は怒ると体当たりしてきます)
また、鹿せんべい以外のものをあげたり、紙やビニールを不意に取られたりしないように注意しましょう。
ゴミもそのまま放置すると、興味津々の鹿たちはゴミ袋を食べ物だと勘違いして食べてしまい、ノドに詰まらせて死んでしまう原因ともなります。
ゴミは必ず持ち帰ろぅ。
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